2013年10月アーカイブ

リンカーン秘密の書枠.jpg第16代アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンがバンパイアハンターとなり戦う姿を描いた3Dアクション。監督は「ウォンテッド」のティムール・ベクマンベトフ、製作にティム・バートン。まだ少年だったリンカーンは母親をバンパイアに殺され、復讐を遂げるため戦いの術を学びはじめる。やがて成長したリンカーンは、奴隷制度を隠れ蓑に“食事”を手に入れるバンパイアと、それを利用して金儲けを企む政治家たちの姿を目の当たりにし、昼は政治家として奴隷解放を訴え、夜は斧を手にしたハンターとしてバンパイアと戦うようになる。

ヒロインは余りにも美しい。メアリー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)と恋に落ちるリンカーン。映画のヒロインは誰もがヒロインだとわかるくらい脇役と差別化することの大切さを感じました。ヒロインをキャスティングしたら、脇役は落差をつけて選ぶ。大切なことを学びました。

歴史上の人物の物語を脚色して秘密を持たせる手法も参考になります。ジキルとハイドのように表と裏があると楽しめますから。薬を飲むと変身するとか、夜になると変身するとか。水をかけると男性から女性に変わるランマ1/2とか。そこはいろいろ考え付きます。しかし、お酒を飲みすぎると赤おにになるのは沢山いますから駄目ですけど。

日本でも戦国武将をモデルにすれば楽しめますね。現代の政界、財界の有名人も面白い。

もう一点、リンカーンは友達などの身近な人で大統領の側近を固めていますよね。これは今でもいえると思います。気心を知っていて信頼できる。いくら優秀な人材でも絶対の信頼が置けないと側近には使えません。人間はお金ですぐに買収されてしまう人が多いですから。裏切らないのが一番ですね。昔も今も。

リンカーンがピストルの時代に銀の斧でバンパイヤを退治するのはいかがなものか。ピストルに銀の玉を詰めて戦えばいいものを。アクション的に斧の方が武術的な華麗な映像になるからかもしれません。敵味方入り乱れる賑やかな映像になりますから。斧には拳銃も仕込んでありますが、最後に普通の斧の棒としてへし折られてしまいましたね。拳銃が仕込んであれば鉄なので折れないと思いますが。

ヴァンパイヤはどうして人間の血を飲むと超能力を維持できるのでしょうか? ポパイはホウレンソウなのに。人間の生命を維持している最も大切なものを吸収することでその人の生命力を取り込むということなのかもしれません。

私も思い付きますが、ここには書きません。自分の脚本のアイデアにしなければなりませんから。

ガントレット枠.jpg警察上司の立場がまずくなる裁判の証人を護送するはみだし刑事(でか)の活躍を描くアクション映画。製作はロバート・デイリー、監督は「アウトロー」のクリント・イーストウッド、脚本はマイケル・バトラーとデニス・シュラック、撮影はレックスフォード・メッツ、音楽はジェリー・フィールディングが各々担当。出演はクリント・イーストウッド、ソンドラ・ロック、パット・ヒングル、ウィリアム・プリンス、マイケル・カバナーなど。

この映画の主張は「許されざるもの」に似ています。法律の番人であるはずの警察署長がギャングと裏でつながっています。自分の悪事が露見しないようにするために証人を殺害しようとします。

どうもこの世には法の番人であるはずの組織の幹部が悪事を働いている事例が少なくないようです。また、それを退治しようとする真面目な警察官がいることも感じさせます。組織体の幹部になるとどうしても恩のある人から頼まれると筋の通らないことでもやらざるを得なくなったり、保身を図るために部下を飛ばしたりすることはままあることだと思います。

選挙で選出される政治家の人たちは民主主義の象徴ですが、選挙に金を出してくれるスポンサー、票を取りまとめてくれる組織の幹部から何かを頼まれたら断れるのでしょうか。大恩ある人から頼まれたら断れないでしょうね。手足となることを前提の選挙応援もあるでしょうし。一般的に政治家はスポンサーの利益のために動かざるを得ません。これは別に悪いことではなく選挙を基本に据える民主主義の仕組みそのものの弱点でしょうね。警察がスポンサーを追究しようとしても、政治家が止めざるを得ない。これも民主主義の弱点でしょうね。それを黙認してもまだ民主主義のメリットが大きいのだと思います。

選挙で選出される行政組織、立法組織体のメンバーは全て多かれ少なかれ弱点を抱えているというわけですね。中には弱点のない人もみえるでしょう。ほとんどの人は小さな弱点でしょうが、上層部の組織ほど、幹部ほど弱点が大きくなり、巨大なスポンサーが裏で糸を引いている事は周知のことですから私たちも温かく見守る目が必要なのかもしれません。世界の政治の面においては国内より経済が大きい分弱点が大きくなっているようですけど。

この世に清廉潔白の組織体などあるわけがなく、民主主義は弱点を抱えながらも大きなメリットを生み出している統治の仕組みなんでしょう。そういう目で見ることも必要だと思います。

例えると、民主主義国家とはインターネット接続国家で、専制君主制、一党独裁制はインターネットに接続しないオフライン国家と考えるとわかりやすくなります。インターネット接続国家はあらゆる自由がありますが、外部から密かにウイルスが入り込みます。ウイルスは接続するコンピューターを自在にコントロールできます。しかし、オフラインコンピューターは、通信ではなくUSBメモリなどの媒体を通したウイルス混入しかできません。すると外部からのコントロールリスクがほとんどなくなります。どうでしょう、今の自由主義国家に近いとは思いませんか。だから先進国は自由主義国家を増やしていきます。自由主義化すると国民の恩恵も大きなものが有りますし、ウイルスも混入できますから双方の国家にメリットがありますね。そう、多少ウイルスリスクがあってもいまさらインターネットはやめられませんから、ウイルス対策を万全にして侵入経路を可能な限り遮断していくことが大切だと思います。その経路遮断の手段は秘密を全部暴露できる「報道の自由」を守ることではないかと思うのです。

組織体の幹部は将来自分の立場を脅かすものは排除します。みんな組織体の目的達成よりも自分の利益の方が大切ですから。しかし、最後には退治される。その辺をうまく表現していると思います。  

クリント・イーストウッドの映画はどうも巨大な悪が存在しているということを伝えようとしているような気がします。そしてそれを映画の上で退治していく。観客は正義感を記憶にとどめます。そしていつか退治する側になってほしいという願い。こんな映画が何度も繰り返されるのは、このような悪がどこかの公の組織の幹部に存在しているということでしょうね。余りに強大過ぎて直接描けないから間接的に描いて正義感の維持を目的にしている。そんな気にさせますね。

だから全ての脚本は「悪は報われてはならない」を基本に据えています。それが弱点を持つ民主主義を補正していく唯一の方法ですから。民主主義を健全に保つためには正義の筋を通すストーリー、秘密の暴露が必要だと思います。弱点は必ず機密扱いになりますが、その機密がどんどんマスコミなどによって暴露されたらどうでしょう。弱点となる機密を無くすしかなくなりますね。その結果民主主義の弱点は減っていく。そう考えると儲かれば何でも報道するとしても報道の自由は実に大切なことだとわかります。ウィキリークスだって考えようによっては世界平和にとって重要な機能なのかもしれません。民主主義の弱点を補う機能として。

プロポーズの言葉は言わないで、相手の前で自分の母親に今度結婚すると電話します。こんなプロポーズもありですね。相手も断りにくいのかも。

二人が逃げていく中でいろんな困難に会います。お互いが相手のために身体を投げだした時、二人の間には愛が芽生えたという演出ですね。自分たちの人生の中でも身体を投げ出さないまでも、お互いに相手のために行動することで気持ちが通じ合うということですね。

正義と悪が明確な映画で、色々深読みさせてくれる素晴らしい映画でした。

西の魔女が死んだ1枠.jpg木香歩のロングセラー小説を映画化した、祖母と孫のひと夏の暮らしを描いたファンタジー。西の魔女ことイギリス人のおばあちゃんを大女優シャーリー・マクレーンの娘のサチ・パーカーが演じ、ともに過ごす少女に新人の高橋真悠がふんし、豊かな自然の中で心温まる交流をはぐくんでいく。

日々の生活を丁寧に描いています。台詞に合わせたカットバック、魔女になる修行と称して登校拒否の孫に日常生活に必要な仕事をして見せて、次に手伝わせて、任せて身につけさせていく。そして上手だね、センスあるねと褒める。

孫の心がだんだん開いてくる様子が手に取るように分かります。

魔女になる基礎トレーニングいう子どもにとって魅力的な誘いの言葉がいいですね。孫は一日のスケジュール表を作り計画的な生活が送れるようになっていきます。押しつけではなく魔女になる楽しい修行として。この企画が最高にいいと思います。

この映画はサラリーマン時代に見ていたら、深くは考えなかったかもしれません。忙しくて家でも仕事のこと考えないと回っていかないのが給料を取るサラリーマンですから。定年になって時間の余裕ができてじっくり考えることができるようになると映画の味わいも変わります。

深く考えて何を伝えているのか探る時間ができます。時間の余裕があるから優雅な魔女のおばあさんの生活ができると思います。日常生活の一つ一つを大切に行えます。お茶の時間にゆっくり会話したり、悩んだり、考えたり、きっとこの時間的余裕が人生の素晴らしさを体験させてくれる基本的条件なんでしょうね。

そして、物事の正しい方向を見ることと、自分で決めて行動することが大切だと教えます。大切な人生訓ですね。この混迷する現代において正しい方向を見据えて自分で判断していくことは自らに言い聞かせたくなります。

人は死んだらどうなるの? 分かりません、死んだことないから。

焦ってはいけない、時間のかかることもあるのだから。

ラストでガラスにメッセージを残して死んでいく魔女のお婆ちゃん。

ストレスに晒されて悩んでいる子供にどう接してやるべきかを教えてくれるすばらしい作品でした。

感謝。

ヘンゼルトグレーテル枠.jpgグリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」のその後を描いたアクションホラー。お菓子の家で魔女に捕らえられ、魔女をかまどに突き落として生還した兄ヘンゼルと妹グレーテル。15年後、成長した兄妹は魔女ハンターとして活躍していた。ある日、子どもの誘拐が頻発する村から事件の解決を依頼された兄妹は、黒魔女ミュリエルを追うが……。主演は「ボーン・レガシー」のジェレミー・レナーと「プリンス・オブ・ペルシャ」のジェマ・アータートン。

この映画小道具の武器を工夫しています。アクションは素手やその辺にあるもので殴りまくって、更には絞め技も。小道具では左右に撃てるクロスボウや折りたたみ式のスパイク銃、スタンガンなどなど想像を超えています。

ジェマ・アータートンは今回トレーニングを積んで極力スタントの力を借りずに自力で挑んだというアクションシーン。

白魔女と黒魔女がいるなんて善悪もはっきりしています。黒色は悪というのは暴力団が黒いスーツを着ているからでしょうか。もし暴力団やギャングたちが白いスーツに変わったら白魔女が悪になるかも知れませんね。

ではサラリーマンが黒や濃紺のスーツなのはなぜでしょうか。汚れが目立たないからか、悪いこと(汚れ)をしても目立たない黒色。私も会社のOLたちが黒いスーツばかりなので毎日がお御葬式のようだと言っていました。サラリーマンは男性も黒系ですね。きっと利益目標達成という利益追求だけを考えているから悪の黒になるのかもしれません。サラリーマンは家族の生活があるため会社の利益のためなら何でもしますから。違法行為でなければ。あるいは見つからないなら。だから黒系のスーツばかりなのかな?

私は日本人はできるだけ民族衣装を着るべきだと考えています。国家を代表する人々、国会議員さんは誇り高き民族衣装をどうして身につけないのでしょうか。海外に日本国を代表していく人は民族衣装が当たり前ではありませんか。外国では民族衣装を前面に出しているのに。明治時代に西洋かぶれにならざるを得なかったのは分かります。しかし、迎賓館もどうして洋式建築なのか、どうして建て替えないのか。日本人なら情けないと思いますよね。外国人が見てもおかしいと思うはずです。どうして日本建築ではないのかと。

話はそれましたが、ファンタジー作品なのに魔女狩りアクションで迫力満点、素晴らしい映画です。

ボーンレガシィ1枠.jpg暗殺者ジェイソン・ボーンと彼をめぐる陰謀を、壮大なスケールで描いた『ボーン』シリーズの裏で進行していたストーリーを描くアクション大作。前3作と同じ世界と時系列を舞台に、ジェイソン・ボーンとは別の暗殺者アーロン・クロスが繰り広げる戦いを活写する。『ハート・ロッカー』のジェレミー・レナーが暗殺者アーロンにふんし、体を張った見せ場を次々と披露。

CIAの極秘プログラム“トレッドストーン計画”によって生み出された最強の暗殺者、ジェイソン・ボーンが、ロンドンで新聞記者に接触しようとしていた頃。ボーンと内部調査局のパメラ・ランディ(ジョアン・アレン)の告発によって計画が明るみに出ることを恐れたCIA本部では、国家調査研究所のリック・バイヤー(エドワード・ノートン)が証拠隠滅のために全プログラムの抹消を命じる。

このストーリーは結構現実性を感じます。会社でも不都合が起きると方針転換しますよね。そして不都合なことはなかったことにすべく、全てをシュレッダーに。これが政府機関だというだけで、機密諜報機関であればこうなるということでしょうね。働いている人たちは普段の仕事の延長で殺人や誘拐や爆破をやっていますが、普段からそんな仕事をしていると考えたらそんなものかもしれません。

 

彼の体調を管理しているステリシン・モルランタ社では、突然、職員が銃を乱射。居合わせたマルタ・シェアリング博士(レイチェル・ワイズ)は九死に一生を得るが、研究所で行なっていたことに事件の原因があると知っていた彼女に、再び危機が迫る。その窮地を救ったのはアーロン。薬を求めてマルタのところへやってきた彼は、薬はすでに服用が中止され、プログラム従事者の体には半永久的な効果を持つ活性ウイルスが培養されていることを聞き、彼女とともにウイルスを製造しているマニラへ向かう。

戦争を目的にした人体実験は大東亜戦争当時から各国で実際に行われていたことであり、実際に今も秘密裏に行われている可能性はあると思わせます。ただ、人間のどの機能を引き上げるのか、どの機能を無くすのかは分かりません。

 

バイヤーは精鋭の人間兵器“ラークス計画”の作戦員をタイのバンコクから送り込む。路地の入り組んだマニラのスラム街で、究極の暗殺者たちによるチェイスが始まる。

これは映画の見せどころで迫力ある映像で片時も目が離せません。人間兵器をテーマにした映画はたくさん作られていますが、やはりどこかにヒントを得ているのだと思います。オリンピック選手は特定の身体機能に特化して伸ばしたものですし、ドーピングの薬物はそれ機能をさらに引き出す効果があります。

本当に伝えたいことというと、諜報機関の活動の一端を映画で見せることで、このようなこともできるということを伝えているのかもしれません。また、戦闘能力を極限まで高めるとしぶとく生き延びることができるということを伝えているのかもしれません。言い換えれば、極限まで高めた一芸を持てば生き延びると言えるのかもしれません。私たちも一芸を磨かなくては。

楽しめる映画でした。

ジャックと天空の巨人枠.jpg童話「ジャックと豆の木」をベースに、人間と巨人の壮絶な戦いを描く3Dアドベンチャー大作。中世のイギリス。農家の青年ジャックは、ふとしたことから人間界と巨人界を隔てていた禁断の扉を開けてしまう。何百年にわたり人間界から隔絶されていた巨人たちは、かつて自分たちが住んでいた地上を取り戻すため人間界に足を踏み入れ、ジャックら300人の人間が、100人の巨人を相手に戦いを挑む。

女王の生活とジャックの貧乏生活がフラッシュバックで並行して描かれます。

女王は冒険を求めて庶民の世界に飛び込んできます。そこでジャックと知り合います。

庶民が王女様と知り合いになり、友達になり、命を助けて結婚する。夢物語ですね。

天空の世界と地上の世界、二つの世界を魔法の巨大な豆の木が繋ぎます。作品の大黒柱だと思います。二つの世界を何らかの方法でつないで行き来する物語は沢山ありますよね。

巨大な豆の木も迫力があります。巨人たちが迫力ありました。CGも美しく処理されていました。スケールも大きく見ごたえがありました。

物語の原型って童話にありますよね。童話を下敷きに脚本を膨らませて脚色していく。そんな原型を見る気がしました。物語には必ず必要な敵役、そして悪者。これと闘う主人公が何度も危機に会いながら何とか生き延びて、戦いを繰り返して最後には勝利する。物語の原型は分かっていてもなかなか書けないのが脚本ですね。でも一度童話を下敷きにした脚本に挑戦したみたいですね。

私たちがあこがれの身分違いの女王様、お嬢様と結婚するストーリーと考えると面白いかもしれません。お嬢様がその気になるように脚本を書いて役者に演技させて最後はお嬢様の気持ちをゲットする。聞いたことがあるような話ですが、自分が熟知しているオリジナルな舞台で執筆すれば作品にできますよね。そのような物語の原型について考えさせてくれる映画でした。

アルゴ3枠.jpgイランで実際に起こったアメリカ大使館人質事件の救出作戦を描くサスペンスドラマ。1979年11月4日、イラン革命が激化するテヘランで過激派がアメリカ大使館を占拠する。52人が人質になるが、混乱の中、6人のアメリカ人が自力で脱出。カナダ大使の自宅に身を潜める。CIAで人質救出を専門とするトニー・メンデスは、6人を安全に国外へ脱出させるため、大胆不敵な作戦を立案。「アルゴ」という架空のSF映画を企画し、6人をその撮影スタッフに偽装して出国させようとする。12年度・第85回アカデミー賞で7部門にノミネートされ、作品賞、脚色賞、編集賞の3部門を受賞した。

台詞の読み合わせのシーンとイランの人質の映像がフラッシュバック。

乾杯「アルゴ糞くらえ」

どうして糞くらえなんでしょうか?

ハリウッドは何でもアリ、考えうるろくでもない作戦→合衆国政府は君たちのSF映画を承認する。

刑務所で読む本がいるか? いや、捕まれば即殺される。

撮影許可証明をとっておけ、捕まった時に役に立つから→ラストの空港で役に立ちます。

ただ今イランの上空に入りました、アルコールは回収させていただきます。→ただ今イランの上空を離れてアルコールの提供が可能となりました。みんなが脱出できた歓喜に包まれます。空港を飛び立つだけでなく領空を出て初めて脱出できたのですね。

シュレッダーのゴミはマクロレンズから入ります。映画でもマクロレンズを使うと臨場感が違いますね。

そして合衆国政府の作戦中止命令。しかし、現地ではいまさら止められない。継続しないと辻褄が合わなくなりそれこそ殺されます。映画では悪い知らせが来ると電話を壊すシーンがよく演出されます。頭に来た時他の演出を考えると新鮮ですね。

イランの道路脇には自動車が燃えています。これだけで治安の状態が伝わります。

作戦を継続する許可が得られないと航空券がキャンセルされたままに。大統領首席補佐官に連絡がつかない時、彼の子供の学校に電話して緊急連絡先を手に入れます。これなんかはなるほど感があります。

クライマックスの空港を通過するシーンでは米国で作戦を継続するために奔走する映像、空港の緊張感あふれる映像、写真を張り合わせて逃げている人を特定する作業をフラッシュバックで緊張感を高めています。そして写真がばれてしまいます。空港ではイスラム文化指導省の撮影証明書が効果を発揮します。空港の係官が撮影事務所へ電話をしますが、撤収した事務所でぎりぎりで電話に出て、彼は今外国にロケハンに行っていますと回答して事なきを得ます。空港では絵コンテで説明するし、広告を見せて口で上手に説明します。彼らは役者になりきります。

飛行機はスイスのJAL123便、これも中立国の飛行機で意味があるのでしょうね。

空港では6人の正体がばれてイランの軍人がどんどん迫ってきます。そこにスリルが生まれます。軍隊が搭乗口に迫り、車で飛行場で飛行機を止めるべく追いかけます。止める直前に飛行機は上昇します。車は空港の柵で停止。

そして上昇して飛び立つ飛行機のアナウンス、ただ今イランの上空を出ました。アルコールの提供が可能になりました。これがクライマックスです。全員抱き合って歓喜に包まれます。

「アルゴ糞くらえ」

トニーは冷却期間と言って、家族と別れて住んでいたのに最後は家族と共に暮らします。作戦の成功で人質が解放され、主人公の家庭も元に戻ります。離婚が多くて家族の関係が複雑になっている現代としては、ラストで家族が元に戻る、子供と暮らせるようにしたいものですね。結果として離婚を減らすような影響力を持つ映画が作れたらいいですね。子供のためにも。

婚前特急枠.jpg今を楽しく生きるため、5人の男性と同時に付き合っていた独身女性が親友の結婚を機に自分を見つめ直し、運命の相手を見つけるまでをユーモラスに描いた恋愛コメディー。彼氏5人を掛け持ちしながらも、どこか憎めないヒロインを、『蛇にピアス』で数々の映画賞を総なめにした吉高由里子がはつらつと演じる。

冒頭、電車に乗る時にデーブキッスをしていて乗り遅れるシーンから始まります。

人生は時間が限られているから有効に使わないとと言って5人の男性と並行して付き合っている。恋愛とはsex目的なのにそのシーンはなく、それでもわかるように演出されていました。今度お父さんと遊ばない?というと、親子だねというセリフ。親子が女癖が似ているという演出。

「結婚は勢いだというし」というセリフも実感があります。確かに何も分からないまま勢いで結婚する部分がありますから。相手があまり考えていないうちに勢いで結婚に持ち込む。実際はこういうパターンも昔は多かったと思います。今は、数年間も同棲して恋愛と結婚生活をシミュレーションしてから入籍ですから全く変わりましたね。それでも離婚が多いというのは訳が分かりませんけど。

「別れよう、いや付き合っていないから別れることはない、今まで通り身体だけの関係を続けよう」このセリフは何とよく考えられたものでしょう。実際別れ話を出されたときに使えますよね。

人間大切なことは思いやりというセリフもいい。

世間話をしていて、相手が拒否していないことが感じられたら、よかったら少し歩きませんか?と誘う。ナンパ技術そのもの。

透明の指輪、金がないからケースしか買えなかったといいます。それでいいと言って透明の指輪を自分の指にはめて婚約を受け入れる。これもいい演出。最後に透明の指輪は返して殴りますけど。

本棚にはハウツーものの本がいっぱい、なりたい職業がてんこ盛り。こんな演出で男性の心情を表現。

最近の若者たちの考え方はSEXのハードルが低く、並行して複数の相手と付き合うのでしょうか?

5人は非現実的と思います。何故かというと、誰に何の話をしたのか分からなくなるからです。たとえ二人でも難しいですから、多分複数の相手の場合は同じ話題で話をしていく、そうすれば翌週に会った時に話のつじつまが合うからです。それと相手ごとに何を話したのか記録をつけておく。こまめな性格でないと複数の相手と同時進行で付き合うのは難しいと思いますね。

二人が喧嘩してアパートの壁を突き破り隣の部屋に倒れ込みます。そこで、喧嘩は生きている間にやりなさいと言われます。その台詞を言う老婆がなんと、白川和子さん。懐かしいじゃないですか。あの一世を風靡したAV女優の白川和子さんです。このキャストどういう意味があるのでしょうか。若い時はやりたいことをやれ、若い時しかできないんだからと言っているように感じました。AV女優も若い時しかできませんよね。老婆になってからは無理ですから。なんか監督の言いたいことを感じます。

ラストシーンは結婚して旧いヂーゼルカーで去っていきます。電車や新幹線や飛行機ではありません。これはどういう意味があるのでしょうか。婚前特急というタイトルの意味とどうからんでいるのでしょう。人生の限られた時間を有効に使うために5人の男性と並行して付き合っていましたが、最後は二人がぜいたくはできないけれども自分たちのジーゼルエンジンでゆっくり歩んでいく。そんなメッセージでしょうか。

幸せの教室1枠.jpg

トム・ハンクスが『すべてをあなたに』以来、久々に監督、脚本、主演を務め、リストラから気持ちを切り替え通い始めた大学で運命を変える女性に出会う中年男性を描くヒューマン・ドラマ。大学を卒業していないがために仕事をクビになる男にトムがふんし、教えることへの熱意をなくした教師をジュリア・ロバーツが演じる。『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』のタラジ・P・ヘンソンや『ジャッキー・ブラウン』のパム・グリアなど多彩な俳優陣が共演。

ドラマとしては山もなく谷もない脚本という感じでした。二人の有名俳優の演技とジュリア・ロバーツのファッションが見どころでしょうか。

トムの部屋を同級生が片づけに来て、なんという汚い部屋なの見てられないと言って掃除してくれます。これは男性の一人暮らしに言えることで、やはり一週間に一度の掃除が精いっぱいなので、埃りを取るだけ、到底整理整頓まではいきません。独身男性の部屋の様子がよく描かれていました。

トムは通学用にバイクに乗って経費を節約しますが、これは実は大きな意味があります。実際は車を捨ててバイクにしないと本当のメリットはないのですが。彼は車を持っているもののガソリン代を節約する目的でバイクにしたのです。現代でもお金を貯めている人は自転車かバイクしか持っていない人です。車を持っている人は相当の経費を負担していますから。

都内に住んでいて車を持っていない若い正社員の人たちは大体年に100万は貯められますね。車の経費分が貯蓄できるということ、別に節約している分けではありません。バイクは危険だからと持たないようにすると更に交通事故のリスクもなくなりますね。10年たてば確実に1000万円になりますから馬鹿にはなりません。それくらい車を持たないことは大きな意味があるのです。

20代の大学生の中に40歳代の中年学生が入るとどうなるのか。結構自然に受け入れてくれる。友達付き合いができる。その辺が描かれていると思います。教師と年齢が近くて近づいて行くのは自然なことでしょう。大学は教師も学生も一般の社会経験、職場経験がほとんどありませんから中年学生はきっと新鮮に見えると思います。社会経験が20年もある人が同じ教室で学び始めたらその違いにがくぜんとするはず。現場経験は授業の内容を実践して課題を解決して収入を得ているプロの経験なのですから。

県知事経験者が大学教授になったりしますが、その経験はどんな高名な知事未経験教授の講義よりもレベルが高いのは当たり前です。つまりトムが評価されるのは当然ということなのです。大学生のレベルは社会経験のある人と比べられないほどのものだと思います。だって何も経験がないから仕方ありません。何かの事情で40歳代で大学に行く人があればぜひお勧めします。きっと楽しめると思います。

この映画は敵対する人が出てきません。初めにトムの首を切るスーパーの幹部だけです。だから葛藤がないのでしょうね。それなりにいい人ばかりですから。トムがあえてこのような脚本を書いたとしたら何を言いたかったのでしょうか。

一番長く描かれているのは大学の生活です。若い大学生との交流を通してトムが変化していく、中年の大学生活を描きたかったのかもしれません。だから大きな葛藤もありません。しかし、新しい出会いがあり、仕事が見つかり彼は変わっていきます。幸せの教室というタイトルの通りに、そして美人教師の恋人という幸せをつかむ。

まったりとした映画ですが、何を言いたかったのかを深く考えることで映画の魅力が見えてくるはずです。

ボーンスプレマシー枠.jpg

マット・デイモン主演の大ヒット・スパイ・サスペンスの続編。恋人を殺され、CIAの陰謀に巻き込まれた元工作員が、追われる者から追う者へと転じ、し烈な闘いを展開する。

地下鉄路線を確認して逃げる。車の中で地図を見て逃げる。冊子を丸めて戦うなど、細かな演出がいい。

カメラアングルがいい。パメラと電話で話すときはいつも見ていて「君のすぐ近くにいるだろう」とくる。洒落た演出。

脚本がよく先が読めない、展開にスピード感。一気に最後まで見てしまいます。こういう娯楽映画って素晴らしいと思います。

最後に自分が初仕事で殺害した夫婦の娘に謝りに行くシーンがあります。母親が父親を殺害したのではなく、自分が二人を殺害したと。このように世間には隠された真実が数多くあると思います。個人レベルから、職場、組織的なもの、国家の権力者など秘密の疑惑がWEBには溢れています。どこまで事実なのかはわかりかねますが、火のないところには煙は立たないですね。職場では仕事を達成する目的から都合の悪いことを隠すのは当たり前、都合良くでっち上げ、結論をあいまいにすることも少なくないと思います。悪意もありません、それが組織のためなのですから。

知らないことの幸せも多くあると思います。今の環境しか知らなければこんなものかと思いますが、快適な環境を知ることで不満が生まれますから。

事実を受け止めて適切な判断を下すということが将来に向かって必要だということもあります。真実を知る権利はその矛盾点や内部告発を通していくら隠してもWEBにどんどん公開されてしまいます。いい時代だと思います。権力者などが隠している情報が次々に暴露されてどこに許されざるものがいるのかを考えるヒントになります。歴史を執筆しているのはだれなのかということを考えると、私たちのリスクも見えてきますから。

法律で機密情報公開を規制するメリットとデメリット、機密情報も公開年限を決めて10年後には全て公開しなければならないというようにするべきかもしれません。そうしないと完全に闇に葬られるからです。10年しか隠せないのであればでっち上げも減ると思います。墓場まで持っていく秘密は少ない方がいいですから。

映画は脚本の中に観客に深く考えさせるきっかけを仕込んでいると思います。真実を知ることの大切さ、知らせることの大切さを。脚本はこのために書かれたのかもしれません。それが脚本家と監督の正義なのかもしれません。映画って素晴らしいですね。

説得枠.jpg周りに説得されて婚約を解消した恋人2人が、よりを戻すまでを描いたもの。オースティン最後の小説で、1816年7月18日に完成し、没後の1818年、『ノーサンガー僧院』とともに合本で刊行された。ほかの作品に比べて穏やかな展開で、主人公も派手さこそないが、物語の舞台が移り変わる中で登場人物のしみじみとした情緒が感じられる秀作である。

ピアノを弾くアングルがよかったです。

柵を乗り越えるための階段が柵の外側と内側についていて、人々が階段を上って柵を超えるシーンがよかった。

ラストシーンでは友達が喋っているにもかかわらず二人の耳には聞こえない演出、二人には息使いしか聞こえていないのです。これもいい。

「説得には今度は絶対に応じない」という決め台詞。説得に応じて辛い8年間を送ったことが伝わります。

イギリスの貴族社会、社交階級の様子が丁寧に描かれています。

家族が働かず食べていくために子供の結婚で財産の維持を画策していく。

この物語は自然な展開で無理をしていません。登場人物の個性をきちんと描いて観る者を引きつけています。正攻法でしょうか。見習う点があります。このような作品が古典になるのですから。

相続税贈与税が無い国

中国、香港、シンガポール、オーストラリア、スウェーデン、モナコ共和国、リヒテンシュタイン、ロシア、メキシコ

これらの国では財産があれば子孫まで財産家。

日本は最高税率55%ですから半分になりますが、実際は財産を処分して納税することになりますからお屋敷の維持は難しいかと。

人間は生活のために働くというのが日本の考え方ですが、働かずに財産で生活、好きに事をして過ごせたら最高でしょうね。親父が生前に言っていました。働くことが美徳といわれるのは、働いていると週末しかお金を使う時間がないからだと。だから金がたまる。毎日遊んでいたら毎日金を使うから財産はあっという間に消えてしまう。だから働いていると金がたまると教えられました。つまり働いている時間は金が使えないからいいということですね。

現実にこのようなペアもいるでしょうね。一度婚約しても何かの事情で解消。その後何年か経って再開して焼けぼっくいに火がつく。

両方が独身ならいいですが、片方、あるいは両方が既婚だと困ったことに。

200年も前に書かれた作品。愛や苦悩を真に迫って描くことができれば何百年後でも読者を感動させられる。それは幾多の名作が証明している事実ですが、200年後の読者を感動させるなんて偉業ですね。

結婚とはどういうものかを考えると、「幸せになって」という言葉が一般的です。一体幸せとは何でしょう。私は幸せを定義していまして、子供の結婚式で披露しようと思いましたが長くなるためカットの憂き目に。私は幸せとは二人が共通の目標を持って達成することだと考えます。これは子供を3人育て上げるとか、家を持つとか、会社で出世するとか、店を持つとか、友達を20人持つとか、ボランティア活動をするとか何でもかまいません。

好きだとか、嫌いだとか、sexパートナーとして独占するとか、そんなことではありません。それは主観的なことで心の持ち方で変わるからです。そんなものを目標にしていてはじきに結婚なんて破たんします。

そうではなくて「幸せ」とは「達成感」と定義して二人で目標をいくつも設定して達成していく。その過程と達成感を幸福感と置き換えて味わうのです。これが幸せというもの。試験でも就職でも、仕事でも達成できると達成感が味わえます。それが幸せではないでしょうか。曽野綾子さんの受け売りといわれるとその通りで、私は昔から曽野綾子さんを読んでいて考え方も似通ってきているかもしれません。達成感こそ幸福観だということを少なくとこ自分の子供達には伝えたいと思っています。

皆さんは皆さんのお考えでいいと思います。人それぞれ自分の幸福感を満たすことが大切なのですから。

オータムインニューヨーク枠.jpg

限られた命の中で、人はどこまで一人の人を愛せるのか? 年齢差を越え、生涯はじめて経験する真実の愛。そして死。この永遠のテーマをロマンティックに演じているのが、脚本の段階から、ウィル役には彼しかいない、と熱望され、自身もニューヨーカーである「プリティ・ウーマン」「愛と青春の旅だち」のリチャード・ギア。対するシャーロットを演じているのは「シザーハンズ」「リアリティ・バイツ」のウィノナ・ライダー。少女のような無邪気さと大人の女性の色気を併せ持つ彼女独特の魅力がいかんなく発揮され、その輝くような美しさが、この映画にハリウッド黄金期の華麗さを加えていることは間違いない。プライベートでもヴィンテージ・クローズを愛用している彼女は、用意された衣装以外に私物の衣服類を提供するほどの入れ込みようで、心の動きが彼女の瞳に映し出されるのを目の当たりにするのは、実に感動的な経験だった、とリチャード・ギアも絶賛している。「オフィシャルWEBSITE」

この映画の脚本はヒロイン役のウィノナ・ライダーのための映画と考えると理解できるはず。幼さと大人の女性の魅力を兼ね備え、輝くように美しいです。

天使のような若い女性の美しさがファッションとともに観る人を楽しませます。彼女の演技も素晴らしく心の動きが伝わります。衣装と彼女がマッチしてそれは素晴らしい映像になっています。

若くて美しい女性が父親くらいの年齢の男性と恋をするのは大抵先の短い病気持ちという場合が多いですね。そうでないと釣り合わないのかな。そんなに中高年の男性の価値は低いのでしょうか。かも知れませんね。加齢臭親父は嫌われるばかり。外出の時はシャワーが欠かせません。

プレイボーイをやらせたら右に出る人がいないリチャード・ギア。彼がさらに女性たちを美しく見せています。男性は普通の外観でも遊ぶ金に不自由していなければモテルと思います。月に15万以上の小遣いがあれば。

そういえば昔東京の知人で毎月20万円を小遣いにしていた人がみえました。毎週頑張って5万円使うのですが、週末に金が残ると全部競馬でスッてしまう。たまに勝つと寿司をおごってもらいましたね。世の中には金に不自由しない人というのはいるものです。本当に人生は色々です。

気に入ったセリフ。

リッチな日々の後に、ナッツも買えない日がやってくる。

若さってどれくらい続くと思う? 普通は1分半? 写真の彼女は永遠に若い、そう思うことが慰めになる。

真実は腐臭を放つ。

愛しい世界を抱きしめよう。

なぜか女性はうそを好む。

残された時間を誰と過ごすのか。

金魚はいつも悲しさのたとえ。余命短く、外に出ると死んでしまう喩えに使われます。

美人は怒るとその険しさと美貌の対比でさらに怒りが表現できます。

二人で過ごすこういう時間がほしいの。

観て楽しむラブストーリーの映画もたまにはいいものです。心が休まりますから。

ラマン1のコピー枠.jpg

15歳の少女と中国人青年の愛人関係を描く、マルグリット・デュラス原作の自伝的ベストセラー小説の映画化。監督は「子熊物語」のジャン・ジャック・アノー、製作は同作のクロード・ベリ、脚本はアノーとやはり「子熊物語」のジェラール・ブラッシュの共同、撮影はロベール・フレス、音楽は「カミーユ・クローデル」のガブリエル・ヤーレが担当。<Movie Wolker>

「ラ・マン」は男性名詞で、「愛人」というのは、ジェーン・マーチではなく、レオン・カーフェイ演じる男の方ですね。

この映画は傑作だと思います。それは恋愛をきちんと描いているからです。監督がこのように描けるのは経験があるのでしょう。身も心も離れられなくなったという経験が。素晴らしい本物を知っている監督ですね。

冒頭、マクロレンズの映像から入ります。いいですね。初めにキャストの人物像と環境を描いてから物語に入ります。

私は5回くらい見ていますが、始めてみた時、上記の写真にあるように車中で手のひらを重ねるシーンに感動しました。次第に近付く指と次第にからまる指、そして二人の表情が実にリアルに演出されていました。知らん顔して指を絡ませる。女も知らない顔しているが目をつむり口をわずかに開きます。受け入れていますね。

走る車のアングルもいいです。男の手は最後は太ももにあり寄宿舎につきます。霞む車窓。寄宿舎に行く前に女は車に戻りガラス越しにキスをします。何と素敵なアングル。二人の間にはガラス一枚しかないのです。寄宿舎では蚊帳の中に寝ます。虫の多いことが演出されています。

愛の巣には合計7回行きます。

最初は愛の巣で彼女の方から男を誘います。それは多分年ごろの女性の好奇心から。寄宿舎で男の話をしていましたから。しかし、男はあなたは幼すぎるから抱けないと言います。すると少女が男の服を脱がしていきます。そして未知という黄金を愛撫。ベッドの上の男の後ろ姿が美しく撮られています。彼は親の財産で働く気力を無くしていて、やっている事は女を愛する事だけというセリフ。

愛の巣は中華街シヨロンの喧騒が鎧戸から入ってきます。路を歩く人の影が透けてみえます。そんな愛の巣。何という素晴らしい演出。

2回目に会うときは愛し合う二人を見事に描いています。演出とアングルが素晴らしいと思います。この時点で身も心も一体だとわかります。ラストまで見通せます。離れられない仲になっていると。これこそ男と女の愛の描写ですね。

3回目は彼は鉢植えに水をやります。まるで自分に水を与えるように。毎日この部屋で会おうと言います。艶めかしいアングルがいい。マクロレンズも使っています。

次は家族を連れての食事。

4回目はしんみり入ります。男の影で少女の顔が隠れます。家族との食事会で深く傷ついた男の気持ちを演出。

そして母親が寄宿舎に娘の外泊を頼みに行きます。自由にさせないと飛び出してしまうからと。そして自由に会えることになります。

彼女との結婚を親に反対されて、私は父の財産で生きているから逆らえないと。

海辺で風が冷たくなり彼女に上着をかけてやります。完全に愛し合っている事が演出されています。

5回目は愛し合った後ワインを飲んでいます。もう一度言ってほしい「お金をくれるからここにきてのだと」と頼みます。そして君に出会って初めて苦悩を知ったと言います。もう抱けない、君が僕を愛していないから。と言いますが、彼は涙を流します。

乱暴者でヘロイン中毒の兄をフランスに返す時、家族の心情が見事に描かれています。

6回目はもう来ないかと思ったと言い、アヘンを吸います。未練が残って辛い、君に恋焦がれて死にそうだといいます。すると彼女は結婚後もう一度ここで会いましょうと言います。そして彼の結婚式を見ます。

母親が彼は恩人だと言います。ヘロイン中毒の兄の借金も払ってくれたし、渡航費用も出してくれたと言います。

7回目愛の巣はもう引き払われていてベッドのシーツもありません。彼が来ないことを暗示します。彼女は植木鉢に水をやります。待てども来ないので一人人力車で戻っていきます。人力車の下にぶら下げたぽつりとした赤いランプが彼女の心情を表しています。

そして彼女はフランスに帰ります。彼が見送りにきている。打ちのめされて身じろぎできず。彼が見つめているのを知る。この船では彼と初めて会った時と同じポーズをとります。陸も地平線に消えた後、ショパンのワルツが聞こえてきます。ピアノが船内に響いて彼女は「あの人を愛していたかもしれない」と言います。今やっと愛を見出したと、白い歯と涙目だけのアップ。ワルツをトリガーにして心情を描くなんて素敵ですね。

そして数十年後、彼女が作家になってから彼から電話があります。「昔と同じようにあなたを愛していると」そして死ぬまで愛し続けると。

そう、これが本当の恋愛映画ですね。2回目の愛の巣のシーン以降ラストまで二人は身も心も愛し合っていたのです。ラストで男性は生涯愛し続けると言いますが、女性はどうでしょう。当然同じだという演出ですね。究極の恋愛映画だと思います。この演出皆さんはどう思われますか。私は最高だと思います。身も心も一体で二人が離れられない映画はいろいろありますが、この映画と比べて如何でしょうか。

私は一目見た時にこの映画に感動しました。きっとわかる方はお分かりになると思います。これが恋愛の味わいで大変素晴らしいと思います。

恋愛と結婚は当然違ってきます。恋愛はsexを目的にしたもので身も心も一体になることだと定義しています。結婚は子孫を残すことが第一目的で、二人で助け合って生きていくことが第二目的。

ですから子供を作るときは恋愛の部分も必要ですが、そのあとは生活力、包容力と信頼関係になると思います。優秀な監督が深く耕した映画を深読みすることで人生を味わう綾模様が見えてくると思います。

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 「サイダーハウス・ルール」のラッセ・ハルストレム監督がジュリエット・ビノシュ、ジョニー・デップ主演で描く愛のファンタジー。古くからの伝統が根付くフランスの小さな村に、ある日謎めいた母娘がやってきてチョコレート・ショップを開店する。厳格なこの村に似つかわしくないチョコだったが、母ヴィアンヌの客の好みにあったチョコを見分ける魔法のような力で、村人たちはチョコの虜になってしまう。やがて村の雰囲気も明るく開放的なものになっていくのだが……。<yahoo映画>

地区の古い因習をゆっくりと解放させていく、甘い魅惑のチョコレートの味で。

「楽しみを享受する大切さや、人生の誘惑について描いた物語」。だからチョコレートやパーティやダンスを楽しむ。サルサの楽しさがわかりますから理解できますね。ラストではヴィアンヌが一番過去に固執していたのは村長ではなく自分だと知る。そしてこの地に落ち着くことに。ファンタジーです。まるで絵本を見るようでした。

水色やベージュといった淡い色の世界の中で、異邦人(異物)として描かれているヴィアンヌ親子の象徴的な色が赤で、カラーリングでも異邦人だと表現していました。村の景色もよかったと思います。

何を禁じるかではなく何を受け入れていくか、伝統を徐々に新しいものと融合させていく。素晴らしいストーリーです。そして主役は嵌まり役を探すことの大切さを実感しました。外観や演技ではなく嵌まり役のキャストを探すですね。

今の日本の過疎の進む地方に当てはまる部分があります。昔からの行事はやめられない。止めようと言い始めた人はその後亡くなったとか、破産したとか、祟りの言い伝えがあります。年寄りがいい伝えていくのです。

だからだれも伝統行事の縮小を口にはできません。いつ、誰が変えていくのでしょうか。多分過疎化が進んで村そのものが自然消滅する場合が多いのだと思います。なぜどうなるのかわからないのか、それはみんな出ていってしまって残った老人はそこで亡くなるからです。

では過疎の地区を守るべきなのか、さあどうでしょう。少子化を止められるでしょうか、それと同じだと思います。将来は移民を受け入れて、移民の人口が増えて多数決でも半数を占めるようになり、行政も移民主導に変わっていくのでしょう。原因はライフスタイルが変わってしまったからです。有効な対策を打てない限り止めようがありません。

昔のように女性が家庭にいて家庭という世界で生涯を終える。このようなことが昔はできたのです。夫の給料だけで暮らしていけた。子供もたくさん産んで。どうして共稼ぎをしなければならなくなったのか。住宅ローン、オートローン、教育費などの経費の増大。そして、女性の世界観が変わって家庭だけではなく社会に出て人生を謳歌する。広い視野を持つ人になる。このようなことが叫ばれて女性が社会に進出。確かに世界が広がることはいいことです。

あるべき姿はどうなのかと考えた場合、男性の給与が1.5倍になれば、女性は経済的な理由では家を空けなくて済むと思います。社会に出たい女性は別です。実際、都市銀行に勤める男性の多くは半沢直紀のドラマのように妻を家に置いて子供は平均4人と言いますから。やはり男性の給与水準にも一つ問題があるのかもしれません。

女性の社会進出はいいのですが、男性が転勤になった場合、職を持つ女性はついていきません。そして単身赴任が始まります。しかし、専業主婦で有ればついて行けます。新しい土地の新しい生活を楽しめます。家族全員で転勤する楽しさを味わうこともできます。転勤は家庭にとってマイナスというものではなく、うまく利用すれば楽しいようです。

映画の北風が吹くと見知らぬ新しい土地に転居する人の話は分かる気がします。今住んでいるところに仕事があり、平穏であればだれでも定住します。まして土地を保有していたり、農家であれば転居など考えません。生まれた地域で生涯を過ごす農耕民族。他方、会社の転勤や手に職をつけて全国、世界を転々とする放牧民族タイプ、どちらが楽しい人生なのでしょう。

日本は転居が自由ということを忘れてはいけません。何と幸せなことなのでしょう。一度は札幌にも住みたいし、京都にも住みたい。なんといっても一番は首都東京ですけど。物価は地方と変わらない、生活費は地方に比べてぐんと安い。超便利、電車代は地方の6割と安い、東京は住みにくいと思っている1億人くらいの人、人生記ビデオ制作の時には詳しくお話しできますよ。ハッピーな人生の過ごし方を。

時の香り枠2.jpg本国、韓国で2000年の観客動員数第4位を記録するヒットとなった「リメンバー・ミー」を山川直人監督、吹石一恵主演でリメイクした切ないファンタジック・ラブ・ストーリー。不思議な無線機を通しておよそ20年の時を隔てた男女が愛を育む姿を描く。
 1979年、東京。英文科に通う百合は親友の幸子とともに母校で教職実習をできることに喜んでいた。というのも、そこは憧れの先輩香取の赴任先でもあったのだ。淡い期待を胸に学校へ向かう途中、幸子は事故に遭い入院してしまう。学校では入院してしまった幸子が受け持つはずだった通信部を百合が受け持つことに。顧問の先生からは一台の古い無線機を渡され、仕方なく家へ持ち帰る百合。ある夜、その無線機から男の声が聞こえる。慌てて応答する百合。二人は無線での会話に夢中になるが、やがて青年が2001年に生きていることに気づく。<allcinema>

77分と短いので自主制作映画の下敷きにならないかという気持ちで見ました。しみじみ感の漂う作品、キャストの顔が三人とも小さいのが特徴。評価はまちまちですが私はいろいろ参考になりました。

どうして電源を入れないのにトランシーバーが動くのかは説明がありません。ただ赤い月の日に何かが起こったという設定。意味がわかりませんでした。

無線が終わった時のバシャッという音がありません。これと無線機を通した機械的なセリフの声がありません。これは大きく損をしていると思います。

無線機から聞こえる声は実際に無線機を通すと機械的な硬い声になります、そして会話の終わりにバシャっという切断音が入ります。これはトランシーバーだと必ずあります。私は昔、JA2TQHアマチュア無線技師でしたからわかります。トランシーバーは一方通行の会話方式なのでバシャの音がないと切れ目がわかりませんから相手が話せないのです。電話のように同時双方向会話ではないのですから。

もしそうしていたら画面がきりりとしまったと思います。映画はマナの声だけだと緊張感がなくなります。ただセリフの交換をしている、説明セリフとなりやすい。しかし、車の音や爆発音、ピストル音、殴り合いの音、機械的な音を入れることで音に変化が生まれます。すると視聴者の耳が喜ぶというわけです。これは実際にトランシーバーの音を映画に入れた経験がありますから間違いありません。講評もトランシーバーの音を入れた途端画面の印象が閉まってよい結果になりました。そう、音の変化を仕込むべきだったと思います。

人は香りがするの、香らなくなったら死ぬ。どんな香りなんでしょうか、体臭ではなく存在感? 目をつむれば香るとはイメージ? 生きていないと香らないのは花? 人を花に例えているのでしょうか。擬人化ならぬ擬花化。時の香りとはその時代に生きている人が花のように香っているということ?

脚本のテンプレートにする場合、いろんな趣味の人がいて、物語の導入は教育実習、もしスポーツなら無線ではなく練習に集中して疲れて帰って眠った時に夢で出あうとか。試合の前日に夢で出会う、スポーツ用品店あるいはクラブハウスの鏡に自分を映したときに相手が現れるとか。考えれば骨格をテンプレートにすることはできるように思います。

ところでこの映画は何を伝えたいのでしょうか。愛ではない⇒相手のために命を投げ出さない。

恋愛でもない⇒sexがない。

信頼でもない⇒自分の手足の代わりに重要なことを頼んでいない。

時を超えた出会いを通して運命の何かを伝えたいのでしょうか。20前と現代の差がほとんどない描き方はどういう意味があるのでしょうか?車だけは古い時代のものを使っていましたね。昔流行ったハッチバックというタイプ。しかし、20年後ではバイクを使っていますから対比ができない、だから同じ時代に見えてしまうのかもしれません。セリフの年代説明ではだめですから。

韓国では「バイ・ジュン さらば愛しき人」という題名ですから分かりやすくて納得できます。日本のリメイク版のタイトルの意味を知りたいものです。

面倒見のいい娘役は、韓国では「ハ・ジウォン」が演じていたとするとイメージが少し変わるかもしれません。竹内結子似ですから。私はチェオクの剣で嵌まりました。

キャスト選びと作品のイメージは本当に大切。日本のキャストもよかったと思います。ほんわりとした映画でした。

許されざる者1枠.jpg19世紀末のアメリカ、ワイオミング。かつて冷酷な殺人鬼と恐れられたウィリアム・マニーも今は足を洗って静かに農場で暮らしていた。そこにある日、若いガンマンが賞金稼ぎの話を持って現れる。生活に窮していたマニーは再び銃を取る。旧友で相棒のネッド、若いガンマンを連れて街に向かうマニー。だがその頃、街では治安を守るため、保安官ビルがやってくる賞金稼ぎを片っ端から袋叩きにしていた。(シネマの見地より)

因果応報という流れが一つ、昔の悪友との信頼関係が一つ、殺人の罪について描いているのが一つ。

誰もが表の顔と裏の顔を持っていて、裏が強く出ると許されざるものになる。

人殺しは冷静な方が勝つというセリフがあります。過去におんな子供を殺した殺人の話は相手の五感を麻痺させて委縮させるに十分な話。対等に撃ち合うとしても相手は五感が少し委縮しているから負けてしまいます。だからおまえは人殺しだと言われても「そうだ」と答えます。これでみんな震え上がってしまいました。だから五感がマヒして片っ端から撃たれてしまいます。

ヤクザも昔チンピラをやっていて修羅場をくぐりぬけていれば、やはり度胸がつきますし、相手を委縮させるセリフも吐くと思います。攻撃方法も知っている、相手をだませる、だから喧嘩に強い。

会社でも同じですね。トラブルを何度も経験したり、修羅場をくぐりぬけてビジネスを回してきた人はトラブルがあっても驚きもしません。ただ原因を追究し、相手の話の弱点を探して突いていきます。一分のいい訳しかできなくても相手の出方次第で対等まで話をひっくり返します。さらに最悪時間が解決することを知っていますから。

保安官は正義の味方と思いますが町に君臨していて人権を無視したリンチを繰り返します。マニーは足を洗って豚と一緒に貧乏暮しをしていますが、非道の牧童の話を聞いて賞金稼ぎに行きます。これは貧乏がなせる技。子供の将来もありますから。貧乏が人殺しの引き金になるのは今も昔も同じ。だから生活保護という最低保証は必要ですね。これがあるから日本では殺人が少ないともいえます。

私は人が昔経験したこと、深く追求したこと、人殺しも同じで好きになるまで繰り返しているから、年がたってもその感覚は一瞬で取り戻せる。そこには体力は衰えているとはいえ、戦いのコツを知っている、人殺しは迷わずに相手より先に引き金を引く、そこには対等な環境で戦うということは存在せず、先に相手を殺すという目的だけがあります。

だから遠くから狙撃しますし、糞をしているところを撃ち殺す。相手が倒れているところを撃つ。死んだ方が負けというルールだけがあります。目的を見失って対等に勝負しても何の意味もありません。速撃ちの試合ではなく賞金稼ぎは賞金のかかった相手を殺すことが目的なのですから。目的を達成するには手段を選ばないことを伝えていると思います。目的を達成する大切さはどんな仕事でも同様ですね。

ラストで、優しい娘がどうして人殺しの極悪人と結婚したのかわからなかったというセリフ、これは伏線として初めのナレーションで出てきます。妻が天然痘でなくなったとしてもどうして極悪人と結婚して、彼を真人間にかえたのか。彼はそれに応えてほかの女は抱かない。女性の優しさが人殺しを改心させるということも伝えているのかもしれません。結婚とはそれほどに重要なものだと。人には分からないが二人の間には自分の人生をかけて達成する目標がある、尊いものがあると言っているのかもしれません。

若いガンマンは5人殺していると言うが実は今回が殺しは初めて。保安官は正義の味方のはずが無法者でリンチを繰り返す。

持ち物が小さいと笑われて女を切り刻む牧童、ライフルの名手が相手を殺せなくなる。足を洗った人殺しがまた人殺しに戻る。マニーはリンチされて死にかけるが九死に一生を得て賞金首を殺す、保安官を殺す。人の山と谷、裏表を言っていると思います。そこが面白い。

賞金稼ぎ、仕事人のような人や組織が必要だとしたら問題ですね。悪人が個人ならいいけれども、組織体の幹部だとか、行政の幹部だとか、国家の幹部の場合、映画同様に保安官の仮面をかぶっていますからそう簡単には退治できません。彼らの行動は合法化されていますから。webにはそのような「許されざるもの」があちらこちらに存在するという情報があって驚きます。表の顔があれば同様に裏の顔がある国際社会の奥深さを思い知らされます。この映画、社会に訴えたいのはもっと遥かに大きな「許されざるもの」の存在に気付かせることを目的にしているのかもしれません。

ストーリー全体は「もも太郎の鬼退治」と同じ構成だと思います。鬼退治に行く「もも太郎」がサルや犬をお供に鬼が城に鬼退治に行きます。悪い鬼を退治して宝物を持ち帰ります。これは遠い昔読んだ本の中に書いてありました。世の中の物語はほとんど「もも太郎」の構成でできていると。

そして、NCWでは恋愛物は「ロミオとジュリエット」の話を脚色してできている事を構造分解してレクチャーを受けて納得。基本にある物語の構成は大昔からあるもの。それを場面や時代や登場人物を変えて新しい物語の脚本を書く。

映画は監督が大量に詰め込んだ演出項目を私たち観客は半分も見いだせるのでしょうか。できるだけ監督の宝物を掘り起こして味わいたいものです。それが素晴らしい人生を味わうことにつながると思うからです。

賞金首とはいえ人を殺すガンマンはラストでは殺されるべきですが、この映画では賞金を持って街に出て商売で成功して終わります。どうして悪人が栄える結末にしたのでしょうか。賞金稼ぎは人殺しですが、見方を変えると極悪人の首に賞金がかかっています。今では警察の犯人逮捕にも賞金がかけられていますよね。

つまり、合法的には始末できない賞金首や「許されざるもの」という極悪人を退治したのですから、警察、司法機能の代行のように扱っているのでしょうか。極悪人を命がけで死刑にしたということだと理解すると、ラストシーンのその後商売で成功するというストーリーが納得いきます。

脚本として参考になる素晴らしい映画でした。

海の上のピアニスト枠.jpg「ニュー・シネマ・パラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレが伝説のピアニストの半生を感動的に描いた人間ドラマ。1900年、大西洋上を行く客船の中で生後間もない赤ん坊が見つかった。その子供は、生まれた年にちなんで“ナインティーン・ハンドレッド”と名付けられるが、船内のダンスホールでピアノを聞いて育つうちに、驚くべき才能を発揮するようになる……。

嵐の海に揺れる船で、グランドピアノのストッパーを外し、ピアノごと床をすべりながらピアノがダンスを踊るように移動しながら弾く様は未見性があり初めて見る映像で素敵でした。映画の中でピアノを弾く時はいつもウイングカラーシャツ、何てオシャレ。タキシードを何度も着られる人生は羨ましい。

初め1900は決闘なんて意識なかったんでしょうね彼の演奏に一度は感動した1900でも、ジェリーの最後の演奏を聴いて、何かが変わったようでした。
「後悔させてやる」 と言って、1900がジェリーのマネをしてタバコをピアノの端に置き席を立った後、そのタバコをピアノの弦に押し当てると なんと火が!格の違いを見せつけました。かっこいい1900.

最後に船と運命を共にしたピアニスト。自分が生まれて育った豪華客船が彼の世界であり、人生。

だから彼は愛する船と共に命を終えたのだと思います。人のために命をささげるのと同じですね。

陸に降りると終わりのない世界で自分には住めないと言います。確かに人は自分の住む世界があって、たとえパラダイスだと言われても行きたくない、居心地のいい自分の世界で生涯を終えたいと思う気持ち、多くの人と同じ考えだと思います。旅行に行くと疲れるから自宅でゆっくりしている方がいいというようなもの。人の居心地のいい場所は様々だということを知らされます。

死ぬまで好奇心旺盛であちらこちらを飛び歩いている人はそもそも例外かもしれません。

いい音楽とお洒落で素敵な大人の物語でした。自分もピアノが弾けたらいいな、東京にあるのに弾けないなんて。

マトリックスのコピー枠.jpgキアヌ・リーブス主演で、仮想現実空間を舞台に人類とコンピュータの戦いを描いたSFアクション。プログラマとしてソフト会社に勤務するトーマス・アンダーソンは、ネオという名で知られた凄腕ハッカーでもあった。ある日、ネオはトリニティと名乗る美女から接触を受け、ネオを探していたという男、モーフィアスと会う。モーフィアスは、人類が現実だと思っている世界が実はコンピュータにより作り出された「マトリックス」と呼ばれる仮想世界であり、本当の現実世界でネオをはじめとした人間たちはコンピュータに支配され、眠らされているという驚きの真実を知る。モーフィアスの誘いに乗り、本当の現実世界で目を覚ましたネオは、ネオこそが世界を救う救世主だと信じるモーフィアスやトリニティとともに、コンピュータが支配する世界から人類を救うため戦いに乗り出すが……。香港アクション界の雄、ユエン・ウーピンをアクション指導に招いて取り入れたワイヤーアクションや、バレットタイムと呼ばれる撮影法により革新的なアクションシーンを生み出し、世界的大ヒットを記録した。監督は「バウンド」のウォシャウスキー兄弟。

何度見てもその世界観に感動します、素晴らしい脚本、映像、アクション。スローモーションがかっこいいでね。

何年か前にマトリックスを見て気付いたことは、よく考えてみるとこの日本にも仮想世界が存在していて、現実世界にごくわずかの人が住み、ほとんどの人が仮想世界で暮らしていますね。コンピューターが仮想世界をプログラミングしているのではなく、結果としてコンピューターの力が仮想世界を作る一つの要因といえます。

映画と同様に仮想世界に住んでいる人は自分が仮想世界に住んでいるとは知りません。世の中の多くのものが仮想世界をカモフラージュしています。だから住んでいる人は現実の世界だと信じて一生を終えます。それでも幸福感で満たされていますから、現実世界を知らなくてもいいのかもしれません。いつから誰が仮想世界を作り始めたのでしょう。恐らく一部の人は承知の上だと思いますが、ほとんどの人は知らず知らずのうちに仮想世界のカモフラージュに協力していることもわかりません。知ってか知らずか現実世界に住む人の数が少しずつ増えていますね。

それが問題かというとそういうわけではなく、気付いた人は現実世界にいくらでも移動できるのですから、不公平というわけではありません。そちらの方が居心地もいいのですから。騙されているわけでもない、ただ知らないだけ。

問題があるとすれば、その事実を公表していませんから現実の世界を知らないまま人生を終える人がいること。仮想世界しか知らない。本人は知らないで旅立ちますから別にクレームも出ません。知らないことは幸せの一つの条件ともいわれますから。

マトリックスの発想は実に素晴らしい。私は今の世界に仮想世界と現実の世界があることを示唆しているように感じました。こちらは現実世界が仮想世界を支配していると。

仮想世界が存在する限り人々は解放されないかというとそうではありません。存在を知りませんから。

あなたは自分が現実世界あるいは仮想世界のいずれに住んでいるかわかりますか? 映像制作などでFFビデオ制作にお越しいただければ直接お話できる場合もあります。

「人生は自分でコントロールする」これは映画によく出てくるセリフですね。このような名セリフ、映画は人生に影響を与えると思います。

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山田風太郎の「甲賀忍法帖」を、仲間由紀恵とオダギリジョーを主演に迎え映画化した究極アクション・エンターテインメント。監督は『弟切草』の下山天。共演は黒谷友香、椎名桔平ら人気と実力を兼ね備えた面々が勢ぞろいした。運命的に出会い、愛し合いながらも殺し合わなくてはならない男女の姿を描く。忍者たちが操る術を最新のVFXで迫力ある映像に仕上げている。

滝の前はクロマキーでしたね。やはり実写とクロマキーはよく見ると背景と溶け合っていない部分が残るのでわかります。一般の人にはわからないと思うほどよくできていました。日本の映画ではCG、合成のレベルが最高レベルではないでしょうか。素晴らしいです。

愛する人のために命を捧げる。愛がテーマの一つですね。衣装デザインがハリウッド並みに素晴らしい。カラーリングと衣装デザインいいですね。セリフが全体に低温に整音されていると感じました。レンズの使い方、アングルがいいですね。忍びの技にスピード感もあります。

刺客の忍者だけスローモーションで俳優が通常の速度で斬るのはどう合成しているのか考え中です。多分クロマキー合成ならできますね。映像の再生速度も自在ですから。映像の作り方を考えながら見るのは勉強になります。

「所詮結ばれたのは夢の中だけ」はいいセリフですね。成就できない愛を語るには。ロミオとジュリエットが下敷きかな。

林の色が緑から白に変わるシーン、流れる川の水の色は変化なし。これはマスキングでできますね。

朧の指の爪が磨いてあるのは如何なものか。せっかくの時代劇に現代が出てしまいます。自然な爪にしないと江戸時代にはなりませんね。

そして若い沢尻エリカ様が蛍火役で登場。昔から美人だったんですね。浅草ロック座見ておけばよかった。看板を覚えていますから残念。

全体としてFSXが駆使されて美しい仕上げ、ストーリーも奇想天外な技の数々で楽しめます。衣装デザインとカラーリングが照明で映えて、カラコレしてみたくなる綺麗な素材で、ハリウッド並みの美しい高品質な映像でした。いろいろ参考になりました。

ターミネーター枠.jpgアーノルド・シュワルツェネッガーの代表作となった大ヒットSFアクション3部作の新生シリーズ第1弾。人類滅亡を意味する“審判の日”から10年後の2018年を舞台に、30代となったジョン・コナーが人類軍の指導者となり、機械軍の支配する世界に立ち向かう。監督は『チャーリーズ・エンジェル』のマックG。主人公ジョン・コナーを『ダークナイト』のクリスチャン・ベイルが演じる。ニュータイプのターミネーターと人類の戦いに注目。

誰もが絶体絶命だ! と思ったその後に起こる一連のアクションシ、ターミネーターという感じをもっと出せればもっと良かったと思いました。どんな姿になっても追いかけてくる。 やっぱり1や2の方が怖さがありました。

れはそうですが映画の興行としては当れば続編を制作して二匹目のどじょうを狙うのは自然なこと。プロは儲からない映画なんて意味がないのですから。そのあと食いはぐれます。世間から何と言われようと続編を出して楽しませてください。

「特撮がすごい」とか「金がかかってるねー」ではなく、背筋が震えるような熱さ。

これは参考になるコメント、脚本の最も大切な部分ですね。

唯一盛り返したのはやはりアーノルド・シュワルツェネッガーの登場シーン。結局、この顔が出ればすべてを持っていってしまう。強烈なカリスマである。

確かにこれも分かります。ストーリーには下敷きがあり深さが必要ですから

人気のない前作でも約450億円もの興行収入。

恐れ入りますとしか言いようのない興行収入です。

ターミネーター4は夜のシーンが多く光と陰で映像を構成、「強い心臓ね」というセリフは2回でできてラストシーンの伏線に。「2度目のチャンス」もラストの伏線。台詞がきちんと配置されていました。

ストーリーは相手の大きな罠の中で抵抗軍が相手を殲滅するための周波数妨害テストを繰り返して完成、しかし、攻撃を開始すると相手に本部の場所を特定されて攻撃されます。つまり長期的な計画に基づいて作戦を立てている方に勝利がもたらされる。一般的に言えること。

映画では想定外が起こって逆転しますけど。

カラコレについては編集に頼るのではなく撮影時の照明からカラコレを意識していると思います。ハリウッド映画の特徴ですけど。だから美しくカラコレできます。雨も効果的に使われています。画面が展開することで飽きさせないですね。スカイネットは非情で人を家畜のように扱うというシーンがありますが、観客が抵抗軍に感情移入しますね。背景はボカしてキャストの姿にピントが合います。

女性が男性に変装、戦争が果てしなく続きますが、武器は何処の工場で製作しているのでしょう。武器を自動生産しているスカイネット軍のものを強奪しているのでしょうか。

人間は愛する人のために命をささげる。信頼できる人のために心臓を提供する。人間の素晴らしさですね。思いがけない大逆転の筋書きで窮地を脱して戦闘に勝利します。大逆転のストーリーも大切です。

子供が活躍するのもいい。大逆転のキーはジョンが落とした起爆装置を子供が拾ってきて実現するのですから。

人の信頼を表現するのに手を握る演出。たったこれだけの事でも信頼関係が伝わります。

ラストは「諦めないで未来は自分たちで築くものだ」で締めます。

素晴らしい映画で完璧な仕上がりのCGや合成映像、ここまで仕上げると素晴らしい。ストーリー、演出、照明、撮影、音響、カラコレとたくさん参考になりました。

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N式潜に搭載された戦闘海域の海底地形や船隊配置図を立体的に視覚化出来る超高感度水中探索装置“ローレライ・システム”が、ナチスに人種改良された日系ドイツ人少女・パウラの能力によるものだったことが判明し、艦内に不穏な空気が流れ始める。そんな矢先、2発目の原爆が長崎に投下されてしまった。そして、それを機に高須を始めとする一部の者たちが、アメリカと取り引きした東京の浅倉の指示の下、ローレライを占拠。日本新生プランを掲げ、アメリカ軍にローレライを供与しろと言い出した。命に背けば、3発目の原爆が東京に落とされてしまう!

初めの方のCGはいまいちでしたが後半はよかったと思います。合成の場合はどうしても少しボケ気味になるようです。境目を隠すた目にはどうしてもぼかさないと。70pxくらいにすると自然に境目はなじみますね。特撮は経験がないのでただただ恐れ入るばかりで、意見を申し上げる立場にはありません。

劇画だから人種改良された超能力少女でしょうが、今までにない発想でした。東京に原爆落とすのを阻止するなんて新しい世界ですよね。

自分は潜水艦は生きて帰れそうにないという恐怖感がありますから苦手で乗れませんが、もし乗れるならやはり最後まで戦う人ですね。目的達成を最優先しますから途中での犠牲はつきもの、現代の若者でも故郷日本や東京を救うためなら命をかけるのが日本人でしょうね。集団で団結して目的を達成する気持ちがあるのかもしれません。このような物語を見ると感情移入してしまいますね。

潜水艦が撃沈されずに終わるのもいいと思います。普通なら華々しく散りますが命を大切にするという考えが出ています。

最後に腕時計を見せておそらく折笠とパウラの子供なのかなと思わせます。愛する国や愛する人のために命をかける、日本の帝都東京を守りぬいて終わるところがいいですね。東京に原爆を落とされたら日本は国の機能を喪失しますから。

現代は無人機で戦争する時代ですから潜水艦も無人になっていくのかもしれません。どうしても乗組員はきつすぎる環境だと思います。

SWORDFISH枠.jpg

何と言ってもスゴイのは、リアルタイムでは1.5秒間の爆発を、30秒でじっくり見せる驚愕シーン。人質の身体が爆破され、銀行の前の交差点に並ぶパトカーやSWAT隊員を一瞬にして吹き飛ばしてしまうシーンなのだが、このとき、カメラは200度の弧を描きながら交差点を横断していき、その間に、1台のパトカーの車内と、銀行の対面にあるコーヒーショップの店内を通過してみせる。そう、スルドいファンならお気づきの通り、あの「マトリックス」の“ブレットタイム(マシンガン撮影)”の応用、進化型映像なのだ。この場面にはさまざまな技術が駆使されている。

ヘリの空中撮影はクロマキー合成、爆発はCG、カラコレもしてあります、どうしてもリゾルブのところでコレクションした色が出てきますから。その他もろもろのCGが使用されていると思いますが、自分が作れないものは見抜けません。何度も繰り返して見て勉強するしかありませんね。

ストーリーが読めない、観客をトリックで次々だましていく。脚本が素晴らしいと思います。

観客を飽きさせない素晴らしい映画。映画は最後まで観客の意識を引きつけられるものがベストではないかと思います。

レインフォール1枠.jpg

  

日本映画初出演の英国名優ゲイリー・オールドマン

  

 ゲイリー・オールドマンはさすがの存在感

ある秘密をめぐり、暗殺者ジョン・レインの後を執拗に追い続けるCIA日本支局長ウィリアム・ホルツァーを演じるのは、「レオン」「ダークナイト」のゲイリー・オールドマン。狂気に満ちたエキセントリックな悪役をやらせたら随一の英国の実力派俳優が、待望の日本映画初出演を果たした。

クセのある役柄で知られる椎名桔平も、「独特の世界観、味を持った俳優であり、若いころから憧れていた」と語る存在。オールドマンの出演が作品に重厚さをもたらし、ホルツァー(CIA)とジョンの追跡劇にさらなる緊張感が増したのは言うまでもない。

確かに英語はネイティブを入れると雰囲気が全然違う。本当にリアリティが出ますね。

アングルが凝っていて手前に物を置いてぼかしています。いつも覗き見ているようなサスペンスの雰囲気が出ていました。音も重低音で丁寧な作り。シルエットアングル、ドリーを使った動くアングル。

逃げる時は警官を見てもサイレンを聞いても同じ速度で歩き続ける。の台詞がいい。パトカーの警察官は移動しながら不審者を見つけられると言います。人を見るポイントがあるそうです。いつも警官が来るとどんな顔をしているのか覗き込む私にはわかりませんが。

カラコレでたくさん加工されていますね。キャストの顔だけ明るくしたり、キャストの背景をぼかしたり。撮影時はピントが合っているのに編集で加工していますね。マスキングで。綺麗に処理されていましたが少し使いすぎではないかと。一般の人にはわからないでしょうからそれで観客の気を引くのですからいいのでしょう。

光源の光線は守るもののカラコレで顔に照明をあてたように明るくしていますね。手前に物を置いたカットはドリーでも使われていますね、いつも観客が覗いている感じに。

ただ一つUSBメモリーを机に放りだすのはいけません、衝撃に弱いですからもっと大切に扱わないと。大切な情報が読みだせなく成ります。女優を美しく撮影、カラーコレクションしているのに好感が持てます。女優を実物より美しく描けるかどうかが編集者の腕でもありますから。ラストシーンのバスに乗らないところも観客の期待を裏切っていいですね。そしてUSBメモリーを捨てる。国家機密を闇に葬る正義感。渡したUSBメモリーが偽物だと分かります。

JAZZライブもドリーで撮影するんですね。いつも固定カメラで撮影してるから、ライブはやはり撮影だけのためにやらないと感じよく撮影できませんね。ライブはどこも暗くて撮影しても綺麗には映りません。JAZZは最悪で暗いです。仕上げのイメージを描いて照明、撮影、そしてカラコレですね。

脚本も良くできていて、サスペンスもあり、英語のネイティブがどんどん場面をリードしていき、ラストもいい。大変参考になる素晴らしい映画でした。一気に最後まで見ました。途中で休み休み見る映画と違って本当に観客を引き込む作りでした。

ファイナルカット枠.jpg人の一生の記憶が脳に埋め込まれた小さなチップに記録されている近未来の世界を舞台に描くSFスリラー。監督・脚本は、これが長編映画デビューとなるレバノン出身のオマール・ナイーム。弱冠26歳の無名の青年の脚本に惚れ込み、演出も任せたプロデューサーは、インディペンデント映画の先駆けとなった「セックスと嘘とビデオテープ」や「ラッグストア・カウボーイ」を世に送り出したニック・ウェクスラー。「グッド・ウィル・八ンティング/旅立ち」でアカデミー賞助演男優寅を獲得したロビン・ウィリアムズが、近年ハマり役の“どこか不気味な中年男”を絶妙に演じる。

映像をカッターと呼ばれる編集者が故人の世間的に良くない行動をカットし、良い印象のエピソードだけをつなげた映像にして遺族らに追悼会として見せるサービスがあったりした。

この点は「人生記ビデオに共通する部分があります。仏教の故人を忍んでお念仏をあげる年忌の際に上映するのはまさに追悼会。人生記ビデオも追悼会で上映と言えますね。

記憶を勘違いしている点、人間はだれしも何らかのトラウマがあり、それを解消するために人生を歩んでいるのかもしれません。いつかは正当化できるとか何らかのヒントを求めて。人によりトラウマがない人、忘れた人。人間は嫌なことは忘れる能力がありますから恐らく次第に記憶が薄くなり最後には消えていく。つまり長生きすればトラウマを完全に忘れていい人生だったと思えるのかもしれません。

個人情報保護の観点から見て最悪の記憶チップとそれに翻弄される人々の姿を描いたSFミステリー映画。サスペンスと言うほどスリルなシーンもなく、名編集者でありながら自身の過去のトラウマに敏感に反応し、その解明のために活動し過ぎて悲しい結果になるアラン。

個人情報は一体何のために保護されるのでしょうか。今までは何の制約もなく常識に従っていたのに。コンピュータネットワークが発達して個人情報を故意に悪用する人が増えてきた対策、経済的に情報セキュリティの仕事を増やすため。新しい仕事を増やすという点では優れていると思います。機密漏洩、ハッキングとセキュリティ対策会社はなぜか同じ世界。イタチごっこで仕事を増やしていきます。シロアリと白アリ駆除会社、蚊と蚊取り線香、災害と災害備品会社、万引きと万引き対策会社、つまり人々が困っていることを見つけてその対策をするということでしょうか。結構そのように仕事ってありますよね。何もないところから新しい仕事を生み出すことが経済発展につながるのですから。頭のいい人がいて新しいビジネスを創設していくのですね。

人生の記憶を全部記録するのは確かにやり過ぎと思います。誰でも一生のうちには闇の部分が多少はあるでしょうから、全部第三者が見ると言うのは困るはず。映画の世界観としては新しさがあると思います。しかし、リアリティとしてはやり過ぎで現実的ではないような気がします。例えば政府が国民にチップを埋め込む法律を作るとしたら反対するでしょう。背番号だけでもすったもんだしたのですから。個人のプライバシーは守るという観点はなくならないと思います。それはホテルの一室であり、自宅の一室なのですから。

ものごとは考えようで、親鸞上人のように本能のままに生きる姿こそ人の姿であり、なにも隠す必要はないと言い切れる人ならチップを埋め込んでもいいかもしれません。煩悩の命じるままに自由奔放に生きる、それでいいのだと言うなら話は別です。私は親鸞上人の浄土真宗なのでそう言えるのかもしれません。もともと人には善の面と悪の面があり何処まで理性でコントロールできるかであるとするなら、理性を左右する環境にも問題があると思います。進んで悪と見えるようなことは誰もしませんから。もっとも価値観の相違で、殺人にも加害者には復讐という正当な理由があるでしょうし、被害者には過去に何か足を引っ張ることをしていたのかもしれません。強盗でも自分の生活のためにやむを得なかったと言うでしょうし、ひとりを殺した殺人者は10人の殺人を思いとどまって一人にしたと言い訳するかもしれません。

個人の記憶を残すのはやはりやり過ぎ、せめて屋外の行動は全部衛星から撮影しておけば深夜に多い放火はなくなるでしょうし、強盗や殺人犯の追跡が可能になって犯罪抑止につながるかもしれません。ただ、管理権限のある人やハッキングした人が別の目的に使うことを防止しなければなりません。犯罪を抑止するために防犯カメラを設置するのは世の流れだと思います。

この映画は「人生記ビデオ」と一部重なる部分があり共感しました。亡くなられた人は忘れたいというのが本当かもしれませんが、お世話になった故人、優しかった故人、生涯忘れることのない故人は人生記ビデオに残しておくと想い出が蘇ります。

自分の人生のお気に入りの写真やビデオで編集する人生記ビデオを一度考えられてはいかがですか。

県庁の星枠.jpg「白い巨塔」など数々のヒットTVドラマを手掛けてきた西谷弘の劇場映画デビュー作は、キャリア官僚とパート店員が衝突を繰り返しながらも協力して三流スーパーの改革に乗り出す人間ドラマ。出世欲丸出しの官僚に織田裕二、彼の教育係で現場主義の店員に柴咲コウがふんし、コミカルな掛け合いを披露する。『踊る大捜査線』シリーズではノンキャリアの熱血刑事を演じた織田が、融通の利かない公務員を好演して新境地を開拓している。

県庁というと全国組織と市町村の中間に位置する行政組織。住民相手ではなくかといって国の政策方針を出せるわけでもない。限られた県内の自治を行っています。国の方針に基づく行政ですが、他人が決めたことを覚えて市町村におろしていくのは間違いがあってはならない重要な仕事だと思います。

私はなぜか名古屋のサルサ仲間から県庁に勤めていると思われていました。理由は分かりませんが毎週名古屋に行くとか、よく東京に行くとか、休みを取りやすい職場だと思われたのかもしれません。

マニュアル。確かに新人教育用とコンプラ違反をなくすには必要です。何か障害や問題が起きたとき、見るのはマニュアルの手順どおりであったかどうかという点。普段は見ていなくても、コンブら違反精査のときは一字一句見てここの手順を漏らしている、だからコンブら違反だとなります。そして処分されます。だから公務員はマニュアルをよく読んでいるのです。最近は民間でもコンブら違反に厳しく、社員は余分なことは一切しなくなってきていると思います。無駄なことをして問題になるとコンプラ違反に問われるからです。そんな会社が社員のやる気をなくして衰退していくのは当然のことですけど。

民間は利益を出すことが目的、公務員は予算を使い切ることが目的。まったく目的が違います。いいかえると民間は儲けること、公務員は使うこと。住む世界が違いますね。

県庁さんと店長さんは紛らわしいです。県庁さんと清水店長とすべきでしたね。

エスプレッソを無料で飲めるラウンジについては、県にこんな所はないだろうと感じました。議員会館のみとか限られた場所のように思います。係長以上がはいれたのかもしれません。県庁の食堂は一般に解放されていてよくランチに行きました。安くてボリュームがありますね。

織田裕二の演技は自信たっぷりで役になりきっています。多分主役がこうだと他のキャストもそれぞれの役柄に気合が入ると思いました。シナリオをもらってから1カ月以上情報収集したり、資料を見たり、話を聞いたり、役作りをしているのでしょうね。セリフなんかは全部覚えてさらに心情を乗せる。間合いや立ち位置まで意識して準備しているような気がします。素晴らしい役者。

県庁の改革は無理だとしても、最後に少し変わり始めたというエスプレッソ一杯100円が県庁の姿を現していると思います。

知事はどうして前向きに検討すると言っているのに、議長は提案書をごみ箱に捨てるのか。これは深い意味があると思います。前向きとは相手に対する方便で何も検討しないとストーリーの中で行っています。制度の中で暮らしいてると確かに改善すべきことはいろいろ出てきますが、それを変えていくことはほとんど不可能に近いからです。

たとえば東京に長く住んでいた県議会議員がいて、県議会に高齢者対策や交通事故のない社会を実現するために公共交通を主体にした街づくりを進める議案を出したとします。しかし、県内では駐車場を確保するために田んぼの真ん中に公共施設を作ったり、病院を建てたり、大型スーパーを作っています。当然それが良かれと思って進めてきたのですから、いまさら方向転換の議案を出されても賛成する人はいないでしょう。

そこなんです。地方では改革しようとすると民主主義の限界、多数決が必ず高いハードルになります。利害関係者や今まで進めてきた実績を否定されるような議案に賛成するわけがありません。つまり賛同してすでに進めているもの、自分の成果の否定、過去の方針を継続するものを変えることはほとんどできないということです。皆さんが良かれと思って進めて来たことを状況が変わったと言って否定するのですから、よほどの人格者でないと賛成されないのは当たり前です。尤も議員さんは弁が立ちますから何とでもいい訳できるでしょうが、住民の中にも堅い人がみえますからなかなか納得させられない可能性もあります。皆さん選挙がありますからいい訳のようなリスクは冒したくない。自分の首をかけないと過去の実績の否定などできませんから。

だから、提案は前向きに検討するものの民主主義の限界が邪魔をして廃案になると言っていると思います。提案者の気持ちもわかりますし、民主主義の限界説もわかります。だからゴミ箱に捨てるしかないのです。時間の無駄ですから。

結果として県庁の改革は進みません。何年たっても国の方針を受け継いで市町村におろす組織。議会の仕組みが民主主義の限界そのものですから、国から改革案を県に下すしかないと思います。そうすれば県議会の民主主義の限界を取り払えるからです。

私は東京と地方県に半分ずつ8年間住んでいます。その前は東京に10年間。だから東京と地方県を客観的に比較してみることができます。県のいいところと問題点もわかります。しかし、改善の提案はできますが実現するとは思えません。それは県が進めてきた方針を180度転換するものだからです。提案書をごみ箱に捨てなくてもいいように民主主義の限界を乗り越える方法を考えなくてはなりません。

民主主義の限界を打破しなければならないと考えておられる方、あるいは組織などから映画制作資金提供があれば脚本執筆に取り掛かるんですけどね。映画一本で県民の意識が変わるとは思えませんが、続けていく中できっと民主主義の限界について考える機会が増え、メンツを捨てて改革に理解を示す人格者が増えるのではないでしょうか。

脳男のコピー枠.jpg生まれつきの常識では考えられないほどの高い知能と、驚異的な肉体を兼ね備えるも、人間らしい感情はない謎めいた男・脳男をめぐるバイオレンス・ミステリー。第46回江戸川乱歩賞を受賞した首藤瓜於の小説を原作に、『犯人に告ぐ』などの瀧本智行が監督を務め、『八日目の蝉』の成島出が脚本を担当。感情を持たない冷徹な男には、『僕等がいた』シリーズの生田斗真がふんし新境地を開拓。共演には松雪泰子と江口洋介、『ヒミズ』の二階堂ふみ、染谷将太ら多彩な顔ぶれがそろう。

新しい世界観がありいい映画です。最後に葛藤の末に鈴木一郎の心情と母親の心情が変化しています。

カラコレはハリウッド用のソフトを使わないでここまでカラコレできるという作品で参考になります。多分編集ソフトだけでカラコレされていると思います。色合いは苦労の跡が伝わりました。

途中で一郎を尋問しているシーンで太陽が二つになっていました。窓から差し込んだ光が同一方向ではなく一か所に集まろうとしていました。照明を複数箇所から当てていますね。光源設定が太陽とは限らないので忘れます。

脚本はよくできていて、異常者の物語なのに正義がつらぬかれるという点に拍手です。そう「悪に救いがあってはならない」ですから。私も脚本は悪人は最後には報いを受ける、矯正する、殺される、自殺などで終わるようにしたいと思います。悪に救いがあってはならないがドラマの掟ですから。映画は社会に与える影響が何かしらあるとした場合、やはり人としての道徳観は守っていく筋書きにしなければならないと思います。さもないと社会が滅んでゆきますから。

この映画は社会にどんな影響を残すのでしょうか。莫大な遺産相続という話ですが、確かに人は普通は生涯サラリーマンや職人の仕事で忙しく働き家族を養うことだけを考えて人生を過ごします。

だから、趣味もほどほどにしかできません。プロレベルには到底到達するだけの時間がありません。しかし、莫大な遺産があると相続税で半分に減らされたとしても何も働かずに生活できるとしたら、それはもう365日自分の自由時間になります。昼寝て夜起きるとか。すると人のやらない趣味や殺人や放火の専門家になる可能性がないとは言えません。バットマンだってそうですよね。

生活のために人生を労働に使わなくていい人を主役にすれば常識では考えられないドラマが作れると思います。たとえば「脳男」のような。人生は平等のようで実は不平等です。そして奇病。時空を超えないのでまだいいです。そんな世界を描いた映画だと思います。よくできた映画です。

しあわせのパン枠.jpg「水縞くん」と「りえさん」の夫婦は、東京を離れ、北海道で喫茶店「マーニ」を営んでいる。
おいしいパンと温かい飲み物、食事が、人々の心を解きほぐしていく。
季節は、夏、秋、冬、そして春へと巡る。

 

夫のことを「水縞くん」と呼ぶ。夫のことを君付けで呼ぶのは同級生か年下。恋人気分が残りますね。

「パパ」と子供に呼ばせていますが、私がパパ、ママと呼ばせていたら小学生なのに親のことを友達感覚。だから言うことも聞かない、友達扱いですから。気づいてからは「お父さん」「お母さん」と呼ばせました。我が家の場合は躾のできない呼び方でしたね。

パンを分けるというのは、食、つまり命を分けるということ。命を分けるとはそこに「愛」が生まれます。そう理解しました。

映像が明るく見る人の気持ちを明るくしています。完成画像イメージに高い照明をあてて撮影されたのでしょうね。それをカラコレで仕上げている。美しい仕上がりでこんな映画は初めてです。

セリフよりも人の心情を画像の明るさで表現しているのですね。原田知世さんは昔のままあまり変わりませんね。時をかける少女のまま。彼女はファッションで見せています。透明感をスタイリストさんが出しています。冬の厚手のファッションは人を美しく見せますから。撮影しているとよくわかります。

好きな場所で好きな人と好きなように暮らしたい。これはサラリーマンがあこがれる見果てぬ夢ですね。

二人は太陽と月の関係は古くから言われていますが、離婚した後の子供の悲しさを描くことで映画を見た夫婦が離婚を思いとどまってくれるといいですね。自分がもう少し妥協するだけで子供に悲しい思いをさせなくて済む場合は。そうでない場合は別です。

恋人のいない人には新しい出会いを、老夫婦には命をもう一度分けあって生きる力を。いい映画です。

人生に疲れた人のうち、映画を観た人の何人かが影響を受けて人生が変わるように希望します。

ランドセルは床に置くより椅子の上に置くほうがいいと感じました。夜空が青くそこに月、カラコレのたまものですね。

アコーディオンの音はイイですね。自分の作品にも入れたらと思わせます。

子役の年齢は重要です。この場合もし小学校低学年だったらどうでしょうか。私なら母親を焦がれる低学年にしますね。演出は細かい部分の積み上げですから監督の想いが反映します。

月は何ミリのレンズで撮影したのか、300ミリくらいでしょうか。450ミリならもっとクレーターが鮮明に写りますから。外の景色は何ミリのレンズでしょうか。16から18ミリくらいでしょうか。14ミリだと人の視界170度くらい映りますから。少し狭かったですね。

コーヒーは私も好きでドリップしていただきます。インスタントはいただきません。

パンを分けることから始まる映画ですが、見る人によっていろいろに理解できます。いい映画だと思います。

カオス・セオリー枠.jpg

1日の行動全てをリスト・アップし、忠実に実行へ移していたフランク。妻スーザンはそんな彼に余裕を持たせようと時計を10分ずらすが、間違えて早めてしまう。彼の予定は目茶苦茶になり、不幸が重なって妻に不貞を疑われ…。

人生の効率化を計るため、何事もリストに書き出してから行動しているフランクが、ちょっとした事からとんでもない事になっていくお話です。とんでもない事と言っても、ヒッチコック作品みたいに陰謀に巻き込まれたりという事ではなく、一般人の普通の人生の中での一大事。流れ的には予想もつかなかったけど、こういう事態は決してありえない事ではなく、フランクと一緒に驚いたり悲しんだり。

カオスとは最初の小さな誤差が結果として大きな誤差になるということ。人生そのものと言いたいのかもしれません。結婚はまさにその通りで同じような相手なのに長い人生で大きく結果が変わりますね。映画のように180度変わる場合も。

最初にカード二枚から新郎に選ばせるシーン、同じことが書いてあると思いました。そしてラストでカードを開けたらやはり同じ言葉が書かれていてコントロールされたことがわかります。手品の常とう手段ですね。

ちょっとしたアクシデントから出産前の母親を助け、病院の父親欄に自分の名前を書いたことから騒動が起こり、自分の子供ではないことを証明するために医者で精液を鑑定してもらいますが、生殖能力がないことを知らされて、では今の自分の子供はだれの子供なんだという切り換えし。ここが一番いい。物語の流れを現実的な理由で反転させる。観客はこれほど楽しいことはありません。

一日の行動をきちんと計画するのは「アクションプランナー」と同じ。効率よく一日を過ごすための道具。私も使っていましたがフランス製で高価、今は安価な陰山手帳を使っています。確かに細かく計画するとそのように行動できますが、突発的な出来事、楽しみ、好きな時間を過ごす人生の味わい、プラスもあればマイナスも。私は計画は最小限にして、思いつきで行動できる部分を残しています。

それにしても素晴らしい切り換えしの効いた作品でした。家族愛の形、生みの親と育ての親、血や遺伝子は分けていなくても愛情(娘のために命を投げ出せる)があればそれは実の娘であること。愛もテーマにした映画でした。セリフが素晴らしい。

演出もよく苦悩する父親ぶりがよく出ていました。脚本の参考になる作品です。

ノウイング枠.jpg中でも特筆すべきは、キャッチコピー通り”人類滅亡”をきっちり描いている点。今までの同系統映画は、『アルマゲドンしかり『ディープ・インパクトしかり、「地球が大ピンチだあああ~!」、「人類が滅亡してしまう~!」などと散々煽っておきながら、「でも最終的にはギリギリ助かった~!」という”寸止め”的なものばかりでした。

太陽の異常活動が引き起こす天変地異を映像化したこの映画は、50年前のタイムカプセルから奇妙な数列メモが発掘される冒頭からして、すこぶる新鮮で面白い。

過去、現在、未来を行き来する映画ネタ。脚本は時代を超えて多くの人の関心を呼ぶのかも。

宗教色が強くないところも自然でいい。ノアの箱舟に選ばれるお話。

最後は地球がきっちり滅びるところが潔くていい。誰かが大活躍して助けるよりも潔く滅びる。どうして未来を予想できたのか、ささやく声が聞こえるようになった選ばれし原因が描かれたらさらに良かった。

過去に原因が有り、未来がかかわっていく。時空を扱う立体的な世界がいい。数列から紐解く未来はオリジナリティーがあります。脚本の参考になります。

フィフス・エレメント枠.jpg 

 2214年、巨大なエネルギー体が地球に接近しつつあった。コーベン・ダラスの運転するタクシーに突っ込んでくる赤い髪の少女。コーベンは彼女リールーを神父の元へ届けるが、そこでリールーこそ地球存亡のカギを握ると知らされる。一方、地球の危機を救うための4つの石が、惑星フロストン・パラダイスでコンサートを行う異星の歌姫ディーヴァに託されている事が判明。特殊部隊の精鋭でもあったコーベンはリールーを連れていく事になるが、敵の手がすぐそこまで伸びていた。

個性的な世界観があります。テーマは愛、相手のために命を投げ出します。

SEXは余禄。愛とSEXは別物ですから。混同すると意味がわからなくなります。あくまでSEXは恋愛の最終目的で快楽を得るもの、子孫繁栄とセットになっていて人類の子孫を残すもの。人間にとって最も大切なものです。

戦争には「愛」が存在しないのでしょうか。 戦争とは本質的に人間同士が殺し合うもの。 戦地では、顔を見たこともない、顔も見えない敵と殺し合う、血で血を洗う戦闘が待っています。 戦争には愛は存在しない、存在しえないのでしょうか。私は愛が存在するから戦うのだと考えます。愛する故郷と家族、恋人を守るために太平洋戦争に出陣された人たちを知っていますよね。人のために命をささげる行為ですから戦争は「愛」のために命をかけて戦うことだと思います。傭兵の場合はお金のためですから違います。

戦争はしないほうがいいに決まっています。戦争は国家間の争い、領地を守るために戦います。

しかし、どこにもいる理不尽な人たち、職場や地域、学校でも。また、理不尽な国家がちょっかいを掛けてきたときにどうするかです。近頃目につく話し合いでは到底解決ではない相手ですね。

言いなりになるのか戦うのか。戦争反対を唱えるなら腹をくくること、攻めてきたときに攻撃をしないで戦争反対のデモで応じるのか、戦うのか。どちらを選ぶか。戦争はだれもが反対です。問題は理不尽な相手が攻めてきたときにどうするのか、自分の考え方を決めるときです。万一のときは恐らくどちらかを選ぶことになると思います。事前によく考えて準備しておかないと本番の時に役に立たないのは当然です。

そんな愛する人のために命をかけることを考えさせてくれる作品でした。映画のテーマはやはり本質部分をきちんと描くことですね。人それぞれ感じ方は様々ですから「愛」の本質をズバッと描かないと勝手な解釈をされては困りますから。

 

 

人生の特等席枠.jpg「俳優業はもうしないと思ったことがあったが、今回は面白い役がまわってきたからやってみた。ストーリーが気に入った。この脚本の素晴らしいところは、皆が共感できること。自分の仕事に熱中して子供と多くのことを共有することができなかった父親は多いはず。仕事上のステップアップのチャンスがあるのに、父親のために全部投げすてられる娘はどれだけいるだろう? 多くの子度は、自分の生活を守って、親をないがしろにしてしまうかもしれない。この映画は、親と子が持っているジレンマがテーマだから、全世界の人たちが共感できるものだよ」。

少しずつ、ほんの少しずつだが、イーストウッドは観客の意表をつく。「老人」という先入観に頭を占拠されている観客に、老体の渋さと老骨の強さをさりげなく覗かせる。

親と子供の関係を描いていて素晴らしい。どこの親子もそううまくはやっていけないもの。干渉すると嫌がるし、躾も受け入れない。礼儀津法はでたらめ、料理もできないし、後片付けもできない。自室でゲームばかり。なんて人生を無駄に過ごすのだろう。最近の若者たちは。そんな嘆きの親たちにとってうれしい映画です。

子供が親に対して関心を持ってくれるだけで、声をかけてくれるだけで、メールをくれるだけでどれほどうれしいものかわからないでしょうね。いくらメールしてもろくに返事も返さない。宅急便を送っても着連絡もしてこない。常識として教えようとしても忙しいとか、勝手に送ってきたとか、情けないったらありゃしない親家業。

普通に就職して自立して結婚してくれれば良しとする。昔なら当たり前のことができていれば、今では良くやっていると感じるのですから、人として進歩しているのか後退しているのか疑問です。

親に接触しないで経済的に自立している子供たちはそれなりに頑張っていると理解しています。

バットマンビギンズのコピー枠.jpg

クリスチャン・ベールを主演に迎え、バットマン誕生の伝説を描くエンターテインメント超大作。監督は『インソムニア』のクリストファー・ノーラン。リーアム・ニーソン、モーガン・フリーマン、ゲイリー・オールドマンなどの演技派に加え、日本の渡辺謙も出演している。ヒロインを演じるのは、ケイティ・ホームズ。人間ドラマにスポットをあてた構成は既存の『バットマン』シリーズとは一線を画す。

監督のクリストファー・ノーランのソツのない演出は、最後までリズムを崩さない。「なぜバッドマンになったのか」という至極知りたかったことを描くに当たって、記憶操作の達人ノーランは、所々に入れるアクションをスパイスに、主人公ブルース・ウェインの心情の変遷にグッと肉薄し、それに寄り添って描いていく。何より心をくすぐるのは、両親の死や幼少体験のトラウマに悩むブルースと、決して彼を裏切らない老執事の関係だ。マイケル・ケイン扮する老執事が、常にユーモアを忘れずに飄々とブルースのピンチを救う、もろ英国紳士らしいチャーモングな魅力を振りまく。

素晴らしい作品です。

セリフがいい。

井戸に落ちて助けられて、人はなぜ落ちる? 這い上がるためだ。

人は恐れるものさ、理解できないものを。

人は目に見えないものを恐れる。

恐怖心は人間の五感を鈍らせる。

秘密は知らないほうがいい、私も人に知らないと言えるから。

人の本性は行動で決まるもの。 あなたはだれなのと聞かれて名前を言わずに「人の本性は行動で決まるもの」と答える。いい演出。

本当の俺はバットマン、これは偽りの顔。

シナリオ段階で徹底的にセリフを吟味しなくてはならないと思います。人の心に響くセリフにしないと伝わらない。

ワイルド7枠.jpg1969~79年に「週刊少年キング」に連載された望月三起也の人気漫画を、「海猿」シリーズの羽住英一郎監督が実写映画化。暗い過去を背負った犯罪者から選ばれた7人の警察官(ワイルド7)が白バイに乗り、超法規的な存在として悪人を裁いていく姿を描くアクション。瑛太をはじめ、本作が映画初出演となる人気アイドルグループ「関ジャニ∞」の丸山隆平、椎名桔平、阿部力らがワイルド7に扮する。共演に深田恭子、中井貴一。

その善悪が度々逆転する構図のおもしろさが、『ワイルド7』の最大の魅力。

キャスト選びで大きくイメージが変わる劇画の映画化。それほどずれてはいなかった感じです。深田恭子はイイっすね。ファンだからか。結局身びいきのキャストが出ているとうれしい。

カラコレがハリウッド調でなかなかいい感じでした。照明や背景、シルエットなどハリウッド風撮影の観点で見ました。自分もハリウッド風の映像を作りたいから。ピストル音、スピード感、爆発音、バイクの音、パトカーのサイレン、空撮はハリウッド風カラーコレクションとぴったりマッチ。勉強になりました。

レオン完全版枠.jpg 孤独な殺し屋・レオンと、家族を惨殺された少女・マチルダの出逢いと別れを描いた「レオン」に、22分の未公開シーンを加えた完全版。ふたりが心を通わせていく過程が、さらに緻密に描かれ、切なさがより胸を締めつける。

ゲイリー・オールドマンが悪徳麻薬取締官、悪役がハマり役。

殺人の元締めはどうもレオンの金を使い込んでいるとしか思えないが、そこは描かれていない。銀行のほうがはるかに安全なのにいつ殺されるかわからない元締めに預けるなんて?

12歳の少女と中年の殺し屋の愛情を描くなんて未見性がありすばらしい。孤独な人殺しなのに温かい、愛する者がいない同士の二人がなんとなく離れられなくなり、究極の愛にまで達して相手のために命を捧げます。優しさあふれる映画。ひとりぼっちになった彼女は厚生施設に入り、レオンが残したあの鉢植えの観葉植物を庭に植えて話しかける。観葉植物はレオンそのものだった。

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大事件に巻き込まれる不運でタフな刑事ジョン・マクレーンをブルース・ウィリスが演じる、大ヒット・シリーズの第5弾。モスクワで警察のお世話になってしまった息子ジャックを引き取りに向かったマクレーンが、ロシアの命運を左右する陰謀に巻き込まれていく姿を壮大に活写する。『マックス・ペイン』のジョン・ムーアが監督を務め、テレビドラマ「スパルタカス」で注目されたジェイ・コートニーがジャックを熱演。ジョンとジャック親子の掛け合いや連携バトルに加え、ヘリや装甲車も動員したド派手な見せ場にも注目したい。

 

不死身のジョン・マクレーンの活躍は分かりきっているものの、壮大なアクションを期待してみてしまう。そんな映画。結局全部見てしまう。興行収入的にはもうかる映画作り。あり得ない不死身の姿に夢があるのかもしれません。スーパースターの姿を楽しませてくれます。そこがいい。ジョンマクレーンの目線が視聴者の目線になっていてそこが感情移入しやすい点かと。

今回は息子が登場していることから親子で観るのもいいかもしれません。親子の葛藤や信頼感が伝わり親子の関係を改めて考えさせるそんな部分があるように感じます。余りうちとけない親子関係でも命がけになれば一心同体だとわかる、同じ血液が流れていることを感じさせてくれると思います。また、トーリーが予想できない展開でよかったと思います。それなりに楽しめる内容で丁寧に作られていたと思います。

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