「許されざるもの」 監督・主演 クリント・イーストウッド、 FFビデオ制作

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許されざる者1枠.jpg19世紀末のアメリカ、ワイオミング。かつて冷酷な殺人鬼と恐れられたウィリアム・マニーも今は足を洗って静かに農場で暮らしていた。そこにある日、若いガンマンが賞金稼ぎの話を持って現れる。生活に窮していたマニーは再び銃を取る。旧友で相棒のネッド、若いガンマンを連れて街に向かうマニー。だがその頃、街では治安を守るため、保安官ビルがやってくる賞金稼ぎを片っ端から袋叩きにしていた。(シネマの見地より)

因果応報という流れが一つ、昔の悪友との信頼関係が一つ、殺人の罪について描いているのが一つ。

誰もが表の顔と裏の顔を持っていて、裏が強く出ると許されざるものになる。

人殺しは冷静な方が勝つというセリフがあります。過去におんな子供を殺した殺人の話は相手の五感を麻痺させて委縮させるに十分な話。対等に撃ち合うとしても相手は五感が少し委縮しているから負けてしまいます。だからおまえは人殺しだと言われても「そうだ」と答えます。これでみんな震え上がってしまいました。だから五感がマヒして片っ端から撃たれてしまいます。

ヤクザも昔チンピラをやっていて修羅場をくぐりぬけていれば、やはり度胸がつきますし、相手を委縮させるセリフも吐くと思います。攻撃方法も知っている、相手をだませる、だから喧嘩に強い。

会社でも同じですね。トラブルを何度も経験したり、修羅場をくぐりぬけてビジネスを回してきた人はトラブルがあっても驚きもしません。ただ原因を追究し、相手の話の弱点を探して突いていきます。一分のいい訳しかできなくても相手の出方次第で対等まで話をひっくり返します。さらに最悪時間が解決することを知っていますから。

保安官は正義の味方と思いますが町に君臨していて人権を無視したリンチを繰り返します。マニーは足を洗って豚と一緒に貧乏暮しをしていますが、非道の牧童の話を聞いて賞金稼ぎに行きます。これは貧乏がなせる技。子供の将来もありますから。貧乏が人殺しの引き金になるのは今も昔も同じ。だから生活保護という最低保証は必要ですね。これがあるから日本では殺人が少ないともいえます。

私は人が昔経験したこと、深く追求したこと、人殺しも同じで好きになるまで繰り返しているから、年がたってもその感覚は一瞬で取り戻せる。そこには体力は衰えているとはいえ、戦いのコツを知っている、人殺しは迷わずに相手より先に引き金を引く、そこには対等な環境で戦うということは存在せず、先に相手を殺すという目的だけがあります。

だから遠くから狙撃しますし、糞をしているところを撃ち殺す。相手が倒れているところを撃つ。死んだ方が負けというルールだけがあります。目的を見失って対等に勝負しても何の意味もありません。速撃ちの試合ではなく賞金稼ぎは賞金のかかった相手を殺すことが目的なのですから。目的を達成するには手段を選ばないことを伝えていると思います。目的を達成する大切さはどんな仕事でも同様ですね。

ラストで、優しい娘がどうして人殺しの極悪人と結婚したのかわからなかったというセリフ、これは伏線として初めのナレーションで出てきます。妻が天然痘でなくなったとしてもどうして極悪人と結婚して、彼を真人間にかえたのか。彼はそれに応えてほかの女は抱かない。女性の優しさが人殺しを改心させるということも伝えているのかもしれません。結婚とはそれほどに重要なものだと。人には分からないが二人の間には自分の人生をかけて達成する目標がある、尊いものがあると言っているのかもしれません。

若いガンマンは5人殺していると言うが実は今回が殺しは初めて。保安官は正義の味方のはずが無法者でリンチを繰り返す。

持ち物が小さいと笑われて女を切り刻む牧童、ライフルの名手が相手を殺せなくなる。足を洗った人殺しがまた人殺しに戻る。マニーはリンチされて死にかけるが九死に一生を得て賞金首を殺す、保安官を殺す。人の山と谷、裏表を言っていると思います。そこが面白い。

賞金稼ぎ、仕事人のような人や組織が必要だとしたら問題ですね。悪人が個人ならいいけれども、組織体の幹部だとか、行政の幹部だとか、国家の幹部の場合、映画同様に保安官の仮面をかぶっていますからそう簡単には退治できません。彼らの行動は合法化されていますから。webにはそのような「許されざるもの」があちらこちらに存在するという情報があって驚きます。表の顔があれば同様に裏の顔がある国際社会の奥深さを思い知らされます。この映画、社会に訴えたいのはもっと遥かに大きな「許されざるもの」の存在に気付かせることを目的にしているのかもしれません。

ストーリー全体は「もも太郎の鬼退治」と同じ構成だと思います。鬼退治に行く「もも太郎」がサルや犬をお供に鬼が城に鬼退治に行きます。悪い鬼を退治して宝物を持ち帰ります。これは遠い昔読んだ本の中に書いてありました。世の中の物語はほとんど「もも太郎」の構成でできていると。

そして、NCWでは恋愛物は「ロミオとジュリエット」の話を脚色してできている事を構造分解してレクチャーを受けて納得。基本にある物語の構成は大昔からあるもの。それを場面や時代や登場人物を変えて新しい物語の脚本を書く。

映画は監督が大量に詰め込んだ演出項目を私たち観客は半分も見いだせるのでしょうか。できるだけ監督の宝物を掘り起こして味わいたいものです。それが素晴らしい人生を味わうことにつながると思うからです。

賞金首とはいえ人を殺すガンマンはラストでは殺されるべきですが、この映画では賞金を持って街に出て商売で成功して終わります。どうして悪人が栄える結末にしたのでしょうか。賞金稼ぎは人殺しですが、見方を変えると極悪人の首に賞金がかかっています。今では警察の犯人逮捕にも賞金がかけられていますよね。

つまり、合法的には始末できない賞金首や「許されざるもの」という極悪人を退治したのですから、警察、司法機能の代行のように扱っているのでしょうか。極悪人を命がけで死刑にしたということだと理解すると、ラストシーンのその後商売で成功するというストーリーが納得いきます。

脚本として参考になる素晴らしい映画でした。

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