2013年11月アーカイブ

トリプルX枠.jpg

ザンダー・ケイジ(ヴィン・ディーゼル)、又の名「エックス」は違法過激スポーツのエキスパート。首の後ろに「xXx」の大きな刺青がある。違法ビデオゲームの撮影のために上院議員のシボレー・コルベットを盗んで乗り回した上に橋から落として壊し、その腕を見込まれてアメリカ国家安全保障局のアウグスト・ギボンズから車窃盗を見逃す代わりにエージェントになるよう命令される。ザンダーはチェコの犯罪組織「アナーキー99」に潜入し、化学兵器をめぐる陰謀と対決する。(ウィキペディア)

エクストリーム・スポーツのカリスマ、ザンダー・ケイジは危険なゲームに命をかける男。ヴィン・ディーゼルは役にぴったりはまっていますね。演出を超えた本物らしさが出ています。そんな男にNSAこと国家安全保障局がが目をつけます。テストを行いながらNO.1だと言って刑務所か飛行機かどちらを選べと選択保迫られ、シークレット・エージェントに任命されます。

「xXx」のコードネームを与えられたザンダーはテロ・グループの「アナーキー99」の情報収集目的で、渋々チェコのプラハへ向かいます。ザンダーは組織のボス、ヨーギにうまく取り入って高級スポーツカー10台の取引を持ちかけて近づきます。しかしヨーギの恋人エレーナがロシアのスパイとして潜入捜査しているのを知ったザンダーは、彼女を助けようとします。

それにしても男が考えるパラダイスとは酒と美女なんですね。もし自分がそんな立場だったらどうするでしょうか。きっと同じですね。

国家安全保障局がヨーギ逮捕に向かう中、ザンダーは彼の野望を打ち崩そうと、「アナーキー99」と全面対決。車には戦車並みの装備をして追跡します。何せスタントのエキスパートですから離れ業の連続で楽しませてくれます。

アナーキー99のクラブに潜入していく映像は普通の映像のBGMからクラブのライブの音楽につながります。音に映像を合わせていきます。

SEXシーンは古城の引きの映像に切り替わります。アクションスタントが売りだと分かります。

とらわれる映像シーンのBGMにオーケストラのオペラを使い、画面がオペラハウスに切り替わります。そして音と映像が一致していきます。

ヒーロー・アクションは主役には弾が当たりません」「最初は反抗的なロシアの女エージェントが、最後は主人公と恋仲になる」という一般的なストーリではあります。

またアクションシーンも、「スタントを楽しんでやった」と言っているように生き生きと楽しんでいるスタントです。派手で危険なシーンも自演しているようです。

ザンダー・ケイジ役はヴィン・ディーゼルのために製作した映画だと感じますね。

久しぶりにすっきりするアクション映画でした。映画は問題を提起したり、夢見心地にさせたり、息もつかせないアクションシーンを楽しませたり。きっちり観客ターゲットを設定して脚本を書いているのでしょうね。楽しいひと時を過ごせる映画でした。

博士の愛した数式2枠.jpg家政婦紹介組合から『私』が派遣された先は、80分しか記憶が持たない元数学者「博士」の家だった。こよなく数学を愛し、他に全く興味を示さない博士に、「私」は少なからず困惑する。ある日、「私」に10歳の息子がいることを知った博士は、幼い子供が独りぼっちで母親の帰りを待っていることに居たたまれなくなり、次の日からは息子を連れてくるようにと言う。次の日連れてきた「私」の息子の頭を撫でながら、博士は彼を「ルート」と名付け、その日から3人の日々は温かさに満ちたものに変わってゆく・・・。

「ルート」と呼ばれている若い数学教師(吉岡秀隆)は、新学期の最初の授業で何故自分にルートというあだ名がついたのかを物語り始めます。彼がまだ10歳の時、彼の母親(深津絵里)は未婚の母で家政婦をしながらひとりで彼を育ていました。

彼女は交通事故で記憶が80分しか保てなくなった元大学の数学博士(寺尾聰)の家に雇われます。博士にとっては彼女は毎日初対面の家政婦でした。しかし、数学談義を通して彼女にとっても驚きの連続。

やがて、博士が子供がいるなら連れてきなさい、一人で家に置いておかないようにとの提案で息子も博士の家にきます。息子は頭のてっぺんが平らだったことから、博士からルートと名付けられ博士と打ち解けたて友達に。

また、博士が大の阪神ファンで、高校時代に野球をしていたことを知った彼は、自分の野球チームの試合に来て欲しいとお願いする。母は阪神タイガースのゼッケンをつけさせて博士のを喜ばせます。しかし、炎天下での観戦がいけなかったのか、その夜、博士は熱を出して寝込んでしまいます。泊り込んで看病する母子。ところが、そのことで母屋に住む交通事故の時不倫関係にあった未亡人の義姉からクレームがつきます。

彼女は家政婦派遣所から解雇を申し渡され他の家へ転属になりますしかし、誤解の解けた家政婦は博士のもとに復職が叶い、再び博士の家を訪れるようになりました。そしてルートは中学、高校、大学と博士と共に育っていったのです。そのような物語を数学の時間に話しながら数学の授業を進めていきます。生徒たちは物語に引き込まれて自然に数学の授業に親しんでいきます。授業が終わった時に一人の生徒が「ありがとうございました」と言います。ルートの物語の中で数学を教える授業は素晴らしい授業だったということが演出されています。

数学を解明していく美しさが取り上げられます。

子供のただ今と言う声を聞くほど幸せなことはない。子供は大きくなることが仕事だ。姉と義弟との不倫関係がうまくストーリーに絡んできます。

昼間の室内のシーン、窓の外の景色もありますし、部屋の中の人物の顔も明るくなっています。照明が綺麗に当てられています。

博士と家政婦の母の散歩のシーン。テンポのいい音楽がBGMで入ります。よく見ると音楽が主体で映像がつけてある。映像は音楽に合わせて踊っているということが分かります。つまり、BGMに合わせて映像が踊るようにBGMを付けていることが分かりました。今まで映像にBGMを付けると考えていましたが、音楽に映像を付けると考えてBGMを付けるんだと理解できるシーンでした。子供が帰ってくる時間だと言って二人が走って帰る姿とBGMの関係はまさに音楽に合わせて映像が踊っている姿でした。

博士は正しい基準を何度も繰り返します。

博士は、永遠の真実は心の中にある。肝心なことは心で見ないといけないと言います。

大きな滝の背景は迫力を感じます。エネルギーのある背景はやはり動いていることが必要ですね。

よいことは全体が調和していて美しい。このセリフは何事にも共通しますね。

子供は大人よりずっと難しい問題で悩んでいる。これは子供が家庭と学校しかない世界の中で、小さな問題も大きく見えていることを指していると思います。

博士は、ただあるがままを受け入れ、自然に任せきってひととき、ひとときを生き抜いていこうと思う。といいます。これは自然体に生きていくしかないという心理を言っていると思います。そして、直感を信じ豊かな気持ちにともいいます。

浅丘ルリ子さんはいつまでたってもやはり浅丘ルリ子さんですね。存在感の大きい素晴らしい女優さんです。人がたたずんでいるときはカメラが動いて画面に動きを出していますね。

山の映像が美しく撮影されています。薪能は観世流、演目にはこの物語の隠喩なんでしょうが、残念ながら能の演目までは分かりませんでした。演目が分かれば映画のストーリーと能のストーリーを対比して楽しめたものを。

人間は年を重ねていくと能舞台のような伝統芸能がしっくりきますね。人生を積み重ねるように伝統芸能が積み重ねて演じられているところに共通点を見出して入ってくるのかもしれません。だから伝統芸能の観客はやはり年を重ねた人になるのだと思います。

そして、家政婦の誤解が解けた時、義理の姉は母屋と離れを分けていた「この木戸はこれからはいつでも開いております」といって気持ちが通じ合ったことを演出しています。

今日の授業はこれまでと言ってルートは教室の窓の外を見ますが、なんとそこは砂浜と海、グラウンドではなく回想シーンになっているんでする。私はグラウンドが海になっている学校ってあり得るのかと思ってしまいました。

ラストは

一粒の砂に一つの世界を見

一輪の野の花にひとつの天国を見

手のひらに無限を乗せて

一時のうちに永遠を感じる。

ウイリアム・ブレイク

で終わります。

このような心境になるにはたっぷりの自由時間が必要になると思います。好きなことを好きなだけやれる人生の中ではじめてうかがい知れる心境ではないでしょうか。定年になってすべて自由時間になったはずなのに、FFビデオ制作を維持するために何から何までやらなくてはならずとにかく忙しくて、まだまだ到達できませんね。

この映画は教師の皆さんにも見て頂きたいです。生徒を引き込むこのような授業ができれば素晴らしいと思います。

授業をしながら物語を回想で進める形式で、授業が引きたち物語も良くできていて感動を呼ぶ素晴らしい作品でした。

日本の黒い夏のコピー枠.jpg

1995年の初夏、一年前に長野県松本市で起こった“松本サリン事件”での冤罪報道を検証するド キュメンタリービデオを制作中の高校の放送部員・エミ(遠野凪子)は仲間とともに、地元ローカルテレビ局を訪れる。他の報道関係者はエミらの取材に応じて くれなかったが、ここの報道部長・笹野(中井貴一)だけは、彼女らを快く迎えてくれたのだ。
 笹野とその部下・花沢圭子(細川直美)、浅川浩司(北村有起哉)、野田太郎(加藤隆之)は、当時を振り返りながらエミのインタビューを受ける。

題材の深刻さの割には爽快感のある脚本。純真な高 校生による問いかけという作品の形態がいいと思います。

良心的な作品で感銘を受けました。冤罪事件の発生メカニズムとマスコミの関係、警察の取り調べの様子もリアルで冤罪が作られていく過程が良くわかります。組織にはそれぞれ目的があり関係者はその目標に向かってただ走ります。しかし、事実の検証がおろそかになるととんでもない方向に走ることの怖さが伝わります。警察は事件を解決するのが仕事で、冬季オリンピックを控えて逮捕実績を作らなくてはなりません。どうしても犯人を逮捕した形に持っていきたいのは当然です。マスコミは視聴率と販売実績が利益の源泉ですからとにかく売れるニュースを流したい。スクープを取りたい。そして利益を上げたいのも当然です。

問題は容疑者にされた人の人権です。明確な証拠がない場合容疑が晴れません。警察の執拗な取り調べ、睡眠時間を取らせない厳しい刑事の対応から解放されようと、うその自白という話は冤罪の種ですね。頭のいい人は有罪であっても刑事の誘導訊問に引っかかったふりをして調書を作らせて、裁判であり得ない調書内容だと証明することで無罪を勝ち取る例もあるようです。季節感に矛盾した行動とか夜と昼の関係に逆らったことととか、誰が聞いても前後のつじつまが矛盾する調書をわざと作らせるとある本で読んだことがあります。

刑事は焦っていますからどんどん誘導してくるらしいです。両親が泣いている。子供がいじめられている。家から出られないでいる。だから早く白状して楽になれというように。昔の相当取り調べは厳しく、睡眠不足にしておいて、はったりや嘘で容疑者をノイローゼ状態まで持っていこともあったようです。とにかく疑わしい容疑者なら誰でもいいから犯人に仕立てます。一件落着しないと仕事が終わらないからです。刑事さんも人の子ですから。

容疑者はそんなことは百も承知ですから、拘留されたら完全黙秘しながらじっくり矛盾する調書のパターンを考えておいて、刑事が誘導してきたら乗るらしいです。刑事さんと容疑者の知恵比べでしょうか。30年くらい前に読みましたから知ってみえる人も多いはずです。

この映画は実にわかり易い形でさまざまな問題を提示してくれるので、冤罪事件を風化させないためにも貴重な作品だと思います。一般市民とともにマスコミの方には特に見ていただきたいですね。冤罪を作る報道はしないように願いたいものです。
 

映像については美しい信州の景色と雲が描かられています。容疑者にされた神戸さんはサリンで倒れた妻を見舞いに行きますが、妻の喉には人工呼吸用のパイプが首に穴をあけてつけられています。

神戸さんはうその証言だと言って警察に証人に会わせてくれと言いますが、警察はそれはだめだと言います。でっち上げの原因がここにあります。証人と神戸さんが話せば勘違いだとすぐにわかるのにです。警察は2時間の参考人尋問を許可するという診断書を無視して7時間も訊問します。そこに容疑者の人権はありません。とにかく落としたいのですね。そして嘘発見器まで使用します。そのような根拠の不明確なまま警察は情報を発表しますからマスコミはそれを報道します。そして冤罪が作られていくのですね。

容疑者の家には脅迫の手紙が届きますし、脅しの電話も入ります。容疑者は自白を強要されますし踏んだり蹴ったりです。

そのような中でも神戸さんは子供たちを集めて私がなくなったらこの金を使いなさいと貯金通帳を出します。それでも足りなくなったらこの家を売りなさいとまで。無実なんだから家族に堂々とふるまいなさいと言って家族は団結します。

そんな中でもマスコミは科学的な検証もしないまま容疑者が犯人かのような報道を続けます。冤罪のイメージを作るのはマスコミですね。だから冤罪を晴らすのもマスコミの仕事だと指摘しています。

そして翌年3月東京サリン事件が起こり、カルト教団が松本サリン事件を白状します。そして県警はカルト集団の犯行と断定。これで神戸さんははっきり白となります。

そのあと松本サリン事件の映像、例の小鳥を入れたかごが先頭で警察が行進していきます。また、サリンをトラックから噴霧する様子がリアルです。そして妻が痙攣し、犬が泣いて、消防隊がガスマスクを着けて被害者を救出する映像。神戸さんは妻に続いて倒れますが、その時に子供に後のことは頼んだぞと言い残します。神戸さんはしっかりした大人の行動でした。救急車と野次馬の映像がスタートの映像とダブります。

高校生は新聞やテレビはもっと真実に基づいて報道していると考えていたと失望します。高校生のテレビ局へのインタビューを通して物語が進む方法がストーリーを分かりやすくしています。テレビ局は反省を言葉だけで終わらせたくないと特番を組んで神戸さんを参加させた番組を作ります。

最後に刑事が神戸さんに「済まなかった」と詫びを入れて神戸さんはわだかまりが消えたと言います。神戸さんは刑事の立場も理解していて大したものです。

私の印象はこうです。

冤罪の場合は正々堂々と戦うこと。そして、人生は比較のトリックの中にあります。最悪のことと比較すれば今の平凡な生活が素晴らしく感じます。最良のことと比べたら何をしても不満の日々になります。このように我々の人生は所詮比較のトリックの中にあると思いました。

それは神戸さんが最悪の状態と言える容疑者の立場から無罪になり「もう思い残すことはありません。意識の消えた妻と共有できる時間と空間がもっとも大切なものと思えます」と言うセリフでハッと気ついたことです。今までの容疑者としての最悪の状態と比較すれば車いすで口のきけない妻と共有する時間でさえいとおしいと感じると言うのですから。

人生の大切なことに気づかせてくれるすばらしい映画でした。

私たち一般人も普段から真実を検証して発言しないといけないと思いました。利益追求優先の一つのマスコミ報道をうのみにするのではなく客観的な情報を収集する姿勢が必要ですね。つまりTV系、新聞社系、出版社系、webなど複数の信頼できそうな情報源から判断するということですね。いろいろ偏った報道が多い世の中ですから。

常に政府や行政の政策や組織の対応に何か咎めるものがあるのではないかと言う姿勢の記事やニュースを毎日流していますが、このような報道は読者が軽蔑の眼で見ていると思います。ひどいものは一面に社の方針を特集でかでかと掲げる紙面、このような姿勢の報道はいくら書いても多くの人には読まれないと思います。報道は客観的なものしか読みたいとは思わないのですよ。

ものごとには100パーセント有効だと言うことはまれであり、7割は有効であるが後の3割は害がある、あるいは副作用があると言うのが政策、商品、薬品の姿だと思います。7割の効果を評価したええで、残りの3割を可能な限り減らしていく議論こそ必要ではないかと思います。3割を批判して7割の効果を葬る姿勢の報道は如何なものでしょう。主客転倒ではありませんか?

私は報道の姿勢は思想的な偏りがないこと。そして、ものごとの本質を突いていること。さらに残りの3割の課題を提示して改善の対策を論じていくような報道姿勢を期待するものです。

フィラデルフィア2のコピー枠.jpg「羊たちの沈黙」でアカデミー監督賞に輝いたJ・デミが、“エイズ“を真正面から描き、世界の注目を集めたヒューマン・ストーリー。フィラデルフィアのエ リート弁護士アンドリューは、ある日エイズを宣告される。それに気付いた会社側は彼を即刻解雇。アンドリューはエイズ患者への不当な差別として訴訟を決 意。しかし彼の弁護を引き受けようという者はいない。彼はやむなくかつて敵だった黒人弁護士ミラーのもとを訪れる。アンドリューの熱意にうたれたミラー は、奇妙な友情を感じながら、法廷に立つことになる……。本作でオスカーを獲得したT・ハンクスの鬼気迫る演技も秀逸だが、それ以上に音楽の使い方が抜 群。ブルース・スプリングスティーンの美しい主題歌に加えて、アンドリューがマリア・カラスのアリアにのせて心情を語るシーンの激しさ、痛々しさは観る者 の心を揺さぶってやまない。(ぴあ映画)

HIV感染はエイズで死の病。一緒の空間にいるだけで感染する気が。握手、同じものを使う、空気感染など、特にゲイに多い病というのが私たちの知識ですね。映画ではこのようなイメージが一般的なものとして描かれてます。
実際、身近に事例がありませんから何も知りません。
ゲイについては、私は全くの素人で何も分かりませんし、同性を愛するということは嫌悪感がある方です。役者にならなくてよかったと思います。同性愛のシーンをやらされたら苦しくて出来ないかもしれません。しかし、ニューハーフなら女性の範疇なので問題ないですね。スナックにもよくフィリピンのニューハーフさんがいましたから。全く女性そのものです。

このような一般的なイメージを元にしたHIVに対する偏見や差別の実態が映画のテーマになっています。
偏見や差別といっても「嫌悪」ではないかと感じました。恐怖感というのは空気伝染しないからありません。また、法律で差別を禁止しているらしいので接近しない付き合い方がイメージとしてあります。映画では図書館で調べ物をしていると個室に移動してはどうかと勧められます。咳をしたり鼻をかむと傍の人は離席していきます。図書館の天井からのアングルが印象的でした。HIVを理由に雇用差別するのは違法行為、不治の病の上に経済基盤を無くして社会的に葬り去るからです。


彼はなぜHIVだと分かりましたか?顔にあざができたからと言います。そうなんだ。彼女は輸血でエイズになったが事務所は首にはならなかった。しかし、アンドリューはゲイでHIVと二重に問題があるため首に。


伝染する恐れがある以上、HIV患者が近くにいない方がよいと感じるのだと思います。映画でも主人公を弁護する弁護士が、「本当に触っただけでは感染しないって断言できるの?」と医者に問うシーンがあります。やはり心配弁護士でも知識不足なんだと思わせます。

HIVの症状で下痢を起こしてトイレに立つのと入れ替わりに画面が切り替わって人が入ってきます。

この伝染の恐れは周りの人もさることながら、本人は更に心を砕くことと思います。もし、妻がいて子供がいてHIVと診断されたらどうなるでしょう。どうするでしょう。家族は同様にふるまってくれるにしても、家族全員に感染症患者の身内だと言う荷物を背負わせることを感じますね。実際サラリーマンをしていた場合自分ならどうするでしょう。考えただけでも恐ろしくなります。

道は二つ、一つは打ち明けて闘病生活に入り、家族に荷物を背負わせて死を待つ。

もうひとつは秘密にして事故死の方法を考える。自殺すると家族に迷惑がかかりますから。自殺に見えない工夫が必要になりますね。

長い間生きているといろんな事故死の話も聞きます。中にはまったく原因不明で子供が小さいのに亡くなる人もみえます。仕事が原因でもないとなるとうかがい知れないこを本人が悩まれた末の判断かもしれないと思ったこともあります。多分誰もが察しているのでしょうがその原因は迷宮入りにします。原因不明のまま姿を消すことが供養ですから。合掌。

ところで長く生きているとどのようなタイプの人間が事故に有って死に急ぐのかが統計的に分かります。やはり若いうちから無茶をする人、非合法ではないもののルールを破るのが好きな人、命にかかわると言われても面白半分に冒険のつもりでやってしますこ人を指しています。

そのような人は中年になっても無茶をする癖が残りますが、体力が衰えていることを計算に入れません。無茶をするということは例えば1/10のリスクがあるとします。無茶にもよりますが分母が分からないところがいいのでしょう。そして分母と分子の数字が同じになった時に事故になるというわけです。ですから若い子の無茶をする習慣は辞めさせた方がいいと思います。分子が分母と同数にならないうちに。しかし、ふざけてばかりいる子供をほほえましく見ている母親に、辞めさせた方がいいとはなかなか言いにくいものです。残念ながら将来その子供は自業自得の結末になる可能性がありますね。

私が25歳の頃、定年前の部長と話していたら、新入社員の女の子を見てこの子は将来妊娠中毒になりそうだなと言っていましたが、数年後その通りに。長老の話は長い経験の中で統計的な傾向を把握していますね。自分がその年齢になるとわかるような気がします。定年を迎える年齢の人にたくさん話を聞くといいと思います。未来が見えるかもしれません。

映画の中では主人公がエイズであることを知っても心底差別しなかったのは家族と恋人だけでした。映画では「ゲイ」の部分と絡めて、HIVに対する差別の元となる嫌悪の部分を演出しています。
弁護士事務所の社長が、「HIVを職場に持ち込んだ」といいますが「HIVはゲイの病気」という先入観があり、自業自得と言っているようにも感じます。
裁判でもゲイの映画館でセックスをしたことはあるかと質問します。3回行って1度セックスしたと応えます。裁判で真実を語ると約束しますがここまで話すのかと思いました。裁判では人種も肌の色も性癖も法廷内と社会では扱いが違うと言います。建前と本音の違いです。

HIV患者にゲイが多いのは事実らししいようです。健全なゲイの人も多いとは思いますが。

どこの会社でもHIVだとわかったら困るでしょうね。多分自主的に会議室をつぶして隔離事務室を作ってそこで仕事をする方が本人も気が楽だし、会社も安心できる、他の社員も安全ということになるのかもしれません。もっともコンピュータ関係のパソコンだけを使う仕事だったらですが。そう考えてみると映画の弁護士事務所がHIV患者の扱いに苦慮して首にしたことは違法ですが気持ちは理解できるように思います。弁護士の仕事は人と会って話すことが仕事ですから感染の危険性を顧客に意識させてしまいます。出来れば上場企業の法務部に就職してパソコンで法律相談対応や書類作成ができたらよかったのかもしれません。


年末調整の申告書で障害者控除を申告しない限り職場にバレる可能性はないらしいですが、私達に重い課題を提案する内容でした。差別は違法だという知識。そして、ゲイに多い病気の恐怖感と男性諸君は自粛しないととんでもないことになる可能性があるぞと言う映画でした。自粛、自粛。

部屋で明日の法廷での質問の練習をするシーンで、アンドリューはマリアカラスのアリアを聴いていて練習にはならず、弁護士は家に帰ってもそのアリアが頭がら離れずBGMとして流れます。いい演出です。

法廷で倒れた後の死期の迫った病室では、弁護士の目線と病人の目線が交互の主観アングルとなります。これもいいですね。

面白いのは弁護士1000人を海に沈めたらどうなるかという質問をすると、世の中がよくなると応えます。なんと二回もこの台詞が出てきます。アメリカの訴訟天国に懲りて比喩していますね。

そして亡くなった後、自宅ではアンドリューの子供時代のビデオを家族が見ています。人生記ビデオですね。人は亡くなっても映像は不老不死ですからその思い出は残せますし、家族の心が癒されます。ビデオの映像を頼りに新たな物語を思い出すこともあるでしょう。人生記ビデオは本人が亡くなった後その素晴らしさを実感できるものですね。

もし私が映画で同性愛を扱うのであれば、男女の恋愛同様に身も心も離れられないドロドロした演出を求めるでしょうね。そこまで描かないと同性愛のリアリティが出ないでしょうから。でも安心してくださいオーディションできちんと愛欲シーンを演じられるか確認しますから。

パルなさすの鏡枠.jpg数世紀前に悪魔との賭けにより不死の命を手に入れたパルナサス博士は、自分の娘を16歳の誕生日に悪魔に引き渡さねばならなくなり、苦悩していた。彼は自身の率いる、他人の想像の世界を垣間見る鏡の見世物を巡り、パーシーら古くからの仲間とともに興行を続けながら、何とか悪魔との賭けに勝利する手立てを画策していた。そんな折、博士はタロット占いの「吊られた男」のカードが示した、橋の上から吊るされた若者トニーを死から救う。助けられたトニーは商才を発揮して見世物を繁盛させ、博士の助けとなるが、悪魔との賭けのタイムリミットは目前に迫っていた…。(ウィキペディア)

この物語は何度失敗しても懲りない男、パルナサス博士のお話です。正に何度負けても懲りない博打うち、勝負師の物語。

監督が凄い。なにしろ障害が大きいのです。撮影完了前に主要登場人物を演じていたヒース・レジャーが急死しています。それを同じ役を複数のよく似た男優達3人が鏡の中のトニーを演じるというアイデアで乗り切るのはギリアム監督ならではでしょう。よく見ると鏡の中のトニーは顔が変わっています。監督の不死鳥のようなパワーを見習いたいものです。

この映画はギリアム映画の集大成と言われています。映像は未見性のある映像でカラフル、キッチュ、不気味でキュート。

パルナサス博士は悪魔との賭けに生きがいを感じている占いと博打中毒。更にアルコール中毒。

鏡の中の世界は未見性の映像で素晴らしいと思います。

照明が明るくて色が出ています。背の低い小人が出てきます。日本では出てきませんが外国間映画では小人が出てきますね。日本でも俳優登録されているのでしょうか。もし出演してもらえるなら日本の映画としては珍しいと思います。

旅芸人一行は2007年のロンドンに今にも壊れそうな馬車で現れます。ファンタジー映画っていいですね。現代に夢の世界が突然現れてキャストが演技するなんて楽しいと思います。
でも金と手間がかかりそうですね。
 
座長のパルナサス博士は年齢1,000歳以上。芸人一座の唯一の出し物は人の心の中の欲望を具現化する「イマジナリウム」と呼ばれる鏡です。

ステージの鏡を通り抜けた観客は自分の願望を反映した幻想世界を体験できるます。しかし、意味のわからない出し物に客は集まりません。

パルナサス博士は昔偉大な僧侶でした。
一人の女性に恋をして何とか成就させたいばかりに、悪魔のMr.ニックに不死と若さを手に入れる代わりに、生まれた娘が16歳になった時彼に渡すと約束しました。
何も知らない博士の娘ヴァレンティナは、ある日橋の欄干で首を吊っている青年トニーを助けます。

記憶喪失のトニーは一座に加わると巧みな営業話術で女性客を惹きつけてヴァレンティナも彼に心奪われます。そして娘の誕生日の3日前、Mr.ニックが現れて新たな賭けに勝てば娘を渡さなくてもいいと博士に言います。
賭けとは、ステージの鏡の世界に入り込んだ客に、悪魔の欲望の道と節度ある博士の道のいずれかを選ばせて、先に5人を獲得した方が勝つというものです。

事情を盗み聞いたトニーは次々と女性客を鏡の中へ誘導。
そのうちに、トニーは記憶を取り戻し、自分を殺そうとしたマフィアの姿に気付いてトニーも鏡の中へ逃げ込みます。印象に残る長い梯子で竹馬をして逃げるシーンです。
鏡の中で客の願望を形にしたトニーは客を博士の選択へと導きます。

しかし残り1人になったとき、トニー自身の願望を反映したトニーが誘導に失敗します。
マフィアと悪魔に迫られ、一緒に鏡の中へと逃げ込むトニーとヴァレンティナ。
すると、ヴァレンティナの願望を反映したトニーが彼の真の姿を現します。
トニーはマフィアに慈善事業の資金提供を受けていたのです。
マフィアはマネーロンダリングに慈善事業を利用。トニーは子どもたちの臓器売買を行い、マフィアの金に手を付けて追われていたのです。

ヴァレンティナはトニーに裏切られて自暴自棄となります。そして、悪魔のMr.ニックが止めるのも振り切り、悪魔の欲望の道に入っていきます。
娘を失ったと知ったパルナサス博士は落ち込みます。
Mr.ニックは、「悪運の強いトニーはなかなか殺せない。もし殺すことができたら娘を返してやろう」といいます。

パルナサス博士は、トニーの持っていた首に入れる管をトリックですり替え、首つり後に息ができなくします。首に入れた管が壊れて生き返れないようにして首吊死させます。
悪魔はヴァレンティナの身を自由にしますが、パルナサス博士は娘の行方を見失ってしまいます。

乞食に落ちぶれたパルナサス博士はある日、娘に似た若い女性を見かけます。後をついていきレストランの幸せそうに家族といるヴァレンティナの姿を見つけます。
博士は安心して娘に面会することなく分かれて、旅一座の小人とともに紙芝居屋を始めます。しかし今度は小人に指示されています。
 
ファンタジー映画の中に懲りない人間の姿が描かれていて、最後はハッピーエンドで素晴らしい出来です。

スパイゲーム枠.jpg

 数々の困難な任務を遂行し今や伝説の存在と化したCIA工作員ネイサン・ミュアー。彼にとってトム・ビショップはその弟子でもありもっとも信頼のおける相棒でもあった。ミュアー自身がスカウトし、スパイに関するあらゆることを教え育て上げた。二人は互いに尊敬し固い絆で結ばれていた。しかしミュアーのCIA退官日、ビショップが中国側にスパイ容疑で逮捕される事件が起きる。ミュアーはビショップを見捨てようとするCIA上層部の反対を押し切り、背後の巨大な陰謀を承知の上で、ビショップ救出の壮大な作戦を計画するのだった。(yahoo映画)

イケメン俳優の共演と言うよりストーリーが見事な作品です。

1991年春、CIA工作員ネイサン・ミュアーはあと1日で定年引退を迎えようとしていました。最後の日を平穏無事に迎えるかに見えましたが、友人のCIA香港支局長からの電話により、部下のトム・ビショップが中国で逮捕されたと聞かされます。許可なく中国人と刑務所に侵入して失敗します。

冒頭で作戦が失敗した映像を見せて観客を引き込みます。それからその作戦に至ったいきさつが細かく映像で描かれます。観客はなるほどと言うわけです。

映像は工作員が捕まったことに対する対策会議が主体で進みます。そこに呼ばれたミュアーがビショップをCIAの准軍事工作員に育てていった経過を説明しますが会議でこの作戦と言って、フラッシュバックで過去の現地の様子を映像で見せます。

その中で、不利な状況でも、ビショップはチェー将軍を仕留め、暗殺作戦を見事に成功させます。そして脅威であったヘリコプターを撃墜し負傷した相方と生還を果たしたビショップをミュアーはCIAに採用すべく動きます。

ビショップは、難民キャンプで救援活動をしているイギリス人女性のエリザベス=ハドレーと男女の仲になります。スパイ物は直ぐに男女の仲になりますね。いや映画で出会うキャストの男女は同様ですね。上映時間が短ティからカット割りしていくとそうなるのでしょう。

そんな中ビショップは、ミュアーの誕生日を調べ上げ「スキッドボトル」をミュアーの誕生日の祝いとして贈るという「ディナー・アウト」作戦を遂行して喜ばせます。このスキッドボトルがうれしくて全財産を使って救出するのですね。

ビショップが蘇州刑務所に潜入した目的は、その刑務所からエリザベスを助けるためでした。

ミュアーは何とかCIAで時間を稼ぎ、拘束から24時間経過後にスパイは自供をするという慣行に従い、ビショップの解放を外交交渉に委ねるように事態を仕向けますが誰も協力せず処刑されるのも時間の問題に。

CIAではビショップの行動理由や考え方を分析するために彼の幼い時からの経歴を洗います。ミュアーを会議室に呼んで過去の作戦の様子などを聞き出します。確かに人間の行動を予測するには過去の履歴を徹底調査することでどのような思想、どのような正義感、非合法な行動の有無、趣味や好物までを一人の人間の特徴として書き出すことで、考え方や行動予測ができると言うのは興味深いです。確かに人は過去の蓄積を基に行動しますから。

そして、暗殺についても必ず予備の作戦を計画しておいて、失敗しそうなときは予備の計画を発動して必ず成功させるというCIAの作戦は会社の仕事と同じですね。両方とも失敗は許されませんから。

そして、ミュアーはビショップを救出する為、CIA本部をも相手取ったスパイ・ゲームを開始画策します。

ミュアーは老後の蓄えにとっておいた株や債券をすべて現金に換え、その資金を賄賂にして蘇州刑務所を30分間停電にする計画を立てます。停電の時間に合わせて米軍が刑務所を襲い、ビショップとエリザベスを救出する作戦を「ディナー・アウト作戦」の名で、現地に駐留する米軍部隊に実行するよう偽のCIA長官の命令書で手配します。

会社でもそのような社名や社長名の文章を作るのは可能ですね。普段から文章を作成していて認め印だけ押してもらうだけですから。社名と社印部分だけカラー印刷で貼り付けてコピーすれば偽命令書はできます。

救出されたヘリコプターの機内で「ディナー・アウト作戦」の名を聞いたビショップはミュアーが自分を助けてくれたと気付き感極まります。

そしてCIAに現地駐留軍司令から「ディナー・アウト作戦が成功しました」と報告が来た時、CIAの連中はあっけにとられて騙されていたと知り、ミュアーのスパイ・ゲームは勝利で終わります。

現地の駐留軍は軍本部からの命令で作戦を遂行しますから、偽指令で有っても本来の手続きで本来の書式で届いて、電話で命令の内容を確認できれば動かせますね。その欠点を見事に突いた作戦です。

ラストは救出ヘリの帰還の様子と、ミュアーがポルシェでCIAから帰っていく映像がフラッシュバックになります。この映画は時間軸と場所の軸を見事にフラッシュバックでつないで見せています。フラッシュバック技術の下敷きになる映画ですね。

引退の日にこんなスパイゲームを仕組んで部下を助けるなんて最高のストーリーですね。多分ビショップは使った経費の倍の金を将来プレゼントするでしょうね。

ちぇ391枠.jpgボリビアでのげりら戦の敗北と処刑までを描いた『チェ 39歳 別れの手紙』の二部作目。

革命の英雄、チェ・ゲバラを描いた歴史ドラマ2部作の後編で、キューバ革命後もなお世界の革命を指導することに闘志を燃やすチェ・ゲバラの死までを衝撃的に描く。監督は『オーシャンズ』シリーズのスティーヴン・ソダーバーグ。オスカーを受賞した『トラフィック』以来のソダーバーグ監督作出演となるベニチオ・デル・トロが、風ぼうまで似せてチェ・ゲバラの革命への熱意を体現。すべての人の自由と平等のために闘うひたむきなチェ・ゲバラの姿に心が熱くなる(yahoo映画)

第1部は革命が成功に向かいますが、第2部の革命は敗北と銃殺。

キューバで成功した革命がボリビアでは失敗します。ゲバラはキューバ革命と同様の行動を取ります。農民に敬意を払って信頼を得て彼らを味方に引き入れようとします。これは彼のやり方です。しかし、キューバではうまく行きましたがボリビアでは外国人と言うこともあり失敗していきます。農民たちは政府軍に味方してしまいます。出来たらボリビア人の司令官を立ててゲバラは参謀に徹した方がよかったのかもしれません。ゲリラの場合は命がけで政府を倒すのですから外国人に命を預けるとというのは無理だったのかもしれません。

共産党の支援も打ち切られます。キューバの二の舞にならないようにボリビア政府とアメリカCIAのが敵対します。ゲバラは真っ直ぐな信念を変えず作戦変更も撤退もしません。少なくなった兵で最後まで戦い抜きます。

彼はキューバで成功している自分の戦い方に自信があったのだと思います。しかし、外国ではそうはいかない。革命の意義を唱えても国民がついてこなかった。

ゲバラは「愛のない革命家なんて考えられない」と言っています。敗れていく戦いの中で最後まであきらめなかった姿勢は素晴らしいと思います。第一部のキューバ革命は成功、第二部のボリビア革命は失敗して銃殺されますがゲバラの素晴らしさが印象に残ります。ここが監督の狙いですね。

ゲリラ戦で大切なのは後方支援だと思います。食料や銃器、銃弾、車両などをどんどん補給してやらないと前線は戦えません。そして諜報活動ですね。そのような前線の兵士と後方支援部隊をまとめる二人の司令官を補佐する諜報司令官で組織を作る必要がありますね。目的を達成するにはまず組織整備、そのための人材、軍資金ですね。私ならそこまでやらないと勝利までの計画が立案できないと思います。勝利の計画案ができない戦いは決して勝てないと思います。

ジャングルで行軍したり戦うゲリラの映像は手持ち撮影です。雰囲気が出ていますね。

ゲバラは兵士に住民に対して脅しや凌辱はダメだと命令します。食料もきちんと金を払って手に入れようとします。そして嘘はつくなと。

重症の兵士が腕時計を息子に渡してくれと頼みます。何か形見のものを息子に残したい親の気持ちがよく出ています。

ゲバラはここでも喘息が出て苦しみます。ゲリラ戦は先に相手を見つけて発砲した方が勝ち。狙い撃ちされますから。

木の上に登ってラジオの電波を受けて戦況のニュースを聞いています。ニュースを政府軍がでっちあげたらゲリラの場合は困りますね。

ゲバラはこの戦いを生き抜くには死んだ気で生きるしかないと言います。

戦争に使用する銃器は殺傷力が強力で身体を貫通します。血しぶきがあがります。普通のピストルは威嚇ようなので、痛い程度と言われますが、戦争に使う銃は確実に相手を殺傷しますからまずいです。軍隊の武器は秒20発という性能ですからとにかく逃げるしかないと思います。機関銃や高射砲の薬きょうが横に数メートル飛ぶのを見たら背筋が寒くなります。

夜の行軍のシーンは昼間のシーンを青くカラコレしていますが、少しリアル感に欠けますね。できるだけ夜に撮影しないと。

ゲリラのメンバーは地元の兵士で地理を知り尽くしていることが前提ですね。政府軍より勝るのは地理情報だけなのですから。

行軍の映像を見てロケ隊だから直ぐに休んでお疲れさまとやっていたらいいですが、本物のゲリラ戦だったら体力、気力、知力、戦闘力を維持し続けなければなりません。訓練を重ねた若者の出ないとゲリラ戦は無理ですね。劣悪な生活環境だし。疲弊した兵士が略奪、強姦に及ぶのは自然だと感じます。

ゲバラは医者だったのでゲリラ戦でも医術が役に立ち、兵士からも農民からも命を助けますから信頼されます。何か1芸がないと信頼される兵士は務まらないかもしれません。

ゲバラが足を撃たれた時、カメラは本人目線になります。

そして捕虜となって銃で処刑されるとき、カメラは本人目線になります。数発撃ちこまれて意識が遠のく様子がだんだんぼけていく映像として描かれていて素晴らしいと思います。

そしてラストはヘリが彼の死体の首に縄をかけて運搬していきます。そのあと映像は若き日のゲバラがカストロとともに船に乗って革命戦に行くシーンになって終わります。

チェ・ゲバラの革命に捧げた正義と愛の半生を見事に描いていたと思います。

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キューバ革命の英雄チェ・ゲバラの実像に迫った伝記映画の前編。彼がカストロとともに反乱軍を率いて勝利するまでを描く。

キューバ革命の英雄チェ・ゲバラの実像に迫った伝記映画の前編。スティーヴン・ソダーバーグ監督がジャングルの行軍と戦闘を再現。英雄像の裏に隠れた人間味溢れるゲバラの姿を描いています。国連での演説も再現、ゲバラをスクリーンに焼き付けたベニチオ・デル・トロの演技はカンヌ国際映画祭男優賞受賞に。

映画は全編スペイン語。チェ・ゲバラがメキシコでカストロと軍事独裁政権打倒で意気投合し、ゲリラ部隊を率いて民衆を味方につけ、軍事政権を倒すまでとキューバ革命成功後、政府代表として国連で革命の意義と新生キューバの正当性を主張する演説がフラッシュバックで進みます。
ゲバラ役のベニチオ・デル・トロの演技が素晴らしく、実物そのものに見えます。

監督が描きたかったのはボリビアに渡って革命闘争に失敗し、非業の死を迎える部分。それを描くにあたってキューバ革命に身を投じた過程を描く必要があったとのこと。

ゲバラは医者として何不自由なく暮らせる人生を捨て独裁政権に抑圧されるキューバ人救済のために人生を捧げ、持病の喘息に苦しみながらゲリラ戦を闘い、革命家として大きく成長していきます。

けが人は放置しないで担架で運びます。国連でキューバは正義の側に付くといいます。

ジャングルを行軍する兵士の姿は緑色の樹木の背景の元で美しい映像です。映像はジャングルの先頭と国連でのゲバラの演説の姿が交互にフラッシュバックして描かれています。それが革命後の国連がモノクロで過去のジャングルのゲリラ戦がカラー映像なのです。

ゲバラは革命にとって最も大切なものは「愛」だと言います。国に対する愛、家族への愛、兵士に対する愛ですね。

裏切り者の兵士の射殺シーンからピストルの音を介して国連の拍手のシーンに切り替わります。

傀儡政権による政治支配を終わらせ、長い服従から目を覚ます。これは耳の痛い言葉ですね。どこかの国が戦勝国から押し付けられた憲法改正論議で同じようなことが言われていました。押し付けられたとはいえ67年何も戦争をしないで済んでいてメリットもあるはずなので複雑だと思います。押し付けた方は他国と戦争ばかりしていますから。

カストロはキレ者で、大事なのは去った兵士ではなく残った兵士とこれから入ってくる兵士だと言います。

個人は人間本性を満たし、表現する自由がある。これもいいセリフです。

おもちゃを一つ持っている子供は二つ四つと欲しがるこれは人間の本性そのものだ。その通りですね。

迫撃砲で攻撃された時皆に太い箸のような木を口にかませていました。爆撃の時に思いっきり歯を食いしばるため歯を痛めないように木を噛ませているように感じました。そんなことするんだ。

ゲリラは腕に「26」と書いた腕章をつけています。番号を付けて仲間を区別するなんてよくわかりますね。

軍隊は命令で動きます。死の淵でも兵士は命令で動きます。つまり組織体はトップを攻略すれば敵は戦闘を停止しますね。組織体で有れば何事にも通じると思います。

ゲバラは農民の兵士に社会的なルールや読み書きを教え、勝利に酔う部下の略奪や横暴も厳しく戒めます。住民を敵に回しては勝利はあり得ないということですね。ゲバラの人柄と指導力が民衆の支持を集めます。

ハバナに侵攻する道路で、敗走した政府軍の兵士から真っ赤なオープンカーを奪って進行するゲリラ兵に車の返却を命令します。そして電車かジープ、あるいは徒歩で来いと言います。国を開放する信念の人だという演出ですね。

感動的なのは第二部への観客勧誘もありますね。素敵なゲバラに描かれています。

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モーガン・スパーロック自身が1日に3回、30日間、マクドナルドファストフードだけを食べ続けたらどうなるかを記録したものである。この間、健康のための運動はやめ、彼の身におこる身体的・精神的な影響について記録している。さらに、スパーロックはファストフード業界の社会的な影響を調査し、この業界が利益のために栄養を犠牲にしていることを明らかにした。

スパーロックは当時33歳、身長188センチメートル、体重84キログラム、体脂肪率11%、体格指数23.7(正常値はアメリカでは19~25である)と、健康体であった。30日後、体重は11キロ増え、体脂肪率は18%になり、体格指数も27(アメリカ基準では「標準以上」)、躁うつ、性欲減退、かなり深刻な肝臓の炎症を起こした[1]

スパーロックの実験の動機は、米国の保健福祉省長官も「蔓延している」と宣言するほどの米国社会の急速な肥満の増加にあり、これに呼応する形でマクドナルド社に対して起こされた訴訟にあった[2]。この訴訟自体は因果関係が認められないとして裁判所に却下され、マクドナルド側の勝利に終わるものの、スパーロックはタバコ会社に対するのと同様の非難がファストフード業界にもあてはまるのではないかと指摘した。

映画はアメリカで2004年5月7日に公開され、全米興業収益のトップ10に2週間載るなど、ドキュメンタリー映画としては大変な成功を収めた[3]、またアカデミー賞の優秀ドキュメンタリー映画部門にもノミネートされた。(ウィキペディア)

 

スーパーサイズというのは米国ならではの巨大サイズのことでデカいサイズの容器に入っています。私は半年に一度くらい人に誘われた時だけマックを食べます、ドリンクもSしか頼まないけど。どうしてあんなにでかい物が腹に入るのか不思議。普段の打ち合わせは100円コーヒーだけですね。マックは都内の各駅に有りますから待ち合わせに最適です。都内の某プロデューサーに教えていただきました。

アメリカは何事も大きいのが好き、人が大きく肥満体の人が多いから車も大きい、家も大きい、しかし、とっても不健康。アメリカはやり過ぎ国家だと言っています。ミシシッピーは何と4人に1人が肥満体。そして代償は食費と腰回りのサイズ。肥満の原因はファーストフード。身体に毒だと知っていて販売しているところに問題があると指摘しています。

マックはファーストフードで43%のシェア、アメリカでは60%の人が肥満体。肥満は喫煙者の死亡率を超えるだろうと言っています。しかし、肥満はたばこのように世間から叱責されないところに問題があります。肥満は許されているのです。

ファーストフード店は子供におもちゃを提供するなどして子供の時代から取り込みを画策しています。だからファーストフード店の前では子供を殴る、叩く、そうして近づかないように子供の体に刷り込まなければならないとも言っています。若者の肥満が増えて病の原因になっています。肥満→肝機能障害→運動不足→肝硬変。

日本ならお米を小学校の給食に使って美味しいおコメの味に取り込むべきでしょうね。ガスで炊いた炊きたてのご飯を子供に毎食食べさせれば他のものを食べられないと思います。ご飯のうま味は最高ですから。

アメリカは周りが変わらないから自分が変わらなければならないとも。ファーストフードは宣伝費が大きく、宣伝しただけ売り上げも伸びます。それは顧客に正しい判断材料を与えていないことが原因だと言っています。

ドキュメンタリーなので一般の人の目には編集で黒いテープをかけて顔を隠しています。

学校では炭酸飲料の自動販売機を撤去したら子供たちが変わったと言います。(正常に) 金の問題ではなく体の問題なんだ。

スーパーサイズを頼む人は5人中5人で100%スーパーサイズを頼むようです。

全米一の肥満はヒューストン。子供を鍛えないと未来はありません。

肉食は不道徳。食べると気分が良くなる症状は既に中毒になっている証拠。ファーストフードは食べないほうがよい。食べるなら月に一度と栄養士の話。アメリカは健康には熱心ではない。しかし、ダイエットには熱心です。

肥満を治すにはいのバイパス手術が有効。

人間は大きな問題にぶつかるとそれを解決するための新しい方法を考え出すものだ。だからあきらめるな。

食品業界の圧力団体は強力、会社に不利な法案は通さず、有利な法案だけを通すように活動します。

甘味料の入った飲料は禁止すべき。高カロリー食品ばかり。

マックは定期的に食べる人は危険。

基本的には「乱れた食文化を広めた大企業」を批判して矯正させる映画ですね。

マイケルムーアの『華氏911』と同じように、映画で社会問題を提案して考えさせる素晴らしい映画です。

30日間マックを毎食食べ続ける実験の発想がいいと思います。監督本人が挑戦しています。これを見て「ファストフード」は避けようと言うまでは行きませんが、食べ続けると有害なことを丁寧に伝えていると思います。

演出も無理がなく自然体、マクドナルドを食べ続けると身体に良くない、肝臓をやられる、体重が増えて肥満になるこれで十分だと思います。

世界のマクドナルドに対して戦いを挑むと言うのは大したもの。相手は大きいほどいいのかもしれません。結果は食品は選ぶ人の自由ですから食べる人の自己管理の問題ですが、食品の中には繰り返して食べたくなる中毒症状を起こす薬品が入れてあると言うのは驚きでした。このように非公開情報を公開して人々に警鐘を鳴らすのは正義だと思います。

それに対してマック側は映画がヒットすると直ぐにスーパーサイズは廃止、生野菜サラダを登場させるなどして対策します。むしろ映画を逆手にとって健康食品を追加すると言うイメージアップをはかるなど、こちらも大したものです。

映画を作る場合このように観客に問題提起して一緒に考える、世のため人のためになる提案というコンセプトは素晴らしいと思います。企業と戦うだけではなくもっと世の中の不条理、つまり非合法ではないものの明らかに問題だというもの、詐欺ではないが実態は詐欺行為そのもの、分かりやすく言うと目に見えない詐欺行為を紹介する映画もいいかもしれません。

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サブプライムローンの高いリスクを背負うことで事業を拡大させたリーマンであったが、それに潜在していたリスクは最終的にはリーマンそのものを破滅させる原因ともなった。住宅バブルが崩壊し、ローンの焦げ付きが深刻化したのである。 2008年3月に大手証券会社で財務基盤に問題はないと繰り返し発表してきたベアー・スターンズが事実上破綻(JPモルガン・チェースによる救済買収)した際に、株価が2日間で一時54%以上暴落した。財務基盤が盤石であったはずのリーマン・ブラザーズの流動性も心配される事態とまでなったが、その後、FRBによる証券会社への窓口貸出アクセス等の報道により株価は落着きを取り戻したかに見えた。しかし、サブプライムローンサブプライム住宅ローン危機)問題での損失処理を要因として、同年9月には6〜8月期の純損失が39億ドルに上り、赤字決算となる見通しを公表。発表直後に株価は4ドル台にまで急落した。最終的にリーマンは負債総額にして約64兆円という史上最大の倒産劇へと至り、リーマン・ショックとして世界的な金融危機を招く事になる。

リーマン破綻直前、アメリカ合衆国財務省やFRBの仲介の下でHSBCホールディングス韓国産業銀行など[2]複数の金融機関と売却の交渉を行っていた。日本のメガバンク数行も参加したが、後の報道であまりに巨額で不透明な損失が見込まれるため見送ったと言われている。最終的に残ったのはバンク・オブ・アメリカメリルリンチバークレイズであったが、アメリカ政府が公的資金の注入を拒否[3]していた事から交渉不調に終わるに至った。しかし交渉以前に、損失拡大に苦しむメリルリンチバンク・オブ・アメリカへの買収打診と決定がなされ、バークレイズも巨額の損失を抱え、すでにリーマンブラザーズを買収する余力などどこも存在していなかったという。(ウィキペディア)

実話に基づく歴史に残る数日間を再現した衝撃の実録ドラマ。

大規模の会社がつぶれるタイミングは経営環境が悪化して資金繰りがつかなくなりそうという話が出始めたら半年くらいで津波がやってきますね。そして経営環境は世界の経済の中にあるため簡単に修復できるものではありません。つまり大きなスポンサーが現れない限り倒産すると思います。私もかつて会社が倒産した経過を聞いたことがありますが、手の打ちようがないというのが正直なところだと思います。計画していたものとはいえ赤字が膨らんで、不景気のために予定した資金が集まらず運転資金が途切れてしまったのですから何ともなりません。しかし、優良資産を抱えて倒産する会社には必ずハイエナがやってきて優良資産を半額程度に叩いて買い取って事業を継続しますから、損をするところがあれば儲けるところもあるのです。

大規模資金を保有する一部上場の優良会社と未上場の会社とはその資金力が違いますから、未上場の場合は経営環境が悪くなってくると相当無理を強いられることとなります。

映画ではリーマンは倒産するとは考えておらず、公的資金や支援行が現れるものと考えています。しかし、その債務があまりにも大きく結局倒産させられてしまいます。葛藤が今一つ分かりにくいように感じました。会社が倒産の危機にある場合、経営者にとっての敵が分かりにくいのかもしれません。

住宅ローンの審査がいい加減でどんどん貸し付けて、それを証券化していたというのですから無理がありますね。日本でも所得税減税と言う撒き餌を使ってローンの契約者を大募集していますね。そんなに税金が戻ってくるのなら多少無理をしてもたくさん借りた方が減税額も大きく成るから得だとか言い始めて、どうしても少し余分に借りてしまうのが実情です。

しかし、終身雇用が終わりを告げて給料が予定通りに上がらない、不景気でボーナスがカットされだすとまずいことになります。そして年間2万人以上が住宅ローンに関係する自己破産ですから。住宅ローンを借りる場合は年収の何割までというライン以下にすることが大切だと考えます。そして収入の安定度も考えた方がいい言われていますね。

日本の場合どうして住宅減税は魅力的なのでしょう、国営放送も大新聞もTVもこぞって住宅減税の活用方法について知らせてくれます。金利が低い今のうちだと。住宅着工件数が日本経済をけん引しているのですから当然ですね。

しかし、気を付けないと問題も抱いていると思います。それは確定申告書を見れば分かります。社会保険料や扶養控除は収入からマイナスします。しかし、住宅減税は算出した税額から直接マイナスする制度なのです。美味しすぎると気付くか、気づかないかで撒き餌の正体を見抜くかどうかが決まると言われています。

まあ、日本経済の発展に寄与するのですからローンの借り入れは大切なことではあります。住宅は男子一生の仕事だと言う都合のいい常識らしきものも流布されていますし、親と家族を喜ばせますから素晴らしいことではあります。ただ長期(生涯)にわたるローン返済義務を負いますから少し気をつけた方がいいと思うだけです。たとえ収入がなくても返済計画は待ってはくれません。借り手に不利な返済条件ではないのかな?

健康に気を付けて頑張って働いてローンを完済しましょう。

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明確に二部に分かれた構成。前半では海兵隊訓練所で新兵が受ける過酷な訓練、後半では彼らのベトナムでの行動が描かれる。

ベトナム戦争時、アメリカ海兵隊志願した青年たちは、サウスカロライナ州のパリス・アイランド海兵隊訓練キャンプで厳しい教練を受ける。キャンプの鬼教官・ハートマン軍曹の指導のもとで行われる訓練は、徹底的な叱責と罵倒、殴る蹴るの体罰が加えられ続けるという、心身ともに過酷を極めるものだった。さらに連帯責任による懲罰、訓練生の間で行われるいじめなど閉鎖的な空間で受ける社会的ストレスが次々と描かれていく。落ちこぼれだった訓練生レナード(微笑みデブ)はこれにより精神に変調をきたし、卒業前夜にハートマンを射殺し自害する。

厳しい訓練を耐え抜き一人前の海兵隊員となった彼らは、ベトナムへ送られる。テト攻勢の第一撃を受けた後、前線での取材を命じられた報道部員のジョーカーは、訓練所での同期であったカウボーイと再会し、彼の部隊に同行することとなる。ある日カウボーイたちは、情報部から敵の後退を知らされ、その確認のためにフエ市街に先遣される。しかし交戦地帯で指揮官をブービートラップで失った上に敵の狙撃を受け、部隊は混乱する。(Wikipedia

前半


訓練生は横一列に並んで坊主にされていきます。そして兵隊の外観にされます。訓練生達を戦闘マシーンに鍛え上げる為に登場するのが鬼の教官。実物の教官を連れてきて出演させているらしく役そのものです。

この鬼の教官が徹底的に新兵のプライドを踏みにじります。肉体的にかつ精神的に極限まで追いつめていきます。そうしないと命令一つで死を恐れずに突撃できないからです。「お前らは社会の屑だ、ちっぽけなプライドなんぞをもっている分だけタチが悪いこの糞虫共め!」となじり倒します。

教官「おまえは、どうしょうもない最低のクズ野郎か」 訓練生「いいえ違います」するとビンタが飛びます。教官「もう一度聞く、お前は最低のクズ野郎だな!」 訓練生「はい、その通りです」さらにビンタが飛びます。

これが特訓の実態ですね。
逃げられない状況の中で、余計なプライドを粉砕してから、兵隊として兵器として訓練していく。

地獄の特訓に於ける通過儀礼は大体どこも同じであって、望んでその集団に入れば「修行時代のしごき」と言われますが、強制的な場合は「洗脳」と分類されるようです。

太っちょの訓練生は動きが鈍く、皆と同じには訓練ができずついて行けません、それをまた教官が繰り返して鉄拳制裁していくうちに、訓練生はおかしくなって最後は教官を射殺して自分も自殺する羽目に。精神的に異常をきたすまでしごくからですね。個人差を考えないと悲劇になります。

ところで、地獄の特訓は富士の裾野とか、駅前で箱の上に立って大声で歌を歌わせられるとか、週刊誌でも取り上げられていました。

私も29歳の頃に、会社から地獄の特訓に行かされた経験があります。県内の特訓施設で一人7万円、4泊5日だったと思います。一週間同期のものが行かされました。初めは入隊の挨拶で、「第8XX期 XX研修生入ります」と命の限り大声で発生して入室。しかし、声が小さいとやり直し、顔が真っ赤になるまで、何と7回もやらされて、「おう」と承認されるのです。

そしてベッドメイキングは毛布をきちんと畳んで5ミリもずれていたらやり直し、怒鳴りまくられます。毛布のたたんだ端に定規を当ててまっすぐに端がそろっているのかチェックされるのです。教官の厳しさは映画と実によく似ていましたね。教官は体育会系で空手4段だとか猛者であることを刷り込まれます。

そして、キオツケ、ヤスメ、番号の掛け声は20回くらいやらされます。とにかく頭の中を空っぽにする洗脳ですね。食事の「いただきます」も大声、最後に10人グループで競歩のような競争をやらされて、優勝すると優勝のタオルが褒美でした。私は競歩は毎日歩いていましたから自信がありましたが、グラウンドに入ってから前の組を追い抜いてはルール違反だと思っていて抜かなかったら2位になり、何故前のチームを抜かさなかったのかと罵声をかけられましたね。私はこの日数が限界で、これ以上ここに缶詰めにされたらおかしくなりそうでした。限界の日数も考えられていたんですね。

そして、無事終わった日は最寄りの近鉄の駅までバスで送られて、駅前の居酒屋で店員がジョッキを振って誘っていました。全員が居酒屋に直行、大ジョッキで乾杯、これほどおいしいビールは二度とないと思いました。地獄から解放された喜びと5日間の断酒のせいですね。

しかし、グループ競歩で優勝したチームの人は何と、楽しかったというのです。また機会があれば行きたいと。そう、どんな環境でも適合する人種というものはいるのです。戦争も同様で狂気の世界でも自分の才覚と戦闘能力で生き延びて、戦闘が嫌いではないと言う人も出てくると思います。

終盤の休憩時間にある程度教官とも話ができるようになり、女性の地獄の特訓の様子を聞いたところ、男性よりも女性の方が一生懸命になるとのこと。命がけのようになるそうです。うまくいかないと泣きだすと聞きました。女性は目的に向かって狂ったように邁進するので怖いと言っていました。女性は追い詰めてはいけませんね。

そして、教官は福岡から飛行機で来ていたのですが、福岡から参加した研修生がまたまた帰りの飛行機に同乗していて、飛行機の中で教官を見つけるや否や起立して、「第8XX期 XX研修生であります」と大声でどなられて恥ずかしかったと言っていました。教官は仕事を離れたらやさしい人ですから。教官を見ると無意識のうちに挨拶をしてしますまで洗脳されているということですね。

後半

戦場に派遣された新兵が戦いに参加します。

戦いを繰り返すうちに仲間が一人二人と死んでいきます。ちょっとした気の緩みがあれば直ぐに死が待っています。

そしてラストではベトコンの女性の狙撃者の息の根を止めるために発砲します。

新兵は期間限定のアルバイト気分。
そして狙撃手の女も本職の軍人ではなく、娼婦の副業らしい。これは戦争が日常茶飯事でアルバイトしているということ。
原作小説のタイトルが『ショート・タイマーズ(短期現役兵)』であることからわかるように、戦争はお互いにアルバイトでやっているほど身近な仕事らしい。 それが狂気の世界だと言っています。

狂気に侵されていく兵士たち、戦争の厳しさが伝わります。それを生き抜かないと帰還できないのですから。

問題は、そのように多くのアメリカの若者を投入したベトナム戦争は結局負けてしまいました。その後のイラク戦争、アメリカは石油の利権を求めてその理由付けを画策して戦争を始めると言う話も聞きます。webの911疑惑が物語ります。

軍事産業が多額の国税を収め、そして政治家に献金するアメリカの民主主義はプラスの面とともにマイナスの面もあることを感じます。そこで死んでいく若者たちの無念、両親の無念さが伝わってくる映画でした。敵と殺しあう前線の兵士たちと、戦争を始めるために画策する人の間には恐らく何も関係がないのでしょうね。軍隊を使った金儲けのようですから。

命令されたら行くしかありませんが、何のために命をささげたのか。観客に課題を投げかけて、戦争の深い意味について考えるように促していると思います。

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マイケル・ムーア監督は「華氏911」でアメリカ以外で数々の賞を取りました。
言論の自由。表現の自由が民主主義の根幹だと訴えるあくなき追求。

彼は本当にアメリカという国を愛しているように感じます。
映画は2004年9月ユタ州オレム市の大学からムーアが大統領選挙の二週間前の講演を依頼されたことから、巻き起こる保守(共和党)と革新(民主党)支持派が入り乱れて糾弾しあう様子をカメラが追います。

このイベントは共和党・民主党を応援する著名人をそれぞれ招いて講演をしてもらうというもの。

また、ユタの政党支持は圧倒的に共和党。アメリカでもっとも保守的な土地に「反米主義」と言われるムーアが乗り込んできます。
ドキュメンタリーと言えども、常に客観的な視線を保つ事はありえないとはよくいったものです。そうでしょうね。
ムーアを招聘する事に学生、市民、教授、有力者たちの「賛成」「反対」の意見が飛び交います。8000人大集会、身の危険を感じながらもムーア招聘が意義ある事と訴える学生委員会。 講演費は4万ドル。有力者はムーア招聘に信念を持って反対。最後には学生を訴える(訴訟沙汰)。
ムーアの演説・イラク帰還兵を起立させ、その愛国心に敬意を表したり、しながら民主党のケリー候補の支持を訴えます。

ムーアは「性別、人種差別なく、尊い命を、イラクから家族の許へ取り戻そうと」民主主義のアメリカがそこにあります。

あれだけコミュニティを二分するような議論を醸し出す影響力を持つことがすごい。

マイケル・ムーアは厄介者のようですが、人々の内面の疑問に応えていると思います。手遅れにならないうちに疑問点は議論しあうべきですから。

ムーアの活動は人々に今考えるべきテーマを与えている。それを映画という手段を通して伝えているように思います。


いいセリフ

最も耳の痛いスピーチこそ耳を傾けるべきスピーチなんだ。

愛国者たちの言葉をビラにした。

情報は民主主義の貨幣である。

論争の自由が誤りを評価する。

言論の自由を失えば羊のように沈黙する。

意見を戦わすことが表現の自由なのです。

自分とは違え考え方の強い反発には驚かされた。

話を聞いてもらえると感激する。

客観的な視点など存在しない。

人の意見は拒まずに聞いて評価するんだ。

保守の砦に彼を呼ぶのはこの大学への侮辱だ。

マスコミはいつもスポンサーの意見最優先なんだ。

脅迫に屈することはできないし、屈することもない。脅迫は文明的な対話とは言えない。

言論の自由は銃より危険なようだ。

イラク帰還兵の人々に対して、石油企業のために君たちを危険な戦地を派遣した。どうか謝罪を受け入れて欲しいとムーアが言います。アメリカの戦争は石油利権と兵器産業のために必要なものと言われていますから。

ムーアは映画を通して人々に課題解決のための議論を提案しています。

映画は観客が考えるきっかけを作るべきなんだ。

私も同感です。そんな脚本を書かないと映画の意味がないですね。勉強になりました。

天国からのエール枠.jpg沖縄で小さな弁当屋を営むかたわら、夢を持つ高校生を応援するため無料の音楽スタジオ「あじさい音楽村」を作り、ガンと闘いながら若者たちの夢を後押しした仲宗根陽の実話を映画化。メガホンを取るのは、犬童一心監督作などで経験を積み、本作が長編初監督となる熊澤誓人。ガンに冒され自らの余命を知りながらも、懸命に若者たちを応援し続けた主人公を、阿部寛が熱演する。共演には若手注目女優の桜庭ななみ。(yahoo映画)

音楽スタジオ「あじさい音楽村」を創設し、2009年にガンで亡くなった仲宗根陽さんの実話を阿部寛主演で映画化したものです。

監督には映画学校で脚本のレクチャーを受けたような気がします。私が住宅減税につられて住宅ローンを返済できなくなった主人公が機密情報を競争会社に流して大金を手にする脚本書いたら、この脚本ダメ、税制の事なんかちっとも面白くないよ。ドラマになっていない。などと言われたことがありました。恐れ入って没にして別の脚本に変えた記憶がありますね。

桜庭みなみさんは美しい八方美人。嫌いな人がほとんどいないタイプの美人という意味です。美しく輝いていても一人の人間でしかありません。二人分の仕事はできません。美人というのはどういう価値があるのだろうと考えてみました。本人は写真や鏡にうつさないと自分姿が見えませんから普通の人間と思っているのでしょうね。しかし、他の人と比べると価値が出てくる。人を引き付ける力がありますから集客力があります。注意すべきは若い時に美しいと年を重ねると落差がドーンと見立ちますのでお肌の手入れですね。

美人は恋人にはいいかもしれませんが妻にするのはどうでしょう。人から美人の奥さんだねと言われると鼻が高くなりますが、当然その分マイナス面も併せ持っていますから気が強いとか、我がままとか、贅沢だとか、洋服に金がかかるとか。金食い虫の美人女房はどう操縦するかにかかっていると思います。難しいですけどね。下手をすると他の男に取られるリスクもありますから。

でも美人は男性の疲れた心を癒してくれると思います。存在が癒しだと思います。眺めるだけで癒されるなんてすばらしいと思います。問題はそのような美人を繋ぎ止めておくだけの甲斐性がないという点ですね。だから甲斐性のある男性に美人妻が多いのだと思います。

何も取り柄のない人間はこの街で生きていけばいいというセリフはなかなか現実的ですね。スタジオを利用する者のルールはまずは挨拶だなんて、年齢を重ねた人が書いた脚本ですね。

どうするお前らで決めろ、というのはいいことですね。選択した責任を持つことですから。

このドラマを見て中高年はやはり若い人を育てたいということが伝わります。自分よりきっと長く生きる若者たちに自分のノウハウや資金で援助してやることでまるで自分が長く生きられるような気がします。主人公はがんに侵されていたのでその気持ちが強かったのだと思います。何かを育てる、植物や野菜、動物など育てることの素晴らしさは分かります。中でも自分の遺伝子を持った子供を育てると言うのは一番でしょうね。

みち子さんがいるからあんたは好き勝手なことをしていられるんだからね。というセリフは世の亭主たちに共通するものがあると思います。男は結構自分勝手に生きる動物ではないでしょうか。私もそうですから。最近は女性も自分勝手に生きる人が多いと思いますね。

あいつらの夢が俺の夢でもあるんだ。このセリフは人を育てるご褒美でしょうね。沢山人を育てればその分自分の夢も増えていきます。

ライブの拍手の音から雨音に切り替わりますが、少し雨音が大きくて繋がりにくいと感じました。雨音は戸外のアングルだと大きな音に、室内なら小さく成りますね。当たり前ですけど。台風のシーンで木の枝があまり揺れていないのに風の音だけは台風でしたね。

がんになって入院している姿はよくできていて絶食して痩せこけたと感じました。偉い。

そして、遠い将来自分が死んだ時にだれが泣くのかなと考えてみました。多分誰も泣かないでしょうね。腹いっぱい自由に生きたのだからと言われるでしょう。その上にwebに動画や写真をばらまいて行ったから死んだとは感じないともいわれるでしょう。

そして、ラストでステージに上がる時、退場していくバンドは沖縄の「NUCHI」でしたね。渋谷のライブハウス撮影の時、前座で出ていましたから覚えています。沖縄から来ていました。

映画っていろんな脚本家や監督が人生を描いてくれていますのりで観客は人生を深く考える機会に恵まれます。なんて映画は素晴らしいのでしょう。人生の方向を補正できる機会を与えてくれるのですから。

息子1枠.jpg「男はつらいよ」の山田洋次監督が、椎名誠の『倉庫作業員』を基に、田舎に住む父親と都会でフリーアルバイターを続ける息子との葛藤を描いた感動ドラマ。
 東京でフリーアルバイターとして生活を送る哲夫。母の一周忌に岩手の田舎に帰るが、フラフラした生活に不満を持つ父・昭男とはギクシャクしたままだった。東京へ戻った哲夫は、下町の鉄工場で働き始める。そこで取引先の倉庫で働く征子と出会う。やがて、哲夫は征子が聾唖であることを知る(yhoo映画)

都内の居酒屋から始まります。そして岩手県に、山、川の景色、バスが走り抜けます。セミの声は環境音として別に入れてあります。生録のセミの声は大きすぎますから。日本の田舎が自然味たっぷりと描かれています。何とも言えない穏やかな田舎の空気感が見事に出ていますね。

照明も明るく母親の一周忌に集まった兄弟たちの明るい家族だんらんにしています。

残された父親の面倒をだれが見るのかと揉めます。長男が引き取るしかないのですが、「あーあ長男の嫁になんかなるんじゃなかった」というセリフ。よくわかりますね。長男はたびたび聞かされているようです。

父親が息子に仕事の話をしていて「大事なのは長続きすること」といいます。親が子供に求めることですね。とにかく生活を安定させろと言う意味ですね。

息子は車の助手席で客先の女性の事を考えていますが、フラッシュバックで彼女の仕事をしている姿の映像が入ります。映像で文章を書いているかのようです。

父親が息子に仕事はどうしているのかと聞くと「今度は金属関係のかたい会社だ」といいます。金属と堅いをかけていて、かつ父親を安心させる堅い会社の意味ですね。何処の親も子供は堅い会社で安定した生活ができるように望みますから。

息子は車の中で彼女との将来の姿を思い浮かべます。フラッシュバック映像です。

そのあと彼女は大層美人だが耳が聞こえない聾唖だと聞かされます。しかし息子はそれがなんだと愛を手放しません。

父親と子供たちの関係は多少ぎくしゃくするものの、ほのぼのとした親子の会話で親子の関係が冷めていないことを伝えます。

長男の嫁がお父さんこれからどうしますかと聞くと、死ぬまで岩手の家にいて、母ちゃんの墓に入ると言います。これはなんかわかる台詞ですね。何処の親も子供の世話になって足を引っ張りたくないから離れて住みたいと言います。本当は息子たちが親のもとに来て一緒に住んでほしいのですが、過疎が進んでしまってそうもいきません。農家は親が死ぬまで住んで家を締める。世の中の流れなんだと言うセリフもあります。内容が現実的ですね。地方の農家は多くが当てはまる世の流れだと思います。

今回はお前の家を見に来ただけだと言います。マンションのあんな狭い家に大きい身体のお父さんは無理よ、せめて庭でもあればと嫁が言います。田舎の父親を住まわす場合狭い庭なんて何の意味もありませんけどね。庭付きの家が欲しかったと言っていますね。実際は一戸建てよりマンションの方がずっと住みやすいことを知らないのですね。地面があると草が生えますから草取りしなければならないですよ。虫も湧くし。

首都圏は寝る所だけあればいいと思います。公園は広いし、遊ぶところもあるし、電車も安いし住み慣れている人ならパラダイスなんですけどね。この辺が田舎に住んでいる両親と都内に住んでいる両親の違いでしょうね。私はハイブリッドライフと称して都内と地方の両方に住んでいますから都内の住み心地の良さも、田舎の人情味あふれた良さも分かりますけど。一番いいのは遠慮しなくていい住まいですね。

兄嫁はお父さんに土産は荷物になるから宅配で送りますと言います。気のきく嫁ですね。

父親は岩手の家が一番気楽でいいと言います。確かにみんなそう言いますね。住み慣れた気楽なところの方がいいと。だから老人たちは住み慣れた家を離れません。確かに田舎暮らしの人が今から都内で友達を作るのも難しいですから。

老人が大量に増えてくる時代ですから、両親と子供たちのあるべき姿を描いてみせる映画も意味があるでしょうね。外部に敵を配置してその葛藤を組みたてて家族が力を合わせるようなストーリーで。最近の子供たちは両親との付き合い方がどうあるべきなのか分からないと思います。別居したままですから。

親の使い走りをしたり、共に笑ったり、料理を作って据膳で食べさせたり、相談したり、泣いたりする生活は気持ちがつながっていることを確認できますからいいものなんですよ。現代は同居に懲りて別居したのはいいのですが、同居の素晴らしさが忘れ去られていますね。別居では決して味わえないものが同居にはあるのですよ。私は血を分けてくれた実の母親と同居していますからよく分かります。

一番末の息子は仕事も安定しておらず、一番父親の心配の種でしたが、二人で銭湯に行くと岩手と同じような会話に、息子に婚約者ができたことを喜んで深夜に起きだしてビールをせがんで、歌まで歌います。親の喜ぶ演出がいいですね。

婚約者との初対面のシーンは窓の外からのアングルで気持ちが不安定なことを演出。和久井映見さんは昔こんなにかわいかったんですね、お嫁さんにしたい女性ピカイチ。

岩手の家に帰ると出稼ぎから帰った時の家族だんらんの映像がフラッシュバック、子供たちが結婚して独り立ちして暮らしているならもう親の仕事は終わりです。私も同じ気持ちですね。子供たちが結婚して独立するまではやはり気にかかります。

親子関係をほのぼのとした空気感であるべき姿を織り込んで作られた素晴らしい映画でした。この映画を子供たちが見たら、親の面倒をどうしてみていくぺきか考えるきっかけになるかもしれません。そして親も自分の始末をどうするのか考えなくてはなりません。

子供たちに面倒をかけないで合法的にぽっくり逝ける方法を描いた映画を作らなくてはなりませんね。私の親父は肺気腫でしたが病院に入院せずに自宅で呼吸が止まって病院で20日間意識が戻らずに亡くなりました。本人が意識した家族に迷惑をかけない死にざまだったと感じています。最後に家族を煩わせない逝き方を教えていってくれたと思います。

ナイロビの蜂1枠.jpg『シティ・オブ・ゴッド』のフェルナンド・メイレレス監督が、冒険小説の巨匠ジョン・ル・カレの原作を映画化。妻の死に世界的な陰謀の存在を嗅ぎ取った主人公の心の旅路を、ナイロビの雄大な自然を背景に映し出す。命を賭けて謎に迫る夫を『イングリッシュ・ペイシェント』のレイフ・ファインズ、不慮の死を遂げる若妻を『コンスタンティン』のレイチェル・ワイズが熱演する。愛の強さと尊さを壮大なスケールで描き出す感動作。(yahoo映画)

この映画は映像が明るく発色もいいです。「愛を読む人」と映像感が似ていますね。映画は暗い映画館で観ますから普通は暗いのですが、この映画は全体に明るくカラーグレティングしてあります。

タイトルがいいですね。国家レベルで違法行為を行う製薬会社と戦うテッサの姿は蜂の一刺しそのもので良く内容が現れています。

イギリス外交官のジャスティンと、弁護士で活動家のテッサの愛と戦いの物語。

どう考えてもテッサが年上の外交官を誘惑して自分の革命に利用したと感じました。どうも男性は若くて美人の女性が誘惑するとあっという間に落ちてしまいます。その甘い肉体には何の抵抗もできないのですね。講演会でいちゃもんをつけて1:1で話す機会を作り、自宅に送らせて撃沈。一応双方の利害が一致して出会ってすぐに惹かれ合ったふたりは結婚ということに、ジャスティンの赴任先アフリカに渡ります。これもアフリカに行くと知っていたから誘惑されたと思います。テッサは口が悪く、歯に衣かぶせぬ発言を連発して観客と周囲をハラハラさせます。あれだけ大っぴらに活動すれば殺されて当然ですね。金で殺し屋を雇われたらしまいです。妻の死は活動を妨害する相手からの刺客? 真相に迫るジャスティンが見た妻の秘密とは、テッサは自分の身体を引きかえに男から機密情報を手に入れていきます。

この映画は恋愛とサスペンスの要素があり、ラストで敵を追い詰めるところまで行くこと。愛しているから秘密にした妻。彼女が自らの愛と信念を貫き通し、彼女の大きな愛を知り応えるジャスティン。二人は命を捧げます。

弱者を食い物にする国家規模の医薬品会社の陰謀は恐ろしく、アフリカの悲惨な現状についても見事に表現しています。アフリカではこんなにも命が安い、軽いなんてショックでした。

本作でアカデミー賞助演女優賞を受賞したレイチェル・ワイズは好演。奔放な救援活動家は身体を張って、命がけで革命にのめり込んでいき、そして殺害されます。その意思を夫が継いで、兄が支援して結実させていきます。レイフ・ファインズの穏やかな中に秘めたる気持ちを表現する個性的な演技。独特の味がありますね。

メイレレス監督の時間軸を操る脚本と編集、カラコレのの巧みさに感動します。脚本はやはり命をかける物語にしないと重みが出ないと感じました。命をかけて何かにのめり込む、命を落としても次の人が遺志を引き継ぐ、そしてまた殺されて次の人が引き継いでやっと退治できる。そんな重みのある脚本ですね。

こんなに感動を呼ぶ素晴らしい脚本、国家レベルの悪事と戦う主人公を描くのはいいのですが、取材していいるうちに刺客を送られたら困りますね。多分国家レベルの悪事はネタに不自由しないと思います。出版社系の週刊誌は国家レベルの不法行為すれすれのグレーゾーンの事を結構追求していますよね。よくやるなというのが感想ですね。正体を出して資金力のある相手と戦うにはリスクがあると思います。

だから匿名の機密暴露サイトやハッカー組織が活躍するのかもしれません。多分個人が特定されないように個人情報は何も持たないのだと思います。ニックネームか会員ナンバーだけで何も持たない。何も知らなければ踏み込まれても情報が存在しませんから安全です。強大な敵には自分の存在を知らせないことが一番安全ですから。

キャピタリズム1枠.jpg経済大国アメリカに対して、映画という手段を使って警鐘を鳴らし続けているアメリカ人監督、マイケル・ムーアが映画『キャピタリズム マネーは踊る』のプロモーションのため初来日を果たした。ニュースでは決して見ることができない、資本主義国家に生きるアメリカ国民の悲惨な現状、そして金持ちのみが富を増やしていくウォール街の真実を、得意のアポなし取材で赤裸々に描いたマイケル監督。自らが生まれ育ったアメリカへの思い、最も過激な反戦家マイケル・ムーア。(yahoo映画)

この映画は自主製作映画の劇場公開版ですね。監督が自在に自分の主張のままに制作した作品ですから。でもこのような作品はほかにないですからヒットしますね。

『キャピタリズム』は、住宅ローンが払えなくなって家を強制退去させられる人々を映し出すします。

日本でも住宅着工というのは国税にとって最も重要な収入源のひとつ、住宅関連企業にとっても大切な売り上げ、不動産業界も、家電業界も同様、つまりその国の経済をけん引しているのが住宅購入なのです。購入するには銀行でローンを組みますから銀行ももうかります。それを推進するのは住宅減税制度ですね。つまり政府が推進の旗振りをしています。そして住宅ローンが原因の自己破産が年間2万件を超えますから、わが国もアメリカ同様の傾向がみられると思います。つまり資本主義ですね。

今のアメリカ庶民は、銀行の金利がタダ同然なので老後の蓄えを401Kの投資信託に入れたが、それも株価暴落と共に消えました。

老後の蓄えの投資は危険と言われています。もともと投資の中身は博打なのですから。勝ったり負けたりするのが自然なのです。問題は投資はプロと同じ土俵で相撲を取りますから負けても何も不思議ではないのです。そこを勝てそうに宣伝するのが商売ですね。多くの人が定期預金にしておけば莫大な資金が残っていたはずといわれるのはそういう理由からです。私も博打のお仲間ですね。腹いっぱい痛い目に会ってあってやっと元本保証の素晴らしさが分かるなんて遅すぎます。しかし、それが多くのサラリーマンの現実でしょうね。いまだに負けを知らない人がいたらあなたたはプロですね。

民間の保険会社は医療費支払を拒否するので、病気になると破産。日本は医療保険制度がありますから本当にありがたいですね。

サブプライムローンで家を失う。これは日本も変わらないと思います。終身雇用が崩壊しつつある中で、住宅減税に誘われて無理なローンを組めば同じ結果になります。

子ども1人を高校を卒業させるまでにかかるお金は平均2000万円、大学4年間にかかる費用1000万円。

これは日本ではそんなにかかりませんね。有難いことです。

ムーアは現在のアメリカのすさまじい搾取社会の実態を見せていきます。なかでも驚くのは、大企業が従業員に無断で生命保険をかけ、受取人になっているという事実。ウォルマートで働いていた妻が亡くなって3人の子供を抱えた夫が、妻の生命保険で会社が800万円もの保険金を受けていたことを知って呆然とする。

確かに日本の会社も就業規則で現職死亡については一時金を支払うと定めている場合があり、そのために社員に死亡保険をかけていますが私が知っている会社は全額遺族に支払っていました。日本ではこれが普通ではないでしょうか。

普通なら、これはアメリカの資本主義の運営に問題があると考えるますが、ムーアは資本主義そのものが問題なのだと訴え始めます。

これは難しい問題で、私は資本主義の運用の問題と考えますね。資本主義が現在の生活を支えていることも事実ですから、ローン返済は年収の2割以内を守るとか、健康保険には入るとか、学資保険はきちんと掛けることで、資本主義経済の中でもそれなりに安定して生活していけると思います。問題はこれらの事を守らないことにあるかもしれません。生活する上での基本的な前提条件を守らない人は辛い結果になりますね。それが資本主義社会ですから。ただ、人間の欲望は無限ですから、ローンを組む時に住宅減税があるから大丈夫などという言葉巧みな口車に乗せられたり、今は健康だから健康保険は必要ないとか、先の事だからと学資保険をかけていないとか。人によって事情が違いますから一概には言えないかもしれません。

資本主義は経済システムで、民主主義は政治システム。ジャンルが違います。それに歴史的に資本主義の発展が庶民に経済的力を与え、それが民主主義を生んだので対立する概念ではありません。

 アメリカ憲法で保障された「幸福の追求」。ルーズベルトが掲げた権利は以下の通りです。

 社会に貢献し、正当な報酬を得られる仕事を持つ権利
 充分な食事、衣料、休暇を得る権利
 農家が農業で適正に暮らせる権利 (日本にもありませんね)
 大手、中小を問わず、ビジネスにおいて不公平な競争や独占の妨害を受けない権利
 すべての世帯が適正な家を持てる権利
 適正な医療を受け、健康に暮らせる権利
 老齢、病気、事故、失業による経済的な危機から守られる権利
 良い教育を受ける権利

 この演説の後すぐにローズベルトは亡くなり、この権利章典は法制化されませんでした。ムーアはこれを実現するのがアメリカの使命だと訴えます。

 ただ、アメリカは実際、これを実現しようとしていて60年代まで続いたニューディール政策のアメリカは国民の平等を第一とする福祉国家でした。ジョンソン大統領は「偉大なる社会」をスローガンに掲げて貧困の根絶を目指していました。世界中があこがれたアメリカン・ドリーム、誰もが豊かになれるアメリカは社会主義的な理想ででした。 ところが、それは経済の停滞を生み70年代にニューディール政策は崩壊。だから、平等よりも競争によって経済を活性化させる新自由主義とレーガン政権が登場したといいます。

ムーアはローマン・カソリックの神父たちに質問します。 クリスチャンとして、資本主義をどう思いますか?

キリストの言葉や行動は、弱肉強食の自由市場主義とは相反するものばかり。 「資本主義は邪悪であり、神の教えに反している」

ムーアはその言葉にただ従います。プロテスタントが「労働によって富を蓄えることは神への道だ」と説いて価値観を逆転させたことから現在の資本主義が発展しています。アメリカの人口の3割を占めるキリスト教福音派もまたプロテスタントであり自由市場主義です。庶民の生活を救う公的医療保険に対しても、「政府による福祉は社会主義だ」「貧乏人のために税金を使うな」と頑固に反対しているといいます。

銃の保有についても日本の刀狩りのように銃狩りを行って全部取り上げればいいものを、それができないアメリカは病んでいるのかもしれません。

この辺が日本とは異なります。日本は資本主義と社会主義のいいとこどりのミックス型でしょうか。

ムーアはアカではなく、素朴なキリスト信者なのかもしれません。

それにしてもここまで政府と金融機関を批判するなんて、そして暗殺されないなんてアメリカの報道の自由の凄さを感じます。

普通の人にはこのような戦いは無理ですね。日本の官僚に突撃気取材する監督はいつ現れるのでしょうか。

だいたい官僚が企画することは国税収入をいかに増やして日本の国を栄えさせるかですから、国民を多少踊らせないと景気が盛り上がりませんし、そこには詐欺まがいや利権が発生したり、我田引水があったりすると思いますが、国税を増やす目的は誤ってはいませんので、一概に反対ということも言えないと思います。つまり、国税収入にあまり反映しないのに国民に害を与えている政策でしょうか。探さないとなかなか見つからないような気がします。何事にも二面性はありますから追及できないことはないにしても、やはり明確な正義がないと脚本を書きにくいと思います。

眉山枠.jpg

末期ガンの母親と、母を看病するために帰郷した娘、母の治療に尽力する医師が織りなす情感あふれる感動物語。さだまさしのベストセラー小説を原作に、『ジョゼと虎と魚たち』の犬童一心監督が、母の恋と娘の恋がつむぎ出す奇跡を映像化した。母の想いを知り成長するヒロインに松嶋菜々子、彼女を支える医師に大沢たかお、母親役を10年ぶりの映画出演となる宮本信子が演じる。家族、恋人、友人、故郷について再考させられる(yahoo映画)

宮本信子さん演技力が抜群で主演になっていますね。大変演技の上手い女優さんです。

ご当地映画ですよね。阿波踊りの映像が長くで誰でも宣伝用だと感じます。しかし、ドラマのストーリーのBGMと阿波踊りの音が区別されていてドラマはきちんと進みます。ご当地の映像とドラマの扱い方が参考になります。最後には祭とドラマが一体化しますが、そのシーンは祭とBGMがMIXで流れます。

親子は血を分けあっているのですが、なかなか気持ちが一つになりにくいのかもし手れません。親が生活してきた苦労や独身の頃の心情は子供が社会に出てから時間をかけて理解していくものなのですね。

ピンボケの映像からスタートします。神社では手を叩いて拝むと子供のころの思い出のシーンに切り替わりフラッシュバックします。その時に父親の腕時計を見たことを思いだします。これは伏線で、後日父親に面会する時に同じ時計をしています。腕時計って電池交換したら30年も使えるのでしょうか。私も25年ほど前に私としてはいい時計を買って、今でも使っていますからモノによっては何年でも使えるのかもしれません。電池交換に行くと時計屋さんが珍しいと言って眺めていますから。

東京の個人医院の父親に会いに行っても奥さんがいるため話ができません。もうすぐ踊りの季節ですね。徳島のことです。踊りはもう30年も観ていません、よろしければ遊びにいらしてください。と言って別れます。ラストで祭に父親が現れて母と父はお互いの姿を見て頷きます。父親は献身的に尽くしてくれる妻を捨てられなかったのです。

祭を見に行く時に母親は病室で着物を着ます。娘も着物を着てきますが「咲子イッパシノ女になったね」といいます。咲子は白い着物の多い祭でひと際目立つように緑色の着物です。主人公ですから。

母親は最後で先生に娘をよろしくと頼み、先生は頷きます。祭の中で母親と父親が目を合わせている姿を咲子は見ます。そして涙を流します。そのシーンは当然アップですね。ここで泣けます。

昔の思い出が下敷きにありますからフラッシュバックで思い出が挿入されます。母親が父から貰ったのルビーの指輪も思い出のシーンに出てきますし、最後に咲子に形見として渡します。

この映画は親子の確執や信頼感の変化を上手く描いていると思います。個人的には父と母の再開シーンがもう少しドラマチックでればと感じました。これは祭のシーンが長くてドラマの進行が一時停止していたために少し物足らなさを感じたのかもしれません。葛藤も深くはありません。阿波踊りのシーン長すぎます。編集で地元に相当サービスされたのでしょう。ご当地映画としては地元で喜ばれたらいいのでしょうね。

ご当地映画を作る場合、ストーリーに意味のない地元の祭りなどのシーンが長くならないように気を配りたいですね。むしろ主人公が祭そのものにかかわっている、主人公の映像が物語として祭の中にあり、観客がコマーシャルの意識を持たずにドラマだけを見ている気持になるといいですね。

それでもストーリーがしっかりしていて、演技が素晴らしく泣けました。ご当地映画の参考になるいい映画だと思います。

グラントリノ1枠.jpg『ミリオンダラー・ベイビー』以来、4年ぶりにクリント・イーストウッドが監督・主演を務め た人間ドラマ。朝鮮戦争従軍経験を持つ気難しい主人公が、近所に引っ越してきたアジア系移民一家との交流を通して、自身の偏見に直面し葛藤(かっとう)す る姿を描く。イーストウッド演じる主人公と友情を育む少年タオにふんしたビー・ヴァン、彼の姉役のアニー・ハーなどほとんど無名の役者を起用。アメリカに 暮らす少数民族を温かなまなざしで見つめた物語が胸を打つ。(シネマトゥディ)

妻に先立たれて息子たちとも疎遠な元軍人のウォルト(クリント・イーストウッド)は自動車工を引退して一人ぼっちの孤独に生活を送っています。

60歳になるとこのような設定も他人事とは思えません。FFビデオの仕事の傍ら東京では食事の後づけ、風呂の浴槽洗いを仕事にもらい、これからは料理についても教えてもらうと思いますが、まだまだ料理はさせてもらえないのです。とにかく自分一人でも生活できるように家事、掃除、洗濯を覚えなくてはなりません。自分でやって初めて女房の苦労とありがたさが身にしみるわけです。サラリーマンの時は自分が稼いでいると考えていましたが、半分は女房の力があったことはまぎれのない事実ですね。

ある 日、愛車グラン・トリノが盗まれそうになり、それをきっかけで隣の家との付き合いが始まります。中国系移民の少年タオと知り合います。

主人公はアメ車、息子はトヨタ車のセールスをしているという設定から仲が悪いと分かります。タイトルに車のグラン・トリノという名前を付けるところもいいと思います。

チンピラに絡まれているところを助けたり、床屋へ連れて行って初対面の人との話し方を教えたり、就職の世話をしたり、隣の家のパーティに誘われて楽しい時間を過ごしたり。友情が芽生えていきます。

一方、自分の子供の家族とは仲が悪く、身勝手な嫁や孫に手を焼いています。これは、多分同居していないからだと思います。日本でも昔のように親子が同居していたら助け合ったり、話し合ったりして家族の共同体として生きていきます。そこには家族のきずなが生まれます。同居していないと家族の絆は生まれにくいのかもしれません。年に数回顔を出すのは絆ではなく、ごあいさつ。同居していると365日家族を守ること、家族と助け合うこと、コミュニケーションをとる、笑う、怒る、食事する、行事を行い伝える、先祖の話も聞かせ、共同で作業することになります。これが絆というのかもしれません。これは、自分が母親と同居している経験から言えることですね。

あるとき、タオの姉がチンピラに痛めつけられて帰ってきます。暴行されている姿を見てチンピラをやっつけることを考えます。タオは復讐してやると言いますが、地下室に押し込めて自分一人でチンピラ退治に向かいます。主人公は健康診断の結果と時々吐血していて寿命が短いことを知っています。それらを勘案して主人公はチンピラ退治の方法をじっくり計画します。

結果はチンピラ達を家の前に呼び出して丸腰でたばこを吸います。近所の人が見ていることを確認してライターを取ろうとして瞬間チンピラ達のピストルが火を吹いて主人公は即死します。しかし、近所の人が目撃者となりチンピラ達は全員刑務所に長期拘留されます。

余命が短いことが分かった時、人間は確かに誰かの役に立ちたいと思います。この命をささげて人を助けられるのなら喜んで命を投げ出す。余命わずかと知らされた人の理想的な死なのかもしれません。年寄りは若い人を育てたいという気持ちがよく出ています。家族に限らず隣人であっても友達のために命を使います。

遺言書には皆が欲しがるグラン・トリノを友人のタオに譲ると書いてあります。人は亡くなった時お金ではなくモノを残すのはなぜなのでしょう。お金だと残した人の意思に関係なく(投資して無くしたり、詐欺にあったり)使われてしまいますが、物で残すとそのものを大切にしてくれますし、残してくれた人のことも思い出してくれます。

少数民族を取り上げていることもいいと思います。どこの国でもいろんな人が住んでいますからその人たちに光を当てる姿勢も好感が持てます。人類みな兄弟ですね。

クリントイーストウッドの映画はいつも人種や男女、老人と若者の対立軸を通した葛藤を上手く描いています。老人は自分が演じるからかもしれませんが。そして悪人退治のストーリーが貫かれています。映画を観る人々に命の使い方、正義感の素晴らしさを埋め込んでいて最高レベルの映画だと思います。

主人公は非常に気高い志を持っている古き良きアメリカ人。荒んだ国を元の住みよい国に戻したいと言う意思の表れだと思います。映画を作るときはクリントイーストウッドをお手本にしたいと思います。

ヒトラー最後の12日2枠.jpgアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた衝撃作。監督は『es』のオリヴァー・ヒルシュビーゲル。『ベルリン・天使の詩』のブルーノ・ガンツがヒトラーにふんしている。本国ドイツでは映画公開自体が一つの事件として大きな社会現象を巻き起こした作品

この映画は戦勝国側が脚本を書いたものではなく、ヒトラーの秘書の回想を元に脚本に書いたところに客観性があると思います。だから真実に近いと感じます。古来、歴史は戦争の勝利国側が勝手に都合よく書くいて残すのが当たり前、敗戦側はいくら正義があってもすべて葬り去られます。そして戦勝国側の一方的な裁判、戦争賠償金の支払い、憲法まで押し付ける事例まで。敗戦国は全てを失うことになります。そういう現実の中で客観性のある信頼できる歴史映画は貴重だと思うのです。

そしてヒトラーが実によく似ていてリアルすぎます。

1945年4月ドイツ・ベルリン。もはや壊滅状態のドイツ軍には戦力と呼べる戦力がなく、降伏が秒読み状態。
 ヒトラーの側近たちは、どのように降伏するのかと考えていたが、ヒトラーは絶対に降伏は認めないとベルリンでの最終決戦を命令。10代の少年・少女がナチスの青年組織として活動し手伝っています。

 総統地下壕には高官やヒトラーの側近、愛人のエヴァ、秘書のユンゲたちが残っていた。ユンゲらは最後まで残ることを決意する。ヒトラーは愛人のエヴァと敗戦前に結婚します。

エヴァはヒトラーの妻としてと運命を共にします。ヒトラーを愛していたことがよくわかります。
 
独裁者ヒトラーは一人の人間でした。人間味も持つのになぜ強制収容所の悲劇を引き起こし、第2次世界大戦を引き起こしていく怪物として君臨したのでしょうか、それは分かりません。ナチスは余りにも悪いイメージが強く、東京でさえもナチスファッションをしていると絡まれるからできないと聞きました。

野戦病院場面では麻酔なしで手、足を切り落とすシーンが実にリアル。地下壕では敗戦前の混乱。

ゲッペルスの妻はナチスとともに家族の世界が終わりを告げることを受けて、子供たちの将来を悲観して子供6人を毒殺します。このシーンは重要で睡眠薬を飲ませて、そのあとアンプル入りの毒を母親が眠っている子供の口に入れて歯でアンプルを無理やり噛ませて殺していく。なんと悲しいシーンでしょう。上の姉は睡眠薬を飲むのを嫌がっていました。嫌な予感がして拒んでいましたが、無理やり飲ませてしまいます。

子供は自分たちの分身ですから自分の手足を切り落とすのと同じこと。そのつらいシーンを淡々と6人分映します。母親としての葛藤は大げさには描かれませんが、甘やかして育ててきた子供達の将来を思うと殺さずにはおれない母親の辛い葛藤が読み取れます。ナチスが崩壊すれば子供達の生活環境も崩壊するのですから。

しかし、このシーンを母親の狂った行動だと言う人もいます。映画って見る人によって正反対に伝わるなんて。まあ、それぞれの人の感性で受け取ればいいので、映画はその自由さがいいのかもしれません。

自殺する場合に子供の将来を悲観して道ずれにするのは昔からあります。もし自分ならどうするでしょう。自殺に追い込まれた場合子供を残していけるでしょうか。面倒を見てくれそうな親戚があれば残しますね。しかし、親友や近い親戚兄弟が思い当たらない場合はどうするでしょう。果たして残せるでょうか。これはあくまで親の心情で子供を道連れにするかどうかを決めています。子供の気持ちはどうなんでしょう。ほとんどの場合は将来の見通しが立たなくても生きたいと思います。つまり、道連れにはしないで親戚か施設に手紙を書いて残していくべきなのかもしれません。

部下が市民を避難させようという言いますが「戦時下に市民はいない」「我々が強制したわけではない。彼らが選んだことなんだから、避難させる必要はない」と言うヒトラー。この時は自我を失っていたと思います。市民がいないと納税するものがいなくなり政府が維持できないからです。

もし自分がヒトラーの立場ならどうしたでしょうか。それは分かりません。戦争をするということはそれなりの理由がある訳ですから。人は戦争をするときはそれこそ尋常ではなく、鬼にもなると思います。そうしないと兵隊を命がけの戦地には送り込めないと思います。負ければすべてを失います。私たちの考えの及ぶものではありません。

日本だって欧州列強のアジアの植民地政策が将来日本にまで及ぶ危険性があったため、アジアの植民地解放を目的に大東亜戦争をやりました。結局日本は戦争には負けましたがその後アジアの植民地はみんな独立しました。

客観的な戦争の映画としては実にリアルで良くできていて、いろいろ考えさせてくれる内容でした。

愛を読む人1枠.jpg

幼いころに恋に落ち、数年後に劇的な再会を果たした男女が、本の朗読を通じて愛を確かめ合うラブストーリー。ベルンハルト・シュリンクのベストセラー「朗読者」を原案に、『めぐりあう時間たち』の名匠スティーヴン・ダルドリーが映像化。戦時中の罪に問われ、無期懲役となったヒロインを『タイタニック』のケイト・ウィンスレット、彼女に献身的な愛をささげる男をレイフ・ファインズが好演。物語の朗読を吹き込んだテープに託された無償の愛に打ち震える。(yahoo映画)

まず、この映画は照明が完ぺきで美しく撮影されています。とにかく画面全体が発色のよい映像美です。前回早稲田松竹で観た時はそれほど感じませんでしたが、良く見ると素晴らしい映像です。

15歳のマイケル・バーグは、学校からの雨降りの帰宅途中に体調不良でゲロしているところを助けてくれた21歳年上のハンナ・シュミッツに恋をします。年上とはいえ美人で女性の魅力があります。

3ヶ月後、猩紅熱から回復したマイケルは、お礼に花束を持って一人暮らしのハンナのボロアパートを訪ねます。翌日もまた彼女の部屋に向かってしまいます。ハンナに命じられて石炭を運びますが煤だらけになり、ハンナに勧められて風呂に入ります。ボロいバスタブから出る彼をハンナが大きなバスタオルで抱きしめますが、彼女は裸になっています。そして愛人関係になります。マイケルはハンナに惹かれて通い、ハンナはそれに応えます。21歳の年の差でも愛人関係になれるのですね。

男と女が知り合うきっかけはひょんなこと、少し相手に気が湧いて、相手も少し勇気があると直ぐに男と女は愛の炎を燃え上がらせるという物語。実際世間でもこのようなささいなきっかけを一足踏み込めば、男と女の間になっているのかもしれません。そういう機会は決して多くはないでしょうが、少なくもないと思います。もっとも男女とも独身どうしでないと困りますけど。

そして、マイケルは次の日も学校が終わると毎日ハンナの部屋へと走ります。ハンナはその時間に路面電車の車掌の仕事を終えて帰ってきます。激しく身体を求め合う二人。愛する男女のリアリティがあります。この表現は素晴らしく21歳年上の女性との少し変わった愛人関係がよく描けていると思います。女性はもう肌の張りがなくなり始めていますが、二人の愛は燃え上がります。sexの演出もいいと思います。二人の心と身体の一体感を演出しています。

マイケルは家の食事途中でハンナとの愛の時間を思い出してニヤつきます。食卓と彼女のアパートでのSEXがフラッシュバックします。

どうして女は若い男が好きなのか、それは男も同じこと。相手は若い方がいい、若い硬い体を抱きしめて目をつむると自分も相手と同じ年齢にタイムスリップするからです。

そしてハンナは本を読んで聞かせてとマイケルに頼み彼は「オデュッセイア」から「チャタレイ夫人の恋人」まで読み続ける。男と女が会うようになるとsexはするもののやはり何か別のことも二人で始めるように思います。どちらかが欲することに相手がつき合う形でしょうか。今ならゲームとか、ドラマとか将棋とか二人で楽しめることですね。そして楽しい時間を過ごします。ハンナは小説を読んでもらって感動して泣きます。ハンナは自分の知らない世界を本を読んでもらうことで体験しているのです。

この二人はアパートで逢引するとSEXと読み聞かせの時間を楽しむのです。

あるとき二人はサイクリングに出かけます。恋人の姿で。それが美しい景色、映像なのです。

あるときハンナはマイケルの体を隅々までていねいに洗います。全てを洗い流して自分のものにするように。

学生時代は家庭と学校しかない世界ですから、そこに愛人とのSEXの時間が入り込んだら何もかも忘れてのめり込んでしまいます。愛人が大きな存在にならざるを得ないのが学生時代です。

そんなある日マイケルが彼女のアパートを訪ねると中は空っぽでハンナも消えています。彼女は字が書けないのに真面目に勤務するので車掌から事務方に出世させると言われて電車会社を辞めざるを得なくなるのです。彼女は字が書けないことを他人に知られたくないのです。

これは伏線になっていて後半の裁判では字が書けないとは言えずに不利な証言を認めて無期懲役にされてしまいます。マイケルはそれを知っていますが彼女が字を読めないことを知られるのを嫌うことから申告を躊躇します。そして彼女は無期懲役に。

もし私がマイケルなら彼女のプライドを守りながら刑を軽くする対策を考えます。彼女に面会して字が読めないことは恥ではない、私が文字を教えるから字が書けないことを裁判でいうように説得します。恥よりも禁固刑の方が比較にならない大きなマイナスで、人生を失うと言い聞かせます。文字は私が教えると約束します。彼女が恥だという意識をなくせるかどうかは私にかかっています。愛した人を助けるためなら脚本を書いて彼女に演じさせます。恥と禁固刑を天秤にかけて釣りあう彼女の意識を変えさせます。それが愛した人を守るということだと思うからです。あらゆる問題は必ず解決策があります。だから対策を考えることの大切さを私は言いたいのです。

裁判の筆跡鑑定の時に読み聞かせていたベッドがフラッシュバックで入ります。つまりセリフではなく映像で物語っています。

彼が離婚したのはハンナとの恋しくも悲しいできことがトラウマになっていたから。1976年。弁護士になったマイケルは結婚と離婚を経験し幼い娘とも別れ再び一人で生きています。これはハンナに録音テープを送るためだったと思います。

彼はハンナへの想いという問題を抱えていましたが、彼女の傷を癒すためにテープレコーダーに思い出の本の数々の小説を吹き込み、ハンナが服役する刑務所にテープを送ります。これは二人の愛の時の再現になります。二人は相手のことだけを思っている時間ですから楽しかったと思います。

そして手紙のやり取り、ハンナはロマンス小説を送ってほしいと頼みます。そして返事を頂戴と手紙に書きます。録音テープは山ほど送られます。

刑務所に面会に行った時、ハンナとマイケルは食堂で手を重ねます。それはSEXと同じ意味。そして、ハンナは「大きくなったね坊や」と言います。感動のシーン。

マイケルとハンナは最後まで愛し合っていて、マイケルは刑期を終えたハンナのために住まいを準備、ハンナは年老いた自分をマイケルが引き取らなくていいように自殺します。お互いが愛し合っていた結果を描きます。

そして、マイケルはこの物語を娘に話す決心をして終ります。きれいな映像、まるで結婚式場のような照明で撮影されています。

この物語は年齢差のある男女の悲しい恋愛を描いていますが、女性が21歳年上という設定です。確かに同世代の男女より、親子ほど離れていた方がドラマとして描きやすいと思います。男性が女性より21歳年上という事例は沢山あると思います。私の知り合いの社長も妻に先立たれて20歳年下の女性と再婚していましたね。やたら写真を人に見せるのは困りものですが。気力と経済力がありますね。

実際このようないい目をするには男性に経済力が必要ですね。20歳若い女性と恋愛をするには相当の小遣いが必要だと思います。また、法改正で婚外子の相続配分も同じになりましたから、甲斐性のある男性はどんどん婚外子を作られることでしょう。子供が増えるのは悪いことではないですよね。ますます男性の経済力が重要になったように思います。

今までの家制度は残したまま、昔の殿様のように甲斐性のある人の家系図は婚外子が増えていきます。しかし、よく考えたら昔の殿様と同じで、庶民も殿様扱いになるということでしょうか。

男は体力、気力、経済力ですね。そして相手を飽きさせないように、世間を広く持って豊富な話題を仕入れなければなりません。「ラマン」に続く素晴らしい恋愛映画でした。

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皇帝ペンギンたちが暮らす南極大陸を舞台に、音痴のペンギン、マンブルの奮闘を描いたミュージカル仕立てのフルCGアニメ。マンブルの声を演じる『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのイライジャ・ウッドをはじめ、『X-MEN ファイナル ディシジョン』のヒュー・ジャックマン、『ムーラン・ルージュ』のニコール・キッドマンら、人気スターが声優として参加。ペンギンたちのホワホワした毛並みまでを再現した精巧なCGと、豪華ボイスキャストの歌声に注目。(YAHOO映画)

公開初日3日間で4232万ドル(日本円=約49億5000万円)の興行収入を記録、全米初登場1位を記録。

歌こそがすべて”の皇帝ペンギンの世界にあって致命的な音痴の主人公マンブルの大冒険を描くアニメーション。彼は歌はダメだが“幸せのパタパタ足(ハッピーフィート)”の持ち主で、リズミカルなタップダンスを踊れます。

主人公マンプルは音痴で歌が歌えない落ちこぼれ皇帝ペンギン。しかし、得意のタップダンスで仲間を作り、餌となる魚がどうして減っているのかを探る冒険の旅に出ます。基本構成は「もも太郎の鬼退治」と同じですね。仲間を連れて目的地に向かいますから。

軽い葛藤があり、人間につかまって動物園のペンギンコーナーに入れられますが、タップダンスのできるペンギンとして大人気に。そして人間にGPS発信機を付けられてペンギンたちのもとに戻ってきます。人間たちはヘリコプターで発信機を頼りにペンギンの大群を発見、ペンギンたちがタップダンスを踊る壮大な景色を見て何かを訴えていると感じます。自分たちも心を突き動かされて踊りだします。ビデオ撮影して持ち帰り、踊るペンギンたちの様子を見て国際会議で議論しますが餌となる魚が乱獲されている事を知り、議論の末にペンギンたちの住む区域を禁漁区に指定します。

つまり、落ちこぼれのペンギンが最後には人間にタップダンスを通じて餌の魚がいなくなって飢えている事を伝えて禁漁区指定を勝ち取るという内容です。

ペンギンと人間は言葉は通じなくてもペンギンの要求がダンスを通して人間に通じ、人間がその要求にこたえる物語。感動しますね。

脚本の基本的な要素が入っています。ペンギンと人間は言葉が通じないのに最後には気持ちが通じます。他にも動物ものは犬と人間、猫と人間、虎と人間、馬と人間など挙げればきりがありません。本来言葉の通じない生き物が気持ちを通じ合わせるところに感動のドラマが生まれます。ポイントですね。それも落ちこぼれのダンスの特技で人間と気持ちを通じ合わせてペンギンたちの食糧を確保するのですからよく工夫されています。

新たに書く脚本では、もっと違うものと人間が心を通じ合うように考えないと。金魚と人間、これは餌をやるとなつきますね。

自動車と人間はナビなどのコンピュータが入っていますから既に気持ちが通じ合っています。スマホも同様ですね。後は鏡と人間、机と人間など動物以外のものと気持ちが通じる話だと初物でしょうか。

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古学者であり冒険家であるベンジャミン・ゲイツ。彼の家系は8世代にわたり、失われた伝説の《テンプル騎士団》の財宝を探していた。コンピュータ・マニア の相棒ライリー・プールと共に手がかりを求めて北極に向かったベンは、驚くべき事実を発見する。財宝のありかは、“世界で最も安全な資料”―アメリカ合衆 国独立宣言書の後ろに隠されているというのだ!見えざる敵とFBIの裏をかき、果たして彼は財宝を探し当てることができるのか。

ニコラスケイジが役にぴったりですね。出てくるキャラクターは魅力的で宝探しを行うというのも面白い設定です。

宝探しは違法行為をしてまでやる訳ですが、その思い切りの良さや随所の小さなアクション、陰謀論まで取り入れた設定。それらは宝探しのわくわくを盛り上げています。

アクションより謎解きメインのアドベンチャー映画。ビックリするほど都合の良い謎解きが続きます。

泥棒に入ると偶然悪人たちも同じタイミングで侵入してきて鉢合わせしてエレベーターに逃げ込みます。独立宣言の宣誓書を盗みますが、レプリカを購入します。敵方はヒロインもろとも宣誓書をかっさらいますがてまんまとレプリカとすり替えられてしまいます。出来過ぎ。しかし、カードで宣誓書のレプリカの代金を支払ったからすぐに足がついて自宅にFBIがきます。

宝のありかを時計台の影が示しますが、敵が来ると一瞬先に逃げます。出来過ぎ。どうもこの映画普通なら敵に見つかって追いかけられるところを、3回タイミング良く姿を隠して敵から見えないように作られています。眼鏡を見つけた時は敵より先に敵の姿を見つけて逃げます。タイミングが少しずれて事なきを得る仕掛け。何を狙っているのでしょう。少し変わった演出と思わせたいのかも。

もうひとつ変わった噴水。水が細い滝となって落ちた先に丸い受け皿がありそれで水を噴水のようにはじき返していました。観客にオヤッと思わせる演出でした。

財宝を見つけるまでのなぞ解きは繰り返して繰り返して進みますのでそれなりに楽しめます。ただし、アクションはほとんどなくて直ぐにつかまります。カーチェイスも少ししかありません。宝探しの映画では珍しくおとなしいストーリーなのです。派手さはありません、淡々と秘密を簡単に解いていきます。物語の葛藤も深くはありません。

しかし、この映画の素晴らしさは別にあります。宝探しは古来から人間の永遠のロマンです。いいなあと考えているとなんと「映画制作」も宝探しによく似ていると感じました。それは脚本から撮影、編集まで気の遠くなるほどの時間をかけて繰り返して練り上げる点が似ているからです。気が遠くなるほど時間をかける宝探しのなぞ解きに似ていると思いませんか。

映画は当たらないと道楽だと言われますから正に宝探しそのもの、突然ロマンの香りが漂ってきました。これからは映画制作は「宝探し」と同じなんだと考えて楽しく続けようと思います。映画制作はロマンに満ちた人生だと思うようにすることでやる気が溢れ出してくるのは気のせいでしょうか。

ヒトラーの贋札2枠.jpg国家による史上最大の贋札(がんさつ)事件と言われる、“ベルンハルト作戦”を題材にしたヒューマンドラマ。第2次世界大戦中のドイツ、ザクセンハウゼン強制収容所で、ナチスから紙幣贋造(がんぞう)を強制されたユダヤ系技術者たちの苦悩のドラマを描く。監督は『アナトミー』のステファン・ルツォヴィツキー。実際に強制収容所で贋造(がんぞう)に携わった印刷技師アドルフ・ブルガーの著書が原作となっている。驚がくの歴史的事件に秘められた物語です。

この映画は、ベルンハルト作戦に強制動員されたユダヤ人印刷工アドルフ・ベルガーの証言に基づくノンフィクションです。

海岸の景色から始まります。捨てられた新聞には終戦が報じられています。カジノに入ったサロモン・ソロヴィッチは大量のドル紙幣を貸し金庫に預けゲームを始めます。そしてソロヴィッチに娼婦が近づいてきます。裸の男の体には収容所で刷り込まれた数字がありました。そして過去が走馬灯のように思い出されて物語が始まります。

このような回想でドラマを描く方法はよくある手法です。それは、そもそもドラマが過去を回想して描かれるものだからでしょう。だからみていて自然なのです。

ソロヴィッチは画家、副業は偽造の証明書作りであり、贋金作り。これもよくある話です。画家がお札の絵を描くということですね。貧乏画家が金持ちになるにはこのようなパターンがあるのかもしれません。絵を売るのではなく直接お金の絵を描く、多分発展途上国の印刷技術レベルの低い国でしょうけど。

ソロヴィチの娼婦とのベッドシーンに容赦なく踏み込んできたのはヘルツォーク。ソロヴィッチはユダヤ人で贋札製造で逮捕され収容所に送られます。収容所の所員が偶然、彼の絵の特技に気付いて肖像画を描かせます。しばらくして収容所長の知るところとなり比較的恵まれた食事にありつけます。プロ画家の一芸が身を助けるのです。

私にはどんな一芸があるのでしょう。万一の時に命を救う人にはない才能は育てておかないと。

5年後、ソロヴィッチはザクセンハウゼン強制収容所に移送、彼を逮捕したヘルツォークが少佐になりソロヴィッチを贋札作り職人に選んだのです。

最初に命じられたのはポンド紙幣づくり、何度か試行錯誤に挑みますが失敗。局面を打開したのは紙幣に使われている繊維を発見したからです。この間に、ソロヴィッチは贋札作りチームの製品検査役になっていました。彼に猛烈に反発したのがブルガー。彼は反ナチ・パンフレットを印刷して逮捕されており、贋札つくりでナチに戦争協力することに抵抗。サボタージュを繰り返してソロヴィッチとはことごとく対立します。

一方、ソロヴィッチの目的は自分だけでなく全員が生き残ることを優先します。そのためにはナチスに協力もします。戦争が終わるまで生き延びないと意味がないからです。結核になったコーリャという少年には特別の配慮して薬を手に入れます。優しさのある男です。

このような場合、確かに敵対する相手に協力しない考え方と、生き抜く法が大切だという考え方があります。両方とも正解でしょうが、良く考えるとどうなのでしょうか。場合によると思います。映画ではドル紙幣の完成をサボタージュや傷をつけたりで2週間程度遅らせます。これで戦局が変われば意味がありますが、変わらない場合は意味がありません。自己満足の域を出ません。

ナチスに協力しないのは一人の抵抗、しかし、生き抜いて反撃の機会をうかがえばさらに大きな攻撃ができるかもしれません。

深夜囚人を招集してヘルツォーク少佐は語ります。「諜報員が大量のポンド紙幣をスイスの銀行に持ち込んだ。紙幣は銀行の厳重なチェックでも見破れなかった」 「諜報員は、さらにイングランド銀行で本物の証明書を取り付けた」、「次はドル紙幣を作るんだ」

いつまでたっても完成しないドル紙幣に激怒して少佐が先ず5人を射殺すると言いだします。その場にゾロヴィッチが駆け込んできて、大量のドル紙幣を机に置きます。「本物とチェックしてください」、良くできていると処刑は中止されます。「大量生産しろ」と。

連合軍は、ザクセンハウゼン収容所にも迫ってきて砲撃も聞こえてきます。そして命じられたのは印刷機器解体と廃棄です。証拠隠滅ですがナチス・ドイツの敗北を意味していました。

「エピローグ」

ソロヴィッチの回想は終わります。彼は負けを承知で勝負に掛け続け持ち込んだ全ての金を使います。浜辺に腰掛けるソロヴィッチに、あの娼婦が声をかけてきて「不運だったわね」と声をかけます。そして、ふたりはダンスを踊ります。

そういえば映画の中でサルサを踊るシーンがありましたね。サルサのシーンはなかなかありませんから記憶に残りました。

ドイツ軍が偽造した偽札は実際には完成しなかったようです。

戦争はあらゆる作戦を考えて相手を攻撃するということが分かります。今ならサイバー攻撃でコンピューターで構築している社会基盤を破壊することでしょうね。サイバー攻撃が成功すれば軍隊も機能しなくなるのかな。政府機関は危ないかも。しかし、軍隊のシステムはインターネットにはつながっておらず、完全な軍隊だけのwanでしょうから、別途ウイルスを諜報員がインプットするのでしょうね。住宅ローンや借金を抱える軍人は5億円払うと言われれば買収される可能性はないとは言えませんからね。

ヒトラーはポスターにはあるものの実際には出てきません。あくまで収容所、贋札工場だけです。人間模様を丁寧に描いた作品でした。

イルカと少年のコピーのコピー枠.jpg尾びれを失ったイルカと少年の絆を、実話をもとに映画化したハートウォーミングドラマ。11歳の少年ソーヤーは、浜辺に1頭のイルカが打ちあげられている のを発見する。イルカは海洋生物の病院へと運ばれウィンターと名づけられるが、深い傷によって尾びれの切断を余儀なくされる。そこでソーヤーは、ウィン ターに人工の尾びれをつけることを思いつく。


イルカは昔、子供たちが島から陸へ渡る橋から海へ落ちた時、神様が永遠に遊べるように子供をイルカに変えたと言い伝えられていることが語られます。これはアメリカ原住民の伝説で、溺れた人間の子どもが女神の慈悲によりイルカに変わるという内容で、彼らはイルカを人間と同等だと幼いころから教えられているのかもしれません。クジラもそのような意識があるのかもしれません。伝統的に食用と考えてきた日本人とは大きく異なる世界観ですね。

水中にカニを取る網を投げ込むと、プールに飛び込む水中映像に切り替わります。この編集がいい。

人間は社交的なの、いつも一人ではいられない。だから二人でいるのよ。というセリフがいい。

主人公のソーヤとヘイゼルはそれぞれ片親であり、何か共通点が伏線となっています。そして二人は協力してイルカの世話をしていきます。

主人公は友達のいない覇気のない子供なのに魚の病院ではイキイキしています。母親は自分の知らない輝く子供の姿に出会います。直ぐに母親は子供の変化に気づいて応援し始めます。サマースクールを欠席しても単位がもらえるように学校に交渉に行きます。

関心を持てば先ずは相手のことを調べる。そしてどんどん深入りしていく。そして、子供は目的を見つけると自分で自主的に行動し始めます。子供はキラキラ輝き始めます。このシーンは大人も同じで自分の目標に向かって走っている姿は輝いていると分かりますね。何かに集中している姿はやはり美しいのですね。→映画制作者の姿がどう見えるのかは分かりません。身内には道楽者に見えるという人もいますから。

水泳でヒーローだった従兄弟が軍隊で足に大けが、歩けないで意気消沈、面会も嫌がります。しかし、小さな子どもたちが懸命に努力するイルカの尾びれ義足活動を見ていて自分も前向きに変化していきます。テレビ局にイベントの放送を頼みます。

そしてイルカの義足は何度も失敗を重ね、そこへ大型台風が来て魚の病院は経済的に成り立たなくなって売却、閉鎖に向かいます。

クライマックスは怪我をしてギブスをはめている従兄と、尾びれギブスをはめたイルカの水泳のリレー。このイベントに沢山の人が集まり大成功、参加して人たちに感動を与えます。そして、施設を買い取ったオーナーから魚の病院の継続と資金援助を申し出られます。子供たちがイルカのギブス活動を通して奇跡を起こしたのです。エピソードが上手く重ねられて奇跡とともに開花していきます。

この脚本は実にすばらしく、子供が自分の目標を見つけてキラキラ輝くことで周囲の人や、魚の病院の経営難までも変化させていきます。

イルカの演出よくできてましたね。子供と一緒に観る映画ですね。

奇跡というものは大人が過去の経験で考える取り組みでは不可能であっても、目的だけを信じて活動する子供達が困難を克服していくという、奇跡が起こる仕組みを見せてくれます。奇跡の起こし方を具体的に見せてくれる素晴らしい映画だと思います。そして、子供も大人もキラキラ輝く姿はどういう時かを見せてくれます。何と素晴らしい脚本。

希望と勇気を観客に植え付ける最高レベルの映画でした。

感謝

マスク枠.jpgこれ1本でドル箱スターとなったジム・キャリー主演のスーパーSFXコメディ。小心者のスタンリーはひょんなことから不思議なマスクを拾う。家に帰り何気なくそのマスクを着けたとたん!猛烈な竜巻と共に彼の中のもうー人の自分《マスク》が現れた。そして彼は《マスク》の力を借りて、ー目惚れしたクラブ歌手、ティナにアタックするのだが……。

楽しい娯楽映画です。大体普通の男性に近づく美女は何かほかの目的があると考えるのが一般的ですね。知らない女性から声をかけられたらまず疑う、私ならついていきません。美人局以外考えられませんから。長い人生の中で一度もついていかなかったので事なきを得ているといえます。後で大金を脅し取られては困りますから。

男性は自分から女性に声をかけるのは平気なのですが、逆は99%騙されると分かりますから怖いです。

変身願望はだれにもあると思います。人の夢を実現する面白い脚本だと思います。しかし、変身すると行動はめちゃめちゃ、身の破滅なのです。つまり安易な変身願望のなれのはてを描いていると思います。

人間の潜在的欲望を実現させるマスクなんて怖いですね。やはり美女を手に入れることとお金は外せないでしょう。確かにめちゃしますね。

マスクを探すのに部下に賞金5万ドルを払うといいます。プロは野球でもなんでもお金で人を動かしますね。サラリーマンだって賞金が出るなら命がけで働きますね。

人は賞金に弱い生き物です。宝くじでも生涯当たるとは思えないのに購入します。万一の確率があれば人間は楽観主義者になりますから、買わないと当たらないと思います。webにある割引も50%引きと思っていたら先着1名だけとか、webトリックの花盛り。信頼第一の業者が多い中、一部には所詮webは騙し合いのところもあるようです。77%引きのように。

女性は金で裏切りますね。ローンを抱えているとか言って、これは男女とも同じですね。金に弱いのは。正義を守る人も少なからずいると思います。日本人はお金に相当困っていない限り正義を貫く国民ですから。多分正義感を失わせるのは借金という魔物ですね。

この映画、ステレオで音の位置が分かります。立体的に音が入っていました。左で話したり、右で別の音がしたり。そう、映画はステレオで録音しないといけないですね。自主制作映画なんかいつもモノラルのガンマイク一本ですから、ステレオ録音の魅力を知りました。マイクは二本使うように考えます。

ドラマは必ず味方をする人が現れますが、この映画では愛犬です。よく働いてくれて窮地を脱しますね。よく仕込んだものです。

マスクによる事件の犯人が最後にすり替わります。市長がギャングこそマスクだと決めつけて犯人にしてしまいます。このシーンは現実性があって面白いです。責任者が勝手に判断してつみ上げた証拠など見もしないで独断で犯人はあいつだと決めつけるのです。警察の部下は従うしかありません。自分が首になると困りますから。こんなことって世間にもよくあることだと思います。責任者が決めつけると誰も逆らえない、それを皮肉っていると感じました。つまり、世間では責任者、権限者を取り込む、騙せばなんとでもなると言っています。私もそういう部分が少なからず存在していると思います。監督はそんなことを言いたいような気がしました。

ラストシーンの背景の高層ビル群がきれいでした。こんなラストシーンにしたいものです。

キャメロン・ディアスって昔は大層きれいだったんですね。

突拍子もないストーリーで楽しめました。

ミレニアム3枠.jpg全身にタトゥーを入れた天才ハッカー、リスベットの活躍を描いたベストセラー小説を映画化し、ヨーロッパで大ヒットを記録したミステリーのシリーズ完結編。政府の秘密を知ったことで命を狙われるリスベットが仲間の協力を得て、法廷で戦いに挑む。主演は本作で一躍ブレイクし、国際的スターとなったノオミ・ラパス。

ミレニアム2を観たら、やはり私も中毒に、直ぐにミレニアム3を観ました。サスペンスの楽しさは引き込まれるところにあります。全てを忘れて次々と観続けることになります。昔、ディクフランシスの競馬のサスペンスにはまって毎晩寝るのを忘れて小説を読み続けたことを思い出しました。そう、私は嵌まりやすいのです。ツインピークス、ダークエンジェル、チェオクの剣、24、FRINGEと嵌まりましたから。

ミレニアム3はミレニアム2の続編で、救助されるヘリの中の映像から始まります。フラッシュバックで前編のラストシーンのポイントを映します。生き埋めにされて蘇り、ピストルで撃たれても生き延びます。

機密事項はやはり燃やして消し去るのが一番です。証拠が残りますから。ストーリーとしては敵方の仲間割れというのもいいですね。

そしてリスペットはいつもタバコを吸います。タバコの演出についていろいろ言う筋もあるようですが、私はノーコメントです。自分は25年前にタバコはやめましたが、今はたまに葉巻をやるくらいですね。葉巻は肺に入れませんから本人の健康上は問題ありません。嫌煙だけですね。

しかしながら、東京では飲み会の仕上げで高層ビルのホテルラウンジで仕上げに葉巻をくゆらせることを教えてもらいましたから、これがまたいいのです。あくまで葉巻ですから健康的です。問題は映画の演出上どう扱うか、これは脚本次第でしょうか。脚本でタバコや葉巻をくゆらせると指示してあればそうするしかありませんし、なければ喫煙シーンは無くなります。タバコを吸うシーンを入れるかどうかは脚本家の問題ですね。

病院ではいつも無表情なリスペットが父親が殺されたという話を聞いて一瞬顔をほころばせます。いい演出。

肝臓ガンで余命わずかの老人がリスペットの父親を殺しに行き、そのあと自殺します。余命がわかっていたら何か命がけのことができるという演出。これは自爆など現実にあり得る話で怖いですね。

この映画では、悪者たちは機密を食べて生きているように描かれています。機密情報が彼らの命だとわかります。そのために生きている。機密事項はメモをとることも禁じられていた。これはいいセリフ。

足の悪い老人の杖の付き方については、杖は足のよい側につくのですが、階段のシーンでは逆になっていました。そして平坦な床になるとまた杖を持ち変える。演出は細かいところまでやらないとリアリティさが出ないということがわかります。

秘密の話をしている時のカメラアングルはガラス越しに、これも普通の話ではないと伝わります。

裁判では相手に自由に話させて、相手の弱点が出るのを待ちます。そして自分たちの土俵に引き込んで致命的な証拠を出します。第一話で理不尽な後見人にレイプされるシーンを隠し撮りしてDVDに焼いていたものが徹底的な証拠になります。第一話で伏線を仕込んでいたのです。

そして、友人のデブ放浪者風のハッカーが精神科医のPCをハッキングして彼がロリコンマニアで写真を8000枚も持っていることを突き止め、ダウンロードします。何といっても最後は機密情報の証拠が逆転劇を支えますね。

裁判ではモヒカン頭のリスペットの顔をマクロレンズでとらえて強調しています。これもその心情を見事に演出しています。

ラストは頭のいいリスペットが腹違いの凶暴な兄をレンガ工場に足止めしておいて、敵対するバイクマニアに通報、彼らは復讐のために殺しに行きます。同時にリスペットは警察に電話してバイクマニアたちがピストルを持ってレンガ工場に入っていったと伝えます。そして、兄は殺され、バイクマニアは殺人で逮捕されて、リスペットは無関係になります。そう、違法行為は他人を使ってやらせて、警察にも知らせて逮捕させる。こうすれば一件落着で八方うまく収まりますね。

実によくできた脚本で、観る人を中毒にしてしまうほどの魅力があります。最高レベルの素晴らしい映画でした。

 

火と戯れる女枠.jpg

背中にドラゴンのタトゥーを入れた身長150㎝、体重40㌔の女性ハッカー、リスベットにたたきのめされた後見人ビュルマンは、復讐を誓っていた。ビュルマンはリス ベットの過去を徹底的に洗い、彼女を心の底から憎む人物を探し出した。彼はその人物と連絡を取り、リスベットを拉致する計画が動きはじめる。その頃、月刊 誌『ミレニアム』の発行責任者ミカエルらは、重大な決断をしていた。ジャーナリストのダグとその恋人ミアが進める人身売買と強制売春の調査をもとに、特集 号を刊行し、書籍を出版することを決定したのだった。話題沸騰!今世紀最大のミステリー『ミレニアム』三部作、激動の第2部に突入。

社会にはびこる”暴力”に立ち向かうために、仲間が結集し、奮闘する姿が描かれている。

ステリーサスペンション映画です。ハッカーの技術をいかんなく発揮。スウェーデンに深く根付いた闇を下敷きに事件に巻き込まれていく。全体の品質が高い素晴らしい作品です。どうもその国では女性が虐げられていた歴史があるようで、女性が男性に「倍返し」する物語ですね。つまりは半沢直樹の筋ですから受けます。

撮影のアングルもよく練られています。イヤホンをしているシーンのアップ、レズのsexシーンもうまい。

リスペットは映像記録能力と文章能力が大変優れている。またコンピューターの知識にも優れ、ハッキング能力も高く、“ワスプ”という名ではハッカー仲間から畏敬の念を抱かれているほど。質問されても何も答えずに黙っているため、責任能力がない精神異常者の烙印を押され、後見人を付けられるようになる。過去の虐待トラウマを負っている影響で、敵対した人物に容赦なく制裁を加える攻撃的な面を持つ。

セリフでは、誕生日プレゼントよ、誕生日じゃない、昨年の誕生日のよ、と言ってシガーケースを渡します。何て素敵なセリフ。

タバコやめないのなら美しいシガーケースがいいと思って、何て友達思い。

シーンは夕方、夜が多い。画面の色合いが美しい。特に夕方の太陽が沈んだ直後の撮影シーンが多くて色が美しい。

どうして買春した人にインタビューに行くのか、相手を社会的に葬り去るのだから危険すぎるのに。当然殺されますね。

情報源は言えない。彼女たちの命が危なくなる。これは内部告発も同様で、情報源は抹殺される危険がありますね。だから告発なんて命がけ。他人は軽い気持ちで情報を扱うからきっとばれる。だから告発や調査は身元が絶対わからないようにしてやるべきだとわかりますね。

pcでハッキングするシーン、ディスプレイ画面に顔を映るようにして顔と画面の文字が重なるアングルもいいですね。

高級アパート借りても家具も入れないで必要なpcだけしか置いてない。リスペットの性格を演出しています。

ミカエルの乗っている車がトヨタのプリウスなんて、何か日本みたい。日本人が見るとここはいまいちか。

白い顔に赤い稲妻の化粧で相手を責めるのがいい。相手を威圧する効果の演出。自動車の追跡シーンを入れるとやはり迫力が出ますね。動きが速くて危険だから。スリルが伝わります。

リスペットの歩くシーンとドアを開けようとしているシーン、BGMが変わります。音楽と画像がぴったりの呼吸ですね。小柄で40キロしかないリスペットが大男二人をやっつけてバイクを分捕って逃走するシーンは痛快です。リスペットは力ではなく知恵を使って戦いますね。

リスペットの背中のドラゴンタトゥーはドラゴンが怒っている正面からのもので、日本では見かけないデザイン。

リスペットの高級アパートは監視カメラが付いていて、侵入者画像を携帯に転送します。自動的に30秒の起爆装置が起動。ミカエルだったので携帯から起爆カウントダウンを止めます。

足の悪い父親が一本の杖をつきますが、いい脚の方で杖をつきます。実際そうなんだと聞いたことがあります。悪い足の側に杖をつかないんです。それは演出者が調べているということですね。

ポスターもいいし、脚本も、撮影アングルも演出も素晴らしい品質の作品でした。こんな映画を作らなくてはいけませんね。

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マーベル・コミックから誕生したアンチ・ヒーロー「パニッシャー」を映画化したアクション・エンターテインメント。 いままでのマーベル・コミック・ヒーローのように超人的なパワーは持たず、人間としての力だけで戦う。主演のパニッシャーを演じるのは『クリスティーナの好きなこと』のトム・ジェーン。その敵に『ソードフィッシュ』のジョン・トラボルタ。監督・脚本を務めたのは、『ザ・ロック』や『コン・エアー』など数々のヒット作を手がけた脚本家、ジョナサン・ヘンズリー。激しい銃弾戦と生身のアクションはリアルで迫力満点。

裏社会を支配する資産家ハワード・セイント(ジョン・トラヴォルタ)。ある夜、彼の溺愛する息子ボビー(ジェームズ・カルピネロ)がFBIによって殺された。怒り狂うセイントは、ボビーを死に至らしめたFBI潜入捜査官フランク・キャッスル(トム・ジェーン)の一家を虐殺。家族を失ったキャッスルは、セイントを法律では十分に罰しきれないことを知り、闇の私刑執行人パニッシャーへと生まれ変わる。最後にキャッスルがセイントを殺害した。そしてキャッスルは、自殺を思い止まり、法で裁けない悪人たちを制裁していくことを決意する。

特別な能力は持たないが迫力満点の映画です。

家族親戚全部殺されますが、キャッスルだけは生き残ります。そして復習とは言わずに法で裁けない悪を制裁していく物語。超能力を使いませんからリアリティもありますね。

このような法では裁けない違法行為者に制裁を加える執行人は現代にもいるように思います。

たとえばウィキリークス (WikiLeaks) は、匿名により政府、企業、宗教などに関する機密情報を公開するウェブサイトの一つ。創始者はジュリアン・アサンジ

アノニマス:私たちは闇の勢力を地球上から排除する。

その他。

このように現代にも制裁者が存在するようです。直ぐに制裁者が我々庶民の味方なのかどうかは断定できませんが、その行動が世界規模で行われる以上注視していく必要があると思います。民主主義には制度上どうしても裏の勢力が存在しやすく表の政治家などを動かしますから

従来の制裁者と異なる点は、被制裁者を直接殺害するというのではなく、機密情報をハッキングしたり、内部告発などによって入手してweb公開するという戦い方。被制裁者の悪事の証拠を公開する方法で、間接的に裁きを渡します。怖いですよね、政府高官に頼んでも止められませんから。

そして企業でもコンプライアンスの遵守が叫ばれていて、違法行為があれば直接担当の弁護士に電話できるようにまで進んでいます。だから企業でも幹部の違法行為が過ぎると心ある社員が内部告発に及ぶ可能性があるという点で違法行為の抑止力として働いていると思います。だから昔ほど組織の幹部は勝手なことができないと思います。社員が頭にきて企業の機密情報をwebに流すリスクもありますから。そこで企業はISMSを導入して社内機密情報を全部洗いだします。そして重要度のランク付けを行い、機密情報は厳重に管理されています。あるいはその都度廃棄されます。

このような機密情報公開の方法で制裁を加える者の作品ができるものと思います。違法行為を重ねていると最後には自分に廻ってきて破滅するよという道徳プロパガンダの映画ですね。面白くしないといけないから色々脚色して楽しめる内容に、先ずは脚本ですね。そのような悪事の話はweb上に沢山ありますから、少し時間をかけて得意分野の世界に絞り込んで、書けるかな?

映画を沢山観ていくと世界がみえる、人生がみえる、愛情、恋愛、信頼、親孝行、政治、経済、世界の勢力地図、民主主義の裏表などがだんだん具体的に理解できてくるように思います。それは脚本家や監督が民主主義のさらなる成熟、世の中から悪事を減らしていく活動に取り組む、そんなパワーを作品の中に埋め込んでいると思います。

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捜査一課が手に負えない特殊な事件を捜査するために警視庁公安部が設立した未詳事件特別対策係、通称“未詳(ミショウ)”に配属されたIQ201の天才であり、変人の当麻紗綾と、警視庁特殊部隊 (SIT) 出身で叩き上げの瀬文焚流の2人の捜査官が、常人にはない特殊能力(SPEC)を持った犯人と対決する姿を描く。金曜ドラマ枠では前クールの『うぬぼれ刑事』に続いての刑事ドラマである。

TRICK』シリーズなどと同様に、裏番組(主に『金曜ロードショー』)などの他局ネタや時事ネタ、出演者・制作スタッフ、舞台裏の事情にまつわる楽屋ネタなどのパロディ的な要素を多く含んだ小ネタを随所に織り込んでいるが、『ケイゾク』と同様にハードで謎に満ちた展開がメインとなっている。初期はミステリー的な展開が多いが、物語の後半以降はSPECに関わる陰謀劇を中心に描かれる。

2012年東京ドラマアウォードの作品賞優秀賞(単発ドラマ)などを受賞した[5]。『劇場版 SPEC〜天〜』は公開後2012年5月6日現在で動員165万9681人[6]、7月16日時点の累計興収23.9億円を記録するヒット作となった[7]

脚本難しそう。小さなギヤグネタや落ちを取り込みながら物語を進めていく。日本語があまりできない設定でいい加減な日本語でコントにしている。これは使えそう。先が読めないストーリー展開がいい。普段は反発していていも信頼していてラストではそれが出てくる。

「悪役には救いがあってはならない」も貫かれている。大体どこにも悪人は必ずまぎれています。その悪と戦う刑事の葛藤を見事に描いています。ドラマの「トリック」のようにギャグを入れた脚本。それをまじめに演じて笑いを誘う演出。このような喜劇風の作品は脚本も難しいし、キャストも演出も難しい。キャストはやはり嵌まり役になるような個性を持った人を選ぶのがポイントでしょうね。

オーディションは時間をかけてやってその人の個性、毒気、観客に支持されるタイプかどうか、信頼感、無鉄砲さ、敵をにらみつける目、声の響き、演技など見抜かなければなりません。併せて脇役の選出は更に大切で、個性が光っていなければなりませんし、主役を引き立てなければなりません。経験豊富な監督しか出ないように感じます。

他の作品とは違ったどぎつい個性を主人公が持っていて、キャグを連発しながらストーリーを展開していきます。

高度な演出力がないと観客を笑いに引き込めないだろうし、レベル高いっすね。

SPECという超能力を使う人物がぞろぞろとでできます。これもオリジナルを考えるのが大変そう。それなりの筋を通さなくてはならないし、科学的な知識もいるだろうし。

正義を守っていくひたむきな刑事の物語はやはり観客には受けますね。映画を観た後に正義感が体に残ります。映画って正義感を観客に植え付ける役目をはたしているなんて素晴らしいと思います。

高度な作品で素晴らしいと思います。

リンダリンダ枠.jpg高校を舞台にガールズバンドの奮闘をさわやかに描いた青春人間ドラマ。出演は『ほえる犬は噛まない』『TUBE』のべ・ドゥナ、『バトル・ロワイアル』シリーズの前田亜季、『ローレライ』の香椎由宇、そしてロックバンドBase Ball Bearのベーシスト・関根史織。監督は『リアリズムの宿』の山下敦弘。ハイティーンの女の子たちの心の微妙な心の揺れや高揚を繊細に描き出す。

 

これといった葛藤がなくのんびりとした長回し撮影の学園物、ラストは盛り上がって終わります。

しかし、体育館での演奏なのでライブハウスのようにはいきません。もう少し狭い部屋でエキストラの学生をぶち込んで踊らせたら最高に盛り上がったと思います。

ストーリーが淡々と流れていきますが、どうして学園物はこういうのが多いのか、敵役が出てこないので葛藤がありません。バンドの練習もその音を映像とミックスすればロック映画の雰囲気が出たかもしれません。そして部室のドアを開けて練習するのは如何なものかと、撮影のカメラアングルの都合でしょうが、アンプ使ってパワーを出しているのならドアは閉めているはず。高校なのですから。撮影は透明ガラス越とか、窓側から撮るとかするとよかったと思います。

それとリンダリンダは曲が最高によくって盛り上がりますね。まるでビンゴゲームみたいに必ずその場が盛り上がる曲です。

そして全編にわたる長回しによるゆったり感もいいと思います。監督の性格が出ているんでしょうね。

三日間徹夜で練習して文化祭のステージに上がるなんて、社会人ならできないことを高校生がやる。高校生には受けるかもしれないが、社会人はプロの仕事レベルにできないことはやりません。準備期間のない仕事と同じですね。社会人がそんなことしたら計画時点で首ですね。

高校生だから失敗しても努力は評価される。それが高校教育の評価。社会人とは異なるそんな世界観かもしれません。そこに焦点を当てているのかも。

香椎由宇さんの演技ね。感情表現はあまり出ませんが彼女独特の個性があると思います。きっと彼女の嵌まり役があると思います。そんな個性的な女優さんだと思います。だから使ってみたい監督もいるのだと思います。あまりセリフはありませんでしたがその美貌からローレライはよかったと思いました。私は個性が強くて好きな女優さんですね。

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