「博士の愛した数式」 監督 小泉堯史 キャスト 寺尾聰 深津絵里 浅丘ルリ子 FFビデオ制作

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博士の愛した数式2枠.jpg家政婦紹介組合から『私』が派遣された先は、80分しか記憶が持たない元数学者「博士」の家だった。こよなく数学を愛し、他に全く興味を示さない博士に、「私」は少なからず困惑する。ある日、「私」に10歳の息子がいることを知った博士は、幼い子供が独りぼっちで母親の帰りを待っていることに居たたまれなくなり、次の日からは息子を連れてくるようにと言う。次の日連れてきた「私」の息子の頭を撫でながら、博士は彼を「ルート」と名付け、その日から3人の日々は温かさに満ちたものに変わってゆく・・・。

「ルート」と呼ばれている若い数学教師(吉岡秀隆)は、新学期の最初の授業で何故自分にルートというあだ名がついたのかを物語り始めます。彼がまだ10歳の時、彼の母親(深津絵里)は未婚の母で家政婦をしながらひとりで彼を育ていました。

彼女は交通事故で記憶が80分しか保てなくなった元大学の数学博士(寺尾聰)の家に雇われます。博士にとっては彼女は毎日初対面の家政婦でした。しかし、数学談義を通して彼女にとっても驚きの連続。

やがて、博士が子供がいるなら連れてきなさい、一人で家に置いておかないようにとの提案で息子も博士の家にきます。息子は頭のてっぺんが平らだったことから、博士からルートと名付けられ博士と打ち解けたて友達に。

また、博士が大の阪神ファンで、高校時代に野球をしていたことを知った彼は、自分の野球チームの試合に来て欲しいとお願いする。母は阪神タイガースのゼッケンをつけさせて博士のを喜ばせます。しかし、炎天下での観戦がいけなかったのか、その夜、博士は熱を出して寝込んでしまいます。泊り込んで看病する母子。ところが、そのことで母屋に住む交通事故の時不倫関係にあった未亡人の義姉からクレームがつきます。

彼女は家政婦派遣所から解雇を申し渡され他の家へ転属になりますしかし、誤解の解けた家政婦は博士のもとに復職が叶い、再び博士の家を訪れるようになりました。そしてルートは中学、高校、大学と博士と共に育っていったのです。そのような物語を数学の時間に話しながら数学の授業を進めていきます。生徒たちは物語に引き込まれて自然に数学の授業に親しんでいきます。授業が終わった時に一人の生徒が「ありがとうございました」と言います。ルートの物語の中で数学を教える授業は素晴らしい授業だったということが演出されています。

数学を解明していく美しさが取り上げられます。

子供のただ今と言う声を聞くほど幸せなことはない。子供は大きくなることが仕事だ。姉と義弟との不倫関係がうまくストーリーに絡んできます。

昼間の室内のシーン、窓の外の景色もありますし、部屋の中の人物の顔も明るくなっています。照明が綺麗に当てられています。

博士と家政婦の母の散歩のシーン。テンポのいい音楽がBGMで入ります。よく見ると音楽が主体で映像がつけてある。映像は音楽に合わせて踊っているということが分かります。つまり、BGMに合わせて映像が踊るようにBGMを付けていることが分かりました。今まで映像にBGMを付けると考えていましたが、音楽に映像を付けると考えてBGMを付けるんだと理解できるシーンでした。子供が帰ってくる時間だと言って二人が走って帰る姿とBGMの関係はまさに音楽に合わせて映像が踊っている姿でした。

博士は正しい基準を何度も繰り返します。

博士は、永遠の真実は心の中にある。肝心なことは心で見ないといけないと言います。

大きな滝の背景は迫力を感じます。エネルギーのある背景はやはり動いていることが必要ですね。

よいことは全体が調和していて美しい。このセリフは何事にも共通しますね。

子供は大人よりずっと難しい問題で悩んでいる。これは子供が家庭と学校しかない世界の中で、小さな問題も大きく見えていることを指していると思います。

博士は、ただあるがままを受け入れ、自然に任せきってひととき、ひとときを生き抜いていこうと思う。といいます。これは自然体に生きていくしかないという心理を言っていると思います。そして、直感を信じ豊かな気持ちにともいいます。

浅丘ルリ子さんはいつまでたってもやはり浅丘ルリ子さんですね。存在感の大きい素晴らしい女優さんです。人がたたずんでいるときはカメラが動いて画面に動きを出していますね。

山の映像が美しく撮影されています。薪能は観世流、演目にはこの物語の隠喩なんでしょうが、残念ながら能の演目までは分かりませんでした。演目が分かれば映画のストーリーと能のストーリーを対比して楽しめたものを。

人間は年を重ねていくと能舞台のような伝統芸能がしっくりきますね。人生を積み重ねるように伝統芸能が積み重ねて演じられているところに共通点を見出して入ってくるのかもしれません。だから伝統芸能の観客はやはり年を重ねた人になるのだと思います。

そして、家政婦の誤解が解けた時、義理の姉は母屋と離れを分けていた「この木戸はこれからはいつでも開いております」といって気持ちが通じ合ったことを演出しています。

今日の授業はこれまでと言ってルートは教室の窓の外を見ますが、なんとそこは砂浜と海、グラウンドではなく回想シーンになっているんでする。私はグラウンドが海になっている学校ってあり得るのかと思ってしまいました。

ラストは

一粒の砂に一つの世界を見

一輪の野の花にひとつの天国を見

手のひらに無限を乗せて

一時のうちに永遠を感じる。

ウイリアム・ブレイク

で終わります。

このような心境になるにはたっぷりの自由時間が必要になると思います。好きなことを好きなだけやれる人生の中ではじめてうかがい知れる心境ではないでしょうか。定年になってすべて自由時間になったはずなのに、FFビデオ制作を維持するために何から何までやらなくてはならずとにかく忙しくて、まだまだ到達できませんね。

この映画は教師の皆さんにも見て頂きたいです。生徒を引き込むこのような授業ができれば素晴らしいと思います。

授業をしながら物語を回想で進める形式で、授業が引きたち物語も良くできていて感動を呼ぶ素晴らしい作品でした。

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