「日本の黒い夏 冤罪」 監督 熊井啓 寺尾聰 中井貴一  遠野凪子 FFビデオ制作

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1995年の初夏、一年前に長野県松本市で起こった“松本サリン事件”での冤罪報道を検証するド キュメンタリービデオを制作中の高校の放送部員・エミ(遠野凪子)は仲間とともに、地元ローカルテレビ局を訪れる。他の報道関係者はエミらの取材に応じて くれなかったが、ここの報道部長・笹野(中井貴一)だけは、彼女らを快く迎えてくれたのだ。
 笹野とその部下・花沢圭子(細川直美)、浅川浩司(北村有起哉)、野田太郎(加藤隆之)は、当時を振り返りながらエミのインタビューを受ける。

題材の深刻さの割には爽快感のある脚本。純真な高 校生による問いかけという作品の形態がいいと思います。

良心的な作品で感銘を受けました。冤罪事件の発生メカニズムとマスコミの関係、警察の取り調べの様子もリアルで冤罪が作られていく過程が良くわかります。組織にはそれぞれ目的があり関係者はその目標に向かってただ走ります。しかし、事実の検証がおろそかになるととんでもない方向に走ることの怖さが伝わります。警察は事件を解決するのが仕事で、冬季オリンピックを控えて逮捕実績を作らなくてはなりません。どうしても犯人を逮捕した形に持っていきたいのは当然です。マスコミは視聴率と販売実績が利益の源泉ですからとにかく売れるニュースを流したい。スクープを取りたい。そして利益を上げたいのも当然です。

問題は容疑者にされた人の人権です。明確な証拠がない場合容疑が晴れません。警察の執拗な取り調べ、睡眠時間を取らせない厳しい刑事の対応から解放されようと、うその自白という話は冤罪の種ですね。頭のいい人は有罪であっても刑事の誘導訊問に引っかかったふりをして調書を作らせて、裁判であり得ない調書内容だと証明することで無罪を勝ち取る例もあるようです。季節感に矛盾した行動とか夜と昼の関係に逆らったことととか、誰が聞いても前後のつじつまが矛盾する調書をわざと作らせるとある本で読んだことがあります。

刑事は焦っていますからどんどん誘導してくるらしいです。両親が泣いている。子供がいじめられている。家から出られないでいる。だから早く白状して楽になれというように。昔の相当取り調べは厳しく、睡眠不足にしておいて、はったりや嘘で容疑者をノイローゼ状態まで持っていこともあったようです。とにかく疑わしい容疑者なら誰でもいいから犯人に仕立てます。一件落着しないと仕事が終わらないからです。刑事さんも人の子ですから。

容疑者はそんなことは百も承知ですから、拘留されたら完全黙秘しながらじっくり矛盾する調書のパターンを考えておいて、刑事が誘導してきたら乗るらしいです。刑事さんと容疑者の知恵比べでしょうか。30年くらい前に読みましたから知ってみえる人も多いはずです。

この映画は実にわかり易い形でさまざまな問題を提示してくれるので、冤罪事件を風化させないためにも貴重な作品だと思います。一般市民とともにマスコミの方には特に見ていただきたいですね。冤罪を作る報道はしないように願いたいものです。
 

映像については美しい信州の景色と雲が描かられています。容疑者にされた神戸さんはサリンで倒れた妻を見舞いに行きますが、妻の喉には人工呼吸用のパイプが首に穴をあけてつけられています。

神戸さんはうその証言だと言って警察に証人に会わせてくれと言いますが、警察はそれはだめだと言います。でっち上げの原因がここにあります。証人と神戸さんが話せば勘違いだとすぐにわかるのにです。警察は2時間の参考人尋問を許可するという診断書を無視して7時間も訊問します。そこに容疑者の人権はありません。とにかく落としたいのですね。そして嘘発見器まで使用します。そのような根拠の不明確なまま警察は情報を発表しますからマスコミはそれを報道します。そして冤罪が作られていくのですね。

容疑者の家には脅迫の手紙が届きますし、脅しの電話も入ります。容疑者は自白を強要されますし踏んだり蹴ったりです。

そのような中でも神戸さんは子供たちを集めて私がなくなったらこの金を使いなさいと貯金通帳を出します。それでも足りなくなったらこの家を売りなさいとまで。無実なんだから家族に堂々とふるまいなさいと言って家族は団結します。

そんな中でもマスコミは科学的な検証もしないまま容疑者が犯人かのような報道を続けます。冤罪のイメージを作るのはマスコミですね。だから冤罪を晴らすのもマスコミの仕事だと指摘しています。

そして翌年3月東京サリン事件が起こり、カルト教団が松本サリン事件を白状します。そして県警はカルト集団の犯行と断定。これで神戸さんははっきり白となります。

そのあと松本サリン事件の映像、例の小鳥を入れたかごが先頭で警察が行進していきます。また、サリンをトラックから噴霧する様子がリアルです。そして妻が痙攣し、犬が泣いて、消防隊がガスマスクを着けて被害者を救出する映像。神戸さんは妻に続いて倒れますが、その時に子供に後のことは頼んだぞと言い残します。神戸さんはしっかりした大人の行動でした。救急車と野次馬の映像がスタートの映像とダブります。

高校生は新聞やテレビはもっと真実に基づいて報道していると考えていたと失望します。高校生のテレビ局へのインタビューを通して物語が進む方法がストーリーを分かりやすくしています。テレビ局は反省を言葉だけで終わらせたくないと特番を組んで神戸さんを参加させた番組を作ります。

最後に刑事が神戸さんに「済まなかった」と詫びを入れて神戸さんはわだかまりが消えたと言います。神戸さんは刑事の立場も理解していて大したものです。

私の印象はこうです。

冤罪の場合は正々堂々と戦うこと。そして、人生は比較のトリックの中にあります。最悪のことと比較すれば今の平凡な生活が素晴らしく感じます。最良のことと比べたら何をしても不満の日々になります。このように我々の人生は所詮比較のトリックの中にあると思いました。

それは神戸さんが最悪の状態と言える容疑者の立場から無罪になり「もう思い残すことはありません。意識の消えた妻と共有できる時間と空間がもっとも大切なものと思えます」と言うセリフでハッと気ついたことです。今までの容疑者としての最悪の状態と比較すれば車いすで口のきけない妻と共有する時間でさえいとおしいと感じると言うのですから。

人生の大切なことに気づかせてくれるすばらしい映画でした。

私たち一般人も普段から真実を検証して発言しないといけないと思いました。利益追求優先の一つのマスコミ報道をうのみにするのではなく客観的な情報を収集する姿勢が必要ですね。つまりTV系、新聞社系、出版社系、webなど複数の信頼できそうな情報源から判断するということですね。いろいろ偏った報道が多い世の中ですから。

常に政府や行政の政策や組織の対応に何か咎めるものがあるのではないかと言う姿勢の記事やニュースを毎日流していますが、このような報道は読者が軽蔑の眼で見ていると思います。ひどいものは一面に社の方針を特集でかでかと掲げる紙面、このような姿勢の報道はいくら書いても多くの人には読まれないと思います。報道は客観的なものしか読みたいとは思わないのですよ。

ものごとには100パーセント有効だと言うことはまれであり、7割は有効であるが後の3割は害がある、あるいは副作用があると言うのが政策、商品、薬品の姿だと思います。7割の効果を評価したええで、残りの3割を可能な限り減らしていく議論こそ必要ではないかと思います。3割を批判して7割の効果を葬る姿勢の報道は如何なものでしょう。主客転倒ではありませんか?

私は報道の姿勢は思想的な偏りがないこと。そして、ものごとの本質を突いていること。さらに残りの3割の課題を提示して改善の対策を論じていくような報道姿勢を期待するものです。

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