「羅生門」 監督 黒澤明 キャスト 三船敏郎 京マチ子 FFビデオ制作

| コメント(0) | トラックバック(0)

羅生門のコピー_edited-1.jpg枠jpg

概要

原作は芥川龍之介の短編小説「藪の中」だが、「羅生門」にも題材を求める。

本作は、「対立する複数の視点から同じ出来事を4人が違う様に回想する」ことを描く、法廷心理劇手法。これはアメリカや中国など外国の映画やフィクションに影響を与えている。

登場する3人及びそれを見ていた1人の4人が同じ場面を自分に都合のいいように証言することを通して自分勝手な人間の本性を描き出している。

本作は1951年(昭和26年)9月、ヴェネチィア国際映画祭でグランプリを受賞し、日本の映画が世界に紹介されるきっかけとなった。

本作の完成時、世間の評価もぱっとせず、大映社長の永田雅一も、「この映画はわけがわからん」と批判していた。しかし本作がヴェネツィア国際映画祭に出品されてグランプリを受賞すると、永田社長は一転してこれを自分の手柄のように語った。黒澤監督は後年このことを回想し、「まるで『羅生門』の映画そのものだ」と評している。

平安時代、荒れ果てた都の大雨の羅生門で、杣売り(キコリ)と旅法師が放心状態で座り込んでいた。そこへ下人がやって来る。下人は退屈しのぎに、2人から検非違使の白砂で聞いたある事件の話を聞く。

ある日、杣売りが山に薪を取りに行くと、武士・金沢武弘の死体を発見した。そのそばには、「市女笠」、踏みにじられた「侍烏帽子」、切られた「縄」、そして「赤地織の守袋」が落ちており、またそこにあるはずの金沢の「太刀」と妻の「短刀」がなくなっていた。杣売りは検非違使に届け出た。旅法師が検非違使に呼び出され、死体の武士が妻・真砂と一緒に旅をしているところを見たと証言。

やがて、下手人として、盗賊の多襄丸が連行されてくる。多襄丸は女を奪うため、武士を木に縛りつけ、女を手籠めにしたが、女が「生き残った方の妻となる」と言ったため、武士と多譲丸が決闘し多譲丸が勝った。しかし、その間に女は逃げてしまったと証言した。無くなっている短刀の行方は知らないという。

しばらくして、武士の妻が検非違使に連れて来られた。妻は自分を手籠めにした後、多襄丸は夫を殺さずに逃亡したという。だが、眼前で他の男に抱かれた自分を見る夫の目は軽蔑に染まっており、妻は思わず自分を殺すよう訴えた。あまりのつらさに意識を失い、しばらくして目を覚ましたときには、夫には短刀が刺さって死んでいた。自分は後を追って入水自殺して死のうとしたが死ねなかった、と証言した。

そして、死んだ武士の夫の証言を得るため、死者を呼び出す巫女が呼ばれる。巫女を通じて夫の霊は、妻は多襄丸に手籠めにされた後、多襄丸に情を移し、自らの夫を殺すように彼に言ったのだと言う。そして、これをきいた多襄丸は激昂し、妻を生かすか殺すか夫が決めていいと言ってきたのだという。しかし、それを聞いた妻は逃亡した。多襄丸も姿を消し、一人残された自分は無念のあまり、妻の短刀で自害したと証言した。

だが、杣売りは、下人に「3人とも嘘をついている」と言う。杣売りは実は事件を目撃していた。そして、杣売りが下人に語る事件の当事者たちの姿はあまりにも話と違い、あさはかなものであった。無くなった短刀は杣売りが盗んでいた。そして、4人とも自分に都合のいい話をでっちあげていたことが明らかになり、人間の自分勝手な浅ましい姿が浮かび上がるが、杣売りは最後に可哀そうな捨て子を自分が引き取って育てると言う良心を見せる。自分に都合のいい話をでっちあげる人間を見て人間不信に陥っていた旅法師はこれで人を信じることができると言う。

予告編 http://www.youtube.com/watch?v=MJDeh7uod3M

本編 http://www.youtube.com/watch?v=Ygl5sfKZ3I8

 

映画分析感想

どうしてこの映画は日本では評価が低く、海外で高かったのか?

その原因の一つはキャストの台詞のうち聞き取れない個所があちらこちらにあること。妻の台詞のあの人を殺してくださいと連呼する前後の台詞は少し早口で声が小さい部分があり聞き取れない部分があった。

羅生門でのやり取りも雨の音が大きく台詞の聞き取れないところがある。

このように複雑なストーリー展開の映画では、一部でも台詞が聞き取れないと観客がストーリーについていけなくなる。ひとつひとつのの台詞が意味を持っているから。観客は内容の理解を諦めてしまう。

二回三回と聞き直さないと分からないところもあった。

大声の多譲丸の台詞でさえ早口の部分は聞き取れないところがあった。

これでは日本人は正しく意味をつかめない。

しかし、外国で上映する場合は台詞が全部テロップで流れる。つまり台詞が全部きちんと伝わる。だから一度見ただけでその意味がつかめる。台詞が全部きちんと聞き取れないのなら、テロップ付けるかと言うとそうもいかない。だから脚本が台詞を多用している以上台詞が全部伝わるのが前提の作品だと思う。

つまり、映画のキャストは滑舌が重要、台詞は早口ではなくきちんと発音して伝える演出をすることだと思う。舞台のように。台詞が観客に正しく伝わらないのは演出、編集に問題がある。私も既に2回見ているが、今回細かく分析するまで本当の内容は分からなかった。恐らく多くの日本人が作品の内容まで十分に理解できない場合、その原因は前記の台詞の聞き取りにくさに影響されている可能性がある。

台詞は450位で多くはない。沈黙のシーンもある。

小津監督も黒澤監督も両方とも脚本に人間の本性を描いて丁寧に演出。そして、人間としてのあるべき姿を考えさせる作品である。両方とも世界トップの評価。映像のアングルについては黒澤監督の方が超クローズアップも使用しており、ハリウッドを意識。雨やクローズアップ、カメラがキャストと並行して動いている。映像にスピード感がある。小津監督は我が道を行く舞台三層構造、ローアングル撮影。どちらの巨匠の作品も素晴らしい。

――――――――――――――――――――――

いい台詞

キコリ、嘘だ、みんな嘘だ。

下人、へへへ、本当のことを言えないのが人間だ。

法師、そうかもしれん、しかし、人間は弱いからそうなんだ、弱いからこそ偽る、それさえ偽る。

下人、尤も女と言うやつは何でも涙でごまかしてくる。自分自身までごまかそうとしている。だから女の話はよほど用心してかからないとあぶねえぞ。

下人、一体正しい人間なんているのかい、皆自分でそう思っているだけじゃないか。

下人、人間と言うのは自分に都合の悪いことは忘れちまう。都合のいい嘘を本当だと思ってるんだ。その方が楽だからな。

下人、こんな話は世の中にはざらにあるよ。この羅生門に住んでいた鬼が人間の恐ろしさに逃げ出したという話さえあるこの頃だ。

妻、覚えておくがいい、女は何もかも忘れてキチガイみたいになる男のものなんだ。女は腰の太刀にかけて自分のものにするものなんだ。

多譲丸、未練がましく女をいじめるな。女と言うものは所詮このようにたわいのないものなのだ。あははは。妻、他愛のないのはお前たちだ。夫だったら何故この男を殺さない。私に死ねと言う前に何故この男を殺さないのだ。この男を殺したうえで私に死ねと言うのが男じゃないか。お前も男ではない。あははは。

このどうにもならない立場から私を助けだしてくれるなら、どんな無茶な無謀なことだって構わないそう思ったんだ。

下人、嘘だと言って嘘を言えるやつはいねえからな。

下人、どうもこうもねえ、人間の都合なんて全くわからないという話しさ。

下人、手前勝手がなぜ悪い。人間が犬を羨ましがっている世の中だ。手前勝手でない奴が生きていける世の中じゃねえ。

杣売り、(捨て子を見て)

わしのところには子供が6人いる。しかし、6人育てるのも7人育てるのも同じ苦労だ。

法師、お主のお陰でわしは人を信じていくことができそうだ。

この映画は人間の自分勝手な本性を描いており、ラストでは人間の良心で救われる。永遠に高く評価される芸術作品であると思う。

 

監督の作り込みチェックリスト 監督 黒澤明

区分

NO

項目

内容

脚本

1

タイトル

羅生門

2

主題

(何についての映画か、問題、主張する思想内容)

人間の本質は善なる良心

3

テーマ

(主題についての考え方、メッセージ、見解)

人は手前勝手でないと生きていけないもの。

人には死んでも嘘をついて隠したい罪がある。

人が信じられなくなったらこの世は地獄。

人間の良心こそ最後には勝利する。

 

脚本

法廷心理劇構造(羅生門及び検非違使のお白砂の証言者の回想でシーンが切り替わる。法廷は羅生門と検非違使のお白砂の二階層構造)

4

場所

京都

5

時代

平安時代

6

季節

7

期間

3日間

8

モチーフ

(反復で表す)

分かんねえ。6回

恐ろしい話だ。3回

あの人を殺してください。5回

やめて。6回

わしは嘘は言わねえ。3回

9

隠喩

(別のもので意味を伝える)

多譲丸が妻の口を吸うシーン、カメラは空がぐるぐる回り妻のめくるめき快楽の心情演出、そして妻は目をつむり短刀を落として多譲丸への敵対を止めた演出、次に妻の右手は多譲丸の背中にしがみ付いて気が多譲丸に移った演出。

ビジュアルデザイン

10

照明

(キーライト、フィルライト、バックライト)

検非違使のお白砂でのシーン、取り調べられている者の顔は日陰、後ろで待機するものは日光が当たっている。

取り調べられている者の顔の陰のコントロールが可能にしてある。

武士が多譲丸に財宝の隠し場所を案内させるシーン、武士の顔に木の葉の陰、半信半疑を演出。

武士を縛り付けて取って返して妻を覗き見る多譲丸の顔に二本の木の枝の横陰がはいり、陰謀を演出。

夫が縛られている姿を見る妻の顔と身体に木の葉の陰で心細い心情演出。

夫は多譲丸に捕まった妻を見るシーン、顔半分に陰を落として辛い心情演出。

夫が多譲丸に手籠めにされた妻を蔑むシーン、夫の顔に木の葉の陰で突き放す心情演出。

多譲丸が夫に妻を殺すか、助けるかというシーン。夫は縛られたまま引きのショット、30パーセント接近したショット、このショットでは顔に木の葉の影がないのに、次のクローズアップでは顔に木の葉の影がある。これは顔の少し上に木の葉を置いて撮影したと言うが、手前のシーンでは影がないのに突然影が現れるのはおかしい。手前のショットをカットするかショットごとの繋がりを見直すべきだったと思われる。

11

色使い

(コントラスト、配色)

12

主役の色

(どのように目立たせているか)

多譲丸は裸に近い。武士はサムライの装束、妻は京女の服装で三者明確に分かれている。

羅生門で話をしている三人はぼろぼろの服装。

13

カラー白黒

モノクロ

撮影

14

フレーム

(スタンダードサイズ、ワイドスクリーン、シネスコープ)

スタンダードサイズ

15

配置

カメラからみてキャストが重ならないように配置。近景、中景、遠景にキャストを配置して会話しているものと待機しているものを区別。

16

オフスクリーン

(スクリーンの外を描く)

検非違使のお白砂で取り調べを受けるが検非違使は完全なオフスクリーンで人影もセリフも何もないが、検非違使のお白砂が成立している。お見事。

えっ、女の太刀?

なにっ、女の短刀?

このように検非違使に対して言葉を繰り返して検非違使がいなくても存在しているよう演出している。

17

カメラワーク

(ロング、フル、ミディアム、ウエスト、クローズアップ、超クローズアップ)

キコリが山を歩くシーン、カメラがキコリの前、後ろについて同じ速さで移動する。天空を映すシーン、空が回るシーンなど、カメラアングルは相当工夫されている。

多譲丸が妻を引っ張って山を走るシーン、すごい速さ、カメラもキャストと移動する。編集で速度をあげていると思う。

ラストの羅生門のシーンで、引き、少し引き、フルショット、クローズアップを使用しているシーンあり。

同じ年代なのに、小津監督の東京物語はクローズアップは使用していなかったが、黒澤監督はクローズアップ、超クローズアップを使用、黒澤監督はアングルとショットを相当工夫している。

18

アングル

引きのショットでは殆ど近景、中景、遠景の構図になっている。舞台のZ軸、奥行きを大切にしている。これは現代のコマーシャルに顕著である。平面の画面に奥行きを持たせることが観客に印象を残すからである。

森の中で木の葉が揺れて風と心情を演出。霊媒師が祈り踊りながら衣裳が風にたなびいて、死者の声を呼び出す演出。

19

主観ショット

(本人目線)

はじめて出会う武士と多譲丸はお互いに主観ショット。

20

スローモーション

ない。

編集

21

スーパーインポーズ

(別の映像を重ねる)

シーンの画面切り替えがディゾルブではなくて左から右に画面切り替え、次は左から右、その次は右から左、これは観客を混乱させる目的?

22

リアクションシカット

(加害者、被害者)

多譲丸と夫の戦いシーン、多譲丸と妻のシーン。

23

ディテールカット

(目や手)

妻が多譲丸に夫を殺してくださいと言うシーン、妻の目の超クローズアップ。

24

カットアウエイ

(別のカットを挟む) 羅生門での三人の話の場面と検非違使のお白砂の場面および山中でのでき事が説明者の話内容に添って切り替わる。

25

カットバック

(全く別の状況に交互に切り替える)

羅生門と検非違使のお白砂で取り調べられている人がそれぞれシーン単位にカットバック。

26

モンタージュ

(裏の人格を見せるなど)

27

カラコレ

 

音響効果

28

効果音

各シーンの環境音を変えている。

霊媒師が死人を呼び出して話すシーンは念仏のような神道の祈りようなBGM。

スタートとラストシーンは同じ雅楽のBGM。

大雨の雨音。これはハリウッド映画があまり雨を使用しないからという配慮があるらしい。7人の侍も雨降りの泥沼シーン。照明の使い方もハリウッドを意識しているらしい。

ラストでは捨て子の泣き声が羅生門に響く。

29

沈黙

妻が夫の縄を切って、多譲丸と妻と夫が直線に並んで三すくみのようになるシーン。多譲丸のクローズアップ、夫を見る妻のクローズアップ、多譲丸を見る妻のクローズアップ、三人がにらみ合う。50秒間沈黙。

きゃーと言う妻の悲鳴、その後のぶざまな多譲丸と夫の戦い3分間台詞なし。映像だけで戦いを見せている。

この点は小津監督とは違う。

多譲丸が林の中を走るシーンのBGMはアップテンポ。

音楽に合わせてキャストが踊る、演じるという基本通り。

30

モンタージュ

(音と音、並列繋ぎ、対比繋ぎ)

31

サウンドミックス

(音の重ね方)

羅生門の雨音と台詞、台詞のシーンは雨音を押さえているが、台詞そのものを確認できない部分がある。

32

モチーフ

(同じ音の繰り返し)

感想

33

 

前掲

トラックバック(0)

トラックバックURL: https://www.ffvideo.biz/mt/mt-tb.cgi/155

コメントする

homepage_bnr.gif

カテゴリ

ウェブページ

タグクラウド