凄いね、古事記から映画脚本を考えるなんて  FFビテオ制作

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古事記パンフIMG_4333[1].jpg古事記図書DSC_1161[1].jpg

古事記と日本書紀の違いなんて今まで全く知識なし。私は古事記に脚本としての思想的原点を見出したように思います。

古事記と日本書紀の違い(Web引用)http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/other/kiki.htm

古事記と日本書紀はどう違うのか。わずか8年くらいのうちに、同じようなものが何故2つも作られたのか。これについての私の認識を整理したのがこの論稿である。そして、両者の違いを具体的に示すために、記紀のいずれもが記載している記事の中から5つばかりを採り上げて、両者の違いを述べ、その原因について考察を加えた。
 結論を簡潔にまとめると、
 ①両者は神話の世界観が全く異なり、編集目的も全く異なっている。本来、両者は全く別のものである。
 ②古事記は、語り部によって伝えられた「日嗣ぎ」の伝承を、忠実にほぼそのまま記述したもので、要は、大王家が歴代統治してゆくことの正当性を述べようとしたものである。
 ③日本書紀は、白村江の大敗、2千人の唐軍の進駐と云う状況下、失われた我が国のアイデンティティを再構築するために、中国風の史書を作ることを目的としたものであり、原資料として多くのものを用いているが、王権にとって都合の悪いことを隠蔽すべく、意図的な取捨・改竄が随所に行われている。
 
 
今回は古事記の天空の神の世から地上に降りた神の子である天皇についての物語。天皇家の血筋は神に通じていることを記述。近親結婚の災いとか人間となった神はひょんなことから永遠の命を失った事。つまり人としての成り立ちなどを書いたもので、もとは神であっても人間となった以上死は必ず訪れる。人生訓の様なところもありますね。古事記を読むことでどうして人間の命が永遠ではないのか、子供に命を託して人は循環して命を繋いでいく事が理解できます。古事記を読むことで死を恐れなくなりますね。
 
中国や韓国は伝統的に歴史は後日都合のいいように正当化して残すもの、日本はできるだけ真実を記録して歴史とします。しかし、その違いはその国の伝統であり、相入れるものでもありません。それぞれの国が伝統に沿って歴史は残すものでいいのかもしれません。国により歴史書の目的が違うのですから。後世の歴史書の読者も日本書紀と古事記のように目的の違う歴史書をきちんと読み分けるのですから問題ないとも思います。
 
古事記は敗者の想い、鎮魂的な性格の物語で、平家物語と通じるところあり映画脚本の原点とも言うべきもの。でっちあげて作られた中国的な日本書紀の様な権力者物語よりも敗者の憂いを淡々と辿っていく物語にものの哀れという日本的な物語感があるように思われます。
脚本の考え方として幅が少し広がったように感じられました。

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