凄いね、武田邦彦「君はもう死んでいる」。恵まれているって不幸なこと  FFビデオ制作

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いいお話でした。人生についての深い洞察があり、科学的な見方がありとても参考になりました。よろしければ武田先生のお話を聞いてください。

武田先生の「君はもう死んでいる」の質問表を見ると、私は生きている証が7個はありましたね。何とか生きているようです。

もっと心の持ち方を変えて増やしたいものです。愛人は持てるといいですがお金と相手がいることでなかなか難しいです。家族を愛しておくことにします。他人のために生きること、社会の役に立つことが寿命に影響しているとは驚きです。

「昨日は晴れ、今日も朝」は有り難いお言葉で、私も決して過去がいいものだけではなく、谷底に落とされたり、頭を殴られたり、足をかけて転ばされたり、貧乏くじを引かされたりしていますから、「昨日は晴れ」という言葉で全部忘れて恨みごとも何もありません。以前から人を怨んでいると無駄な時間を過ごすことになるから過去は全部許して忘れるのが一番だとは知っていました。貴重な自分の時間を怨む時間に使うなんて馬鹿げているからです。

それにしても肺炎以外の病死は自分の意思や細胞の意思で死んでいるとは驚きですが、永く人間をやっていると、死ぬと言うことは本人の意思が働いているとは感じていました。

若い時から横着な性格で無茶をする人は中年になっても治らず無茶をしますから、事故に会って亡くなった人もいます。病で亡くなった人も注意深く観察しているとこのまま生きているより死んだ方がましだと判断したらしいことがうかがえる人もいました。自分の周りで若くして亡くなった人の原因をよく考えてみると、相当辛い目にあっていたこともあるかもしれません。他の人では分からない辛さなのかもしれません。人には言えないとか、支えきれない重荷だとか。色々あります。

だから死は本人の意思を反映する。生きる気力があれば全身の細胞も免疫力を高めて長生きするように感じています。

また、「恵まれているって不幸なこと」についても意味は分かります。サラリーマン生活でも谷底を経験させられた人の方が、その後の平凡なサラリーマン生活でもあのころと比べたらとても幸せだと感じることができるというわけです。私なんかはそういう意味で平凡なだけで幸せを感じることができます。

恵まれない経験こそ幸せを感じる基本ですね。いつも恵まれていた人は平凡な生活の中には幸せは見いだせないでしょうから。人生ってとても公平なのかもしれません。

「昨日は晴れ、今日も朝」という気持ちで毎日「リセット」して生きていくのが私にも合っているように感じます。

本日、江戸川南税務署に確定申告を終えて、決して黒字決算ではないものの何とか映像関係の仕事をしながらセカンドライフの生活を維持できていれば、そこには喜びを感じることができます。ご存じのように映像の仕事を継続して行くのは生易しいことではありません。映像の仕事は賞を取ることと継続することはどちらが難しいでしょうね。両方できる松本卓也監督は尊敬に値します。

何とか東京の生活を回して、映像関係の仕事を続けられるなんてとても幸せなことだと感謝しています。

今年も駅動画製作と撮影に精を出してまいります。

 

 

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