編集に一区切りつけて出張、高速バスの休憩で静岡SEに寄りました。
ところで、シャンソンの歌詞を繰り返し聴いているとその内容が頭に入ってきます。編集しているとついつい深入りしてその魅力に到達してしまいます。
するとシャンソンというのは「愛」と言っているもののSEXそのものの快楽を歌いあげていることに気が付きます。
二人の秘めごと、身体を合わせる、胸に顔をうずめる、朝日が彼に当たる。一夜限りの愛、どんなに傷ついてもあなたを愛して生きるしかない、死んでもいい、それが愛の定め、何とも恐れ入るくらいにSEXを「愛」と言葉を変えてとことんこだわっています。どうしてフランス人の女性はこんなにも「愛」の快楽におぼれるのでしょう。元の歌詞は外国のもので日本の歌詞ではありません。翻訳しています。日本の歌ではありませんからね。
それを観客を集めてステージで歌いあげると言うのは「愛」の行為に相当の快楽があると思わざるを得ません。それを観客も受け入れるのですから世の女性たちの「愛」はすざまじいものがあると思います。いつの世も人は本能には逆らえないと言うことでしょうね。
人生における恋愛の目的は「SEX」と定義されていますからそれでいいのですが、ステージでで歌いあげるにはばからないというのは、人類普遍のとても大きな快楽を伴うものだと言うことが伺えます。
その歌詞がまた切なくて聞く人の心に届くのです。上手い歌手の人が歌うとたまらなく切なくなりますね。だからシャンソンは人気があるのでしょう。
我々男性には分かりませんが、女性の「愛」における快楽の度合いは男性の5倍以上と言われていますが、シャンソンを聞く限り本当かもしれません。もっとも女性は出産の苦痛が大きいのでそれを上回る快楽を与えられていると言う話もあります。そうしないと二人目を出産できないからです。
古来、賭け落ちというのは女性が「愛」の快楽に溺れて家族を捨てると言うものですからその深さがうかがえます。そして甲斐性のない男に生涯苦労させられることが多いと言われています。
これは昔も今も同様で「愛」はその快楽の深さから多くの女性を惑わすことでしょう。男はその辺を心得ていて目当ての女性を手に入れる。この構図は変わらないものかもしれません。
男女の「愛」の駆け引きを歌にして歌いあげる、それを聴きに観客が集まる。「愛」は人間の本能でしょうね。
出来れば出産の苦痛を乗り越えて数人の子供を育てて「愛」を育めるといいのでしょうね。
恐るべし「愛」の行為を語り尽くす「シャンソン」の歌詞。そのお陰で人類の遺伝子が未来に繋がって反映していきます。
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