神楽坂「善國寺」の掲示板の今日の聖語にこんな言葉がありました。「我が十指は父母の十指」「我が口は父母の口なり」。
武田先生の言われるように人は永遠の命を持つ遺伝子の乗り物に過ぎないという考え方があります。だから遺伝子が世代を渡って永遠に生きていきます。不幸にして途絶えたとしても親戚縁者が遺伝子を伝えていきますから心配はいりません。
確かに親からもらった我が十指ですからね。とても意味の深い言葉だと思います。人としての人生ではなく遺伝子の乗り物として自分が生まれて来たとする見方は動物が全部そうであるのですから否定するものではありません。そう考えるなら遺伝子の命を繋ぐために敵が攻めてきたら戦うでしょうね。動物と同じように。
人生をそれほど悩まなくても自分は遺伝子の乗り物だと割り切って生きる事も必要かもしれません。日本人の集団として遺伝子を未来につなげていけるように物事を考えていきたいものです。親が亡くなっても自分の手や口が親と同じものと分かれば安心感がありますよね。
そう言えば神社は生きている人の願いをかなえるところ、寺院は死者を弔うところ。そう割り切って考えると分かりやすくなります。宗教に関心はありませんので日蓮宗がいいとか、浄土真宗がいいとかは有りません。死者を弔うだけですからそれなりの儀式で家族を冥土に送ればいいのですから。特に宗教を信じないで毎日を生きられるのはとても幸せだと思っています。
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