凄いね、祖祖父の100回忌を勤めて人の「悟り」について考えを整理しました。FFビデオ制作

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浄土真宗高田派は100回忌までお念仏の催促をしてくるのはなぜなのか?檀家数の分だけ過去100年分のお念仏の請求書を寺院の本堂に張り出してあり、お念仏をすることで請求書が外されます。どうして浄土真宗はこんな課金システムを作ったのか?

結論から言うと親鸞聖人の「悟り」とは本能のままに自由に生きること。つまり、本能のままということは大脳が記憶したほんのわずかな教育や道徳や経験ではなく、遺伝子の命ずる本能のままに生きなさいということ。それは、先祖代々数万年前から伝わっている遺伝子の命ずるがままに、動物として人間の群れとして遺伝子を次世代につないで家族、地域、日本民族が永遠の命を繋ぐことであると言われています。植物や野生動物や魚の本能と同じで群れとして生き残るためのノウハウを記憶した遺伝子を子孫につないでいくことで種を永遠に繁栄させていく。簡単に言えば人も動物として生きるということですね。

また、悟りとは「縁起」と言われています。他との関係が縁となって生起すること。自己や仏を含む一切の存在は縁起によって成立しており,したがってそれ自身の本性本質または実体といったものは存在せず,空である,と説かれる。

自分の人生を振り返ると確かに他との関係が縁となっていろんなことが起きたことが分かります。自分が一人で歩んだ道ではないですね。

だから利己主義ではなく利他主義、人間の群れとして遺伝子の継続に役立つ生き方をすることになるのでしょうね。

「縁起」それが人の「悟り」であると。お釈迦さまも、キリスト様も、モハメッド様も、親鸞聖人もその他の高僧もこの境地に到達されたと聞いています。

話を戻すと、浄土真宗高田派の100回忌ものお念仏は「悟り」の境地を気づかせるため、先祖代々を振り返り自分の体に息づく遺伝子や他との関係について考える機会を与えるシステムではないかと思います。

そう考えるとお念仏のたびにお寺に支払うお金も「悟り」を気づかせるシステムを維持していくための必要経費だと分かりますし、ご先祖様の遺伝子を次世代に繋いでいく、人の群れの一人として遺伝子をつないでいくように務めなさいという教え、縁起という境地、なかなかよくできたシステムだなと感心しながらお念仏を唱えていました。

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