大木なので切り倒すとどっさーんと行きますので楽しみです。しかし、枝が広がっていると倒れないで引っかかります。まあいろいろ苦労して、考えて手練手管を用いて苦労の末に倒す経過が楽しいのです。男の遊びでしょう。
倒した後は玉切りして薪にするとか、腐っていない部分がたくさんあれば板に引くとか、楽しみは限りありません。
失敗したら命とりなので真剣勝負の遊びです。
ところで植物には心がないのでしょうか、それともあるのでしょうか。山の松の木が松くい虫にやられるとききっと松の木は松くい虫の嫌いな毒を出すと思いますが、それがあまり強くないので虫に食われて枯れてしまうと思います。
野菜の場合は、虫が付くと葉から毒を出して虫を追い払いますが、その影響で虫食い野菜の味はとてもまずいです。植物は敵と戦うすべが毒を出す以外にないので、仕方ありません。できたら逃げていきたいのでしょうが足がありません。
そう考えると植物が虫と戦うのですから、多分心を持っていると思います。
山の杉やヒノキもきっと心を持っていて、山の排水路の掃除をしてやると喜んでいると思います。水が地中に流れ込むと木の根が傷みますから。
これから何百年か後には植物の心が発見されるかもしれません。
木は話しませんがおいしい空気を作ってくれます。木は風によりさらさらと声を出します。そこに谷川や水路の水の音が入り、小鳥がさえずると、それはもう美しい森のオーケストラになります。
演奏会のオーケストラなど比較にならない澄んだ音色のコンサートを森川保リゾートでは楽しめます。
そして、山では亡くなったおじいちゃんや親父が今でもその辺で作業しているような、ひと気が感じられます。だから、子供たちとはできるだけ一緒に作業しておくと亡くなった後でも、子供たちは私のことをきっと懐かしく思い出してくれるでしょう。残念ながら子供たちは東京にいますからそんなことは夢のまた夢です。家族の共同作業は山の仕事、農業、お餅つきくらいしかありません。
長男には私の名前の一文字を入れてありますから、いつかは自分の名前の中に親父がいることに気づくかもしれません。先日朝ドラの「錠一郎」の名前には親父代わりの人の「定一」が入っていると言っていました。自分の名前の中で生きていると。なかなかいい脚本だと思いました。
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