凄いね、「竹内富蔵」英雄慰霊碑、三重の我が地区には西郷隆盛の西南戦争に政府軍として参戦、激戦の田原坂で戦死された地区の英雄「竹内富蔵」さんの慰霊碑があります。FFビデオ制作

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三重白山の三重スタジオの自治会地区には何と西郷隆盛の西南戦争に政府軍として参戦、激戦の田原坂で戦死された郷土の英雄「竹内富蔵」さんの慰霊碑があり、自治会で管理しています。

草が生えてくるとせっせと草刈りします。

戦死された方の慰霊碑の管理はとても大切です。何故なら戦死された方の名前を長く末代まで伝える責任があるからです。20歳代で亡くなっても名前は長く末代まで伝えるので安心して命がけで戦えということです。だから戦死された方のお名前は長く末代まで伝えていく必要があるのです。

それを見て地域の子供たちが育ちますから、万一戦争が勃発して戦地に行くことがあった場合、青年たちは命は落としても名前は永く伝えてもらえる。自分の名前は長生きできると分かりますから、突撃できるのです。

現代戦では突撃はないかもしれませんが、戦争になったときに日本軍として敵と命がけで戦えます。

私がこのことに気づいたのは動画に歌詞を付けていたからで「陸軍分列行進曲」(抜刀隊)の中にこういう歌詞があります。6番の歌詞です。「たとえ屍は朽ちるとも 忠義のために死する身の 名は芳しく後の世に永く伝えて残るらん」

この歌詞が世に出たころに、当地区と小学校区地区の有志が賛同して「竹内富蔵」さんの慰霊碑を建立されたものと思われます。わが自治会にこのような英雄が存在したこと、詳しい説明を回覧で皆さんにお知らせしたのは言うまでもありません。家族や地域、そして日本国を護るために命を懸けて戦った若者の名前はしっかり後世に伝えていきたいものです。これこそ自治会の重要な仕事だと思います。

吾今ここに死なん身は
国のためなり君のため
捨つべきものは命なり
たとえ屍は朽ちるとも
忠義のために死する身の
名は芳しく後の世に
永く伝えて残るらん
武士と生まれし甲斐もなく
義のなき犬と言わるるな
卑怯者とな謗(そし)られそ

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